本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(いいね順)

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「わたしのすきなひとが しあわせであるといい わたしをすきなひとが しあわせであるといい わたしのきらいなひとが しあわせであるといい わたしをきらいなひとが しあわせであるといい きれいごとのはんぶんくらいが そっくりそのまま しんじつであるといい」 (『えーえんとくちから』P152~153)
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「こんや きみが ねる とき  なにか とても おおきい こと  かんがえるんだ。  その おおきい かんがえが  きみの あたまを おおきくするだろう。」 (アーノルド・ローベル著、三木卓訳『かえるの哲学』P64)
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「田沼意次の亡霊」。 (参照:紀田順一郎『落書日本史』旺文社文庫、P79)
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「他人の心を知ることが、いかに不可能でも、相手の心を知ることができると信ずること、けっして心の通いあいを断念しないこと、それが人間のやさしさだ。不可能でありながら、なおもそれを信じつづけることで、人間の社会はなりたっている」(森毅『まちがったっていいじゃないか』ちくま文庫、P26)
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「会社や学校に属さずにずっと生活していると、自由が平気な人と、自由を不自由に感じる人がいるっていうことが分かってきます。「自由」ということは何でもできるということではないんです。自己を律して生きていかないといけないということなんです」(大槻ケンヂ『サブカルで食う』角川文庫、P142)
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「言葉にできる女性をただ「強い女性」として見るのではなく、言葉にできない/しない女性のことを「弱い女性」と見るのでもなく、言葉にすることの痛みも伴った/伴っているのではないかと考えを巡らせる必要がある。」(安達朗子・文、『障害学研究17』明石書店、P24)
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「人とは親しめ、だが安売りはするな。  これぞと見極めた友人は決して放さず  鋼のたがで心に縛りつけておけ。  だが生まれたてのヒヨコみたいな連中にいい顔を見せ  手がしびれるほど握手しまくるのは禁物だ。」 (シェイクスピア著、松岡和子訳『ハムレット』ちくま文庫、P43)
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10月28日は「速記記念日」。 速記文字を眺めるのは、なかなか興味深い。 (参照:安田敏朗『「国語」ってなんだろう』清水書院、P63)
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「(性暴力の)被害者の落ち度を詮索したがる人の多さは、他の犯罪被害ではあまり見られない傾向だ。たとえば路上での強盗被害が報じられた場合、「最近は日本も物騒になった」といったコメントがつくのに比べ、性被害では被害者の「落ち度」に注目が集まる。」(『告発と呼ばれるものの周辺で』P246)
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「自分が幸せだと思いたいのか、人から幸せだと思われたいのか、その区別ができていない人が多い、と感じます。自分が満足したいのか、人から羨ましがられたいのか。」(銀色夏生『私たちは人生に翻弄されるただの葉っぱなんかではない』P15)
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「一見男性に有利とされるイデオロギーが、実際は男性自身を自縛していることが、ようやく指摘され始めている。フーコーが明らかにしたように、近代における男性の主体化は、近代資本主義価値体系への男性の従属化であった。」(大越愛子『フェミニズム入門』ちくま新書、P25)
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「解決すること、答えを早く出すこと、それだけが能力ではない。解決しなくても、訳が分からなくても、持ちこたえていく。消極的(ネガティブ)に見えても、実際には、この人生態度には大きなパワーが秘められています。」(帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ』朝日選書、P200~201)
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「環境が人間を作り変え、しかもそれに気づかせない。スマホを片時も離さず、食事の時も画面を食い入るように身続けている現代人を、携帯も持たなかった四〇年前のわれわれが見たら、なんと呼ぶであろうか。確かなことは、決して尊称の名で呼ぶことはないということだ」(『哲学者マクルーハン』P119)
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「確信に満ちている人と話をすることくらい、退屈であほらしい事ない。好きにすれば、あんたの思うように、一人でやればいい。確信に満ちている人は、確信しているもの以外のことを、吟味したり、迷ったりすると困るらしいのである。」(『佐野洋子』良品計画、P48)
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「謙虚とは、人のまえで、己れを無にするとか低く見せることでは絶対にない。むしろ自分の責任において、己れを主張することだ。そう断言します。謙虚とは権力とか他人に対してではなく、自分自身に対してこそ、そうあらねばならないことなのです。」(岡本太郎『孤独がきみを強くする』興陽館、P82)
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「女性が男性と同じ程度の怒りの感情を表現するとき、その怒りはたいてい、その女性の不安定な心の印として解釈されてしまう。一般的に女性は感情的であると信じられており、この固定観念こそが女性たちの感情を妥当でないものとするのに利用されているのである」(『管理される心』世界思想社、P198)
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6月24日は、20歳で自死した大学生・高野悦子の命日。 「人間は完全なる存在ではないのだ。不完全さをいつも背負っている。人間の存在価値は完全であることにあるのではなく、不完全でありその不完全さを克服しようとするところにあるのだ。人間は未熟なのである。」(『二十歳の原点』新潮文庫、P7)
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「どんどん先に読み進めることができる小説が傑作ではないんです。気持ちが昂揚して、あるいは整理がつかなくなって、思わず本を閉じてしまう。そのようにしか読めない小説こそ、かけがえのないものです。」(中村邦生『はじめての文学講義 読む・書く・味わう』岩波書店、P116)
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本日(8月11日)から、下鴨神社・糺の森にて「第35回下鴨納涼古本まつり」が開催されます。
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「現実に、幸せかどうか、満ち足りてるかどうかではなくて、この先満ち足りるかもしれないっていう予感が心の中で発動するかどうかで、実は幸せって決まるのではないかと。」(ヨシタケシンスケ『欲が出ました』新潮社、P45)
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「ちちをかえせ ははをかえせ  としよりをかえせ  こどもをかえせ  わたしをかえせ わたしにつながる  にんげんをかえせ  にんげんの にんげんのよのあるかぎり  くずれぬへいわを  へいわをかえせ」 (峠三吉『原爆詩集』岩波文庫、P9)
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「「6ヶ月」の「ヶ」は片仮名の「ケ」のように見えるのだが、片仮名ではない。では何かというと、文字ではなく一種の符号と呼ぶべきものなのである。この「ヶ」は、漢字「箇」の竹かんむりの一方をとったものだという説がある。」(神永曉『さらに悩ましい国語辞典』角川ソフィア文庫、P72)
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「たとえば道徳の授業では、「共感」する能力が強調されますが、それは「やさしい気持ちで人に接すればいい」という話ではないのです。ちゃんと「知識」をもったうえでないと、他者に対して想像力を働かせることはできないし、「やさしく」することもできません」(『心の病気ってなんだろう?』P284)
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「人は心の中の大切なものを他者に伝えようと苦闘するが、他人は受け取るだけの力を持たない。だから、人は他者を知ることも、他者に知られることもできずに、並んでいても一緒にではなく、孤独に歩むのだ。」(サマセット・モーム著、行方昭夫訳『月と六ペンス』岩波文庫、P270)
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「どんなにすぐれた人と出会っても、それが「出会い」になるとは限らない。こちら側にも用意がなければならない。「人が、人と出会う」、そしてそこから「学び」ということが起こるには、その双方に、理由と準備がなければ、ダメなのです」(加藤典洋『もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために』P114)