三島由紀夫が「ぼくは太宰さんの文学は嫌いなんです」っていうためだけに太宰本人に会いに来るの好きだし、それに対してあの精神豆腐な太宰が「嫌いなら来なけりゃいいじゃねえか」って吐き捨てるのも最高に好き。
藤原道長の「この世をば」の和歌、藤原実資の書いた『小右記』にだけ載ってて、道長本人の書いた『御堂関白記』には記述がなく、小右記には「道長は『あんまりいい出来じゃないけど酒の勢いに任せて披露しまーすw』とか言ってこんな歌詠んだ。ムカつく」って書かれてる道長の黒歴史だったの本当好き。
4年前、長野県内のある廃醫院を管理していたおばあさんに「あんたそんなに調べるのが好きだったら、私の父が撮った写真にどこだかわからない場所があるから探してほしいよ」とお願いされた古写真がある。 見つけたわ。
昨日の土曜は、千葉県銚子市の小学校裏手にある昔ながらの駄菓子屋さん、飯田商店へ行ってきた。前からずっと行きたかったのだが、明里氏のかのツイートを見て今日27日の17時で廃業されると知り飛んで来た。昨年はコロナの影響で休止していて、今年こそは夏に…と思っていたところの急報だった(続)
自分の非日常は、誰かの日常なんだよなあ…
北海道、「街中にヒグマが現れる」ってより、「ヒグマが闊歩する世界に人間が住んでる」って言ったほうが適切なところがあるので、北海道の首都札幌であろうとヒグマの力からは逃れられないのだ。街中に現れるキタキツネ、道路脇から突っ込んでくるエゾシカ。野生の力、ノルドの地、北海道。
・清浄野菜の記憶 東京と神奈川の境、多摩丘陵。のどかな農村と、開発住宅地が共存する土地の片隅に「清浄蔬菜」なる単語を掲げた廃屋が残っている。「清浄蔬菜(野菜)」とは、単に「きれいに洗った野菜」ではなく「化学肥料で栽培した野菜」をさす。なぜそんなことを明記する必要があったのか(続)
似た理由で、廃醫院の本棚や書庫がかなり好きだ。インテリアや雰囲気がいいからという理由もあるが、ここは先生が医師になるための勉強に使ったり、先祖から受け継いだり、当時最新だった医学書や愛読書の集積地だ。だが今となってはそれらも過去のもの。ご遺族の方も「要らない」という人が多い。
古い街並みを探していたつもりが、家ブチ破って生えた松を見つけるに至る(島根県)
・三世代家族なトンネル 北海道南西部にある、1ヶ所で旧々道、旧道、新道の3つのトンネルが見られる場所。この一帯の沿岸部はほぼ全て断崖絶壁のような場所で、岩山をくりぬいて通したトンネルが必ずここを経由して通ることになるゆえの光景である。にしても、どうやって作ったんだこれ…。
まあ実際は単なる托卵だったのか、旦那由来の不妊が原因で誰かと子ども作って夫の子ってことにしたのかは不明なんだけれど、どっちにしろ正史に書かれていない内容なので、色々想像ははかどるのである。王朝の血統を探るとこういうことがぽろぽろ出てくるのでそりゃ宮内庁は発掘許可せんよなと思う。
Q.つまりどういうことだってばよ? A.薔薇戦争以降の英国王室で、誰かの嫁が浮気して托卵したか、王家の人間じゃない男が王だと言って乗っ取ったってこったよ!!!
※リチャード3世の遺体と思われる骨が600年ぶりに発見されたのでDNA解析で現代の子孫と照合して本人か特定しよう→あれ?y染色体がリチャード3世の先祖のエドワード3世のと一致しない人がいる…?→お前の先祖の嫁、どっかで浮気して托卵してるぞ と判明するかわいそうな回
リチャード3世の遺体発見から、DNA解析で先祖の誰かの嫁が浮気して托卵していたことが判明して、ランカスター朝、テューダー朝以降の現代にわたるまでの「生き恥」を600年越しに叩きつけられる英国紳士淑女の皆さんかわいそうなんだよなあ…。
仲良しのネコが死んで遺体になったら威嚇し始めるネコか…。これ、もしかしたら昔の人が死体を恐れていたことと同根のものじゃないか。日本でも縄文時代からついこの間の昭和まで、死体を恐れる風習が根強くあった。たとえ肉親や思い入れのある人物の「遺体」でも、忌避、恐怖の対象だった。(続く)
「馬出没注意ってなんだよ」と思われるかもしれないが、北海道でもこの付近では、戦後まで飼育されていた駄馬(荷物を運ぶための馬)が野生化してそのへんにいる。つまり、私の実家の周りには「野良馬」がいる。北海道は今でも競走馬を多く生む馬産地だが、やっぱりモンゴルか何かなのでは。
北海道の札幌・根室間を車で移動する際の考察と感想です。美しい風景は時として「人間」を破壊する。しかし、あの「何もない」風景こそが道東や道北の魅力でもある。楽しいヨ。いや本当に。
3年前くらいに島根県で聞いた話。「このへんの大きな家…昔はブギンシャ(分限者、庄屋さんのこと)と言ってました。そういう家で結婚があると、婚礼の祝いの夜に、村の若い衆が村の辻やお寺にある地蔵を担いで家にやって来るんです。家の者はその人たちをもてなすのが習わしでした(続く)
東北・北海道には、動詞を「〜ささる」と活用するだけで「わざとじゃない。間違ってやっちゃったんだよ不可抗力でそうなっちゃったんだ。いやマジですまん」的ニュアンスを加えられるという日本人の心と相性がいい方言語彙があるので、全日本人が使うべきだと主張している。(例:ごめん押ささった!)
いろいろあった結果、「大正時代の木造旅館の別館で一棟丸ごと一人だけ逗留」という最強の原稿環境を得た。書くぞ…。
冗談でもなんでもなく本気でこうだから困る。
私が命ある限り、これは何度でも言います。 四 国 は い い ぞ
田舎の小さな漁港によくある船揚げ用のレールを見るたび、幼い頃親に「あれは海を走ってる列車の駅だ」とウソ知識を教えられ、暫く信じてたのを思い出す。地元が漁師町で、青函トンネルの話を中途半端に聞いてたから、近所の港で魚釣りしながら「今日も列車来ないなあ」とか思っていた。(山口県にて)
こういう薄暗い路地を進んだ先の空間で、古本や明治大正期の薬品瓶、人体解剖図を売りつつ、大して美味しくもないコーヒーを出しながら廃墟や各地で聞き取った話を交換する妖しい店の主人になりたい。