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「中国山地は四方八方どこにでも行けるしどこに向かっても人が住んでいる土地に出られる」これは山がちな日本の国土内でもかなり大きな特徴なんですよ。Twitterやほかの媒体でも何回もこのことは書いている。他の山地や山脈ではこうはいかない。こんなに移動や土地の自由度が高い山地は他にない。
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これ本当そうなんですよ。中国山地は「全体的にながらかにすべて山」というのが大きな特徴で、どこに行っても人がまんべんなく住んでいて、小さい集落が銀河や星間物質の分布構造のように連なっている。こういう山地であってもどこに行っても人がいる土地は国内ではほかにない。
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徳島県は阿波市のある自動販売機コーナーには、ボンカレーの自動販売機が存在する。しかも現役だから衝撃的である(つい最近までこれが国内最後の稼働筐体だったとか)。昔は街道沿いに、こういった自販機と食品を取り扱うコーナーがよくあったが、年々数を減らしている。(続)
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関東地方のとある山間部に残る、ひと気のないお寺。そのお堂の奥へ向かう階段には、人の体や腕、脚の形をした金属製の人形(ヒトガタ)が並ぶ異様な光景がある。雨が降りしきる暗い森の中では恐ろしさすら覚えるが、これは参拝者が体の健康や快癒を願って奉納したものだ。
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日本は災害大国と言われるが、こうしてみると、現代において地震や火事、台風、津波の対策は盛んに行われている一方で、水害対策は治水治山事業がメインで、個人や家庭レベルでの対策は昔に比較すると小さくなっている気がしなくもないなあたしかになあ。なんて思っていた。
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「今はもう川の水が溢れることもなくなった。でもオレの目の黒いうちはこの舟は残しとくつもりだ。あんたみたいに若い者はそういうのも知らんからなあ。あんた北海道の人か。そらなお知らんよな。物残すってのはそういうもんだよな」
お爺さんの目はなんとなく暗かった。たぶん昔何かあったのだろう。
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お爺さんは語る。
「このあたりは戦争終わったくらいまでは何年かに一回、向こうの利根川から水が溢れて大洪水になるのが当たり前だったんだ。だからここらの家は舟を置いて、洪水になったら家財道具と家族を乗せてやり過せるようにしていた。うちの先祖の命があったのはこういう舟のおかげなんだ」
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関東平野北部の広大な畑作地帯をふらついていると、納屋の中にボロボロだけどかなり大きな川舟が置かれた農家さんがあった。こんな周りに川も湖も海もない土地で、なんで舟があるのかどうしても気になり、横で農作業をしていたお爺さんに聞いた。すると、「やっぱり知らんかあ」という顔をなされた。
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・百年前の可動橋
瀬戸内海の、かつて塩田が広がっていた海辺を通った時のこと。河口付近に、老朽化で中央部が崩れ落ちたような廃橋が残る姿が目に留まった。近くで作業をしていた漁師さんに話を訊くと、「この橋は崩れたんじゃない。もとから繋がってないんだ」と語り始めた(続)
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なお、さかもっちゃんはこのほかにも船舶事故を起こした際、相手が法律を知らないのを利用して自分側に責任があるのに相手が悪いと言いくるめて、事故相手の紀州藩から8万両の賠償金をせしめてたりする。現代でも当事者同士で交渉するとロクなことがないから事故ったら保険会社とお巡りさん呼ぼうね!
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薩摩藩が「250年分割で借金返すね」って言ったそばから「廃藩置県で薩摩藩消滅したから契約も借金もなくなったね」理論で、今のお金で1兆円近い金額の借金踏み倒したのを考えれば龍馬は良心的(震え声)
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サイゼリヤデートがどうしたよ。サイゼリアの店舗そのものがない四国民の前で贅沢な言い争いをするなまったく。
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・鬼追わぬ村
節分。鬼にはつらい一日だが、一部では節分でも鬼を追わない土地もある。青森県西部の旧鬼沢村も節分に豆まきをしない。なぜならこの村で鬼は神様であり、「鬼神社」という鬼を祀る社があるからだ。なぜ鬼が神なのか…。これは青森県弘前市鬼沢集落を訪ねた話です(続)
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「北海道新幹線が札幌まで延伸すると函館札幌間を1時間で移動できる」のがどれだけ素晴らしいかは「10GBのデータを自宅のADSL回線か空いてるかわからない微妙に遠くにあるネカフェまで行ってダウンロードしなきゃならない時、家に光回線引きたくない?」という説明で納得いくと思う函館市民である。
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ある山中の温泉街。「この先に本当に温泉街なんてあるのか」と心配するほどの暗い山道の先に、赤い提灯が並ぶ小さな温泉街が確かにあった。その日は平日。昼間はずっと雨が降っていた。月明かりと赤い光の中に沈んだような沢沿いの温泉街には人一人歩いていない。…異界だ、ここは。
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都会で生きてみると「公園」に人がいて、憩いの場や遊び場として機能していることに驚く。田舎の公園は人がいない虚無空間なのが当然なので、映像作品や小説で公園に人がいる描写がずっと意味不明だった。都会で生きてみて、シムシティで公園配置するだけでシムの幸福度あがる理由もわかったよ…。