かかまつ(@kakamatsukk)さんの人気ツイート(いいね順)

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これはあのときの吾妻鏡‼︎ 鎌倉殿最終回で吾妻鏡を読む松潤家康がフライングでサプライズ登場。テロップでは永禄7年と示されました。 今回の「10ヶ月後」、次女の督姫(ふう)が産まれたのは永禄8年と伝わります。 あのテロップの年にはやはり意味があったのですね。 #どうする家康 #鎌倉殿の13人
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目ざとい皆様が、ずっと前からオープニングで見つけてザワザワしていた吾妻鏡の白い犬がここに。 #鎌倉殿の13人
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町田啓太さんの土方歳三が土方歳三すぎてすごいなあ…と思って見ていたけれど、去り際の小さな後ろ姿こそが一番「土方歳三」だった。 かっけえーーーーーーーー! #青天を衝け #町田啓太
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あれでしょう、ムロ藤吉郎、蹴飛ばされて「ありがとうごぜ〜ます!」とか喜んで阿呆のフリしてるけど、一瞬だけ真顔になった顔、誰に何をされたのか全っっ部覚えてて、いつか仕返しする奴でしょう。 「うつけもの」と呼ばれた信長と、「ぼんやり」と言われた家康と。三英傑早くも集結。 #どうする家康
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「八重さんが好き」ではなく「八重さんが笑っているのが好き」。 自分のことより、好きな人の幸せだけを考える小四郎に、八重が笑って言う。 「お帰りなさいませ」 私たち視聴者も本当に久しぶりに見た、八重の心からの曇りなき笑顔。 小四郎の目に、涙が溢れそうになる。 #鎌倉殿の13人
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俳優菅田将暉は自らの顔を使い分ける。 右が左よりもつり目であることから、鋭く不気味な人物は右顔を、温厚で柔らかい人物は左顔を。 返り血を右頬に貼り付けて義経は自嘲する。 「この先私は誰と戦えばよいのか」 右は凄惨な戦に勝った大将、左は行く道を失った弟。 #鎌倉殿の13人
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「鎌倉殿を亡き者にせんと企んだ咎によって、ここに成敗致す」 寿永二年十二月上総介広常誅殺。 これが後世に残された記録。 本当は何があったか知る由はない。 残された記録に違うことなく、広常という人物をここまで魅力的に描き、そしてここまで無惨に屠りさる。それが、物語の力。 #鎌倉殿の13人
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本多忠勝は物心もつかぬうちに父を亡くし、叔父忠真に育てられた。 だから、戦い方を教えたのも彼。 祖父や父が如何に死んだか教えたのも彼。 武士の生き様と死に様を教えたのも彼。 「自分も主君を守って死にたい」 少年平八郎が語る夢を、酒をくらいながら目を細めていたことだろう。 #どうする家康
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文句ばかりの大人たちに散々無茶振りされ 溜息をつく義時君18歳。 その義時君に「へいろく〜ぅ〜」って 甘えられて、「ああ分かった分かった」って 達観してる義村くん13さい。 #鎌倉殿の13人
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亀姫に渡された着物を身につけた鳥居強右衛門。 図らずもその名にぴったりの鳥の足跡をあしらったこの着物を剥がれて、彼は磔にされた。 獣のようだと蔑まれた彼に笑顔を向け手を握ってくれた亀姫。人としての尊厳を示すのがその着物。 それを彼は、死の前に奪われたのだ。 #どうする家康
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「すぐにでも比企を攻め滅ぼしてください。首を刎ねて、大きい順に並べるの」 罪なき我が子を殺された実衣が冷たく言い放つ。 比企能員だけでなく一族まで全てという意味だ。 親も子も皆、憂の無いように。 でもその「大きい順」って どう考えても二郎さんからですよね!!! #鎌倉殿の13人
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「こいつがつまんねえこと言うからよ!」 そう叫んで振り向く上総介の顔には、焦りではなく笑みが浮かぶ。殺るべき者が目の前で隙と理由を作れば、もう殺るだけ。 佐竹義政役を演じたのは、ONE PIECEサンジ役の平田広明氏。佐竹一族の末裔が現在の秋田県知事佐竹敬久氏。情報が多い。 #鎌倉殿の13人
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時政パッパの幸せな余生の過ごし方を聴きながら、この赤黄青の信号色の手拭いが気になって気になって。 #鎌倉殿の13人
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次郎は決して逃げようとしなかった。 逃げるいわれがなかったからです。 所領に戻って兵を集めることもしなかった。 戦ういわれがなかったからです。 次郎がしたのは ただ己の誇りを守ることのみ。 戦前の修身の教科書は、畠山重忠を「坂東武者の鑑」として取り上げていたという。 #鎌倉殿の13人
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「最も頼りになる者は最も恐ろしい」 初めにそう言ったのは大江広元だ。 あのとき信じられないと食い下がった小四郎は、今や義時となって、それを自分の言葉のように使う。 しかし今回もそれを示唆したのは大江広元。いつ我が身に降りかかるか。文官とはいえ本当に立ち回りが絶妙だ。 #鎌倉殿の13人
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死に抗うことをやめて吹っ切れた頼朝が、ずっと側に居てくれた藤九郎としみじみ語らう道すがら、突然言葉が出なくなり手に麻痺が出る。 義経の亡霊を見て驚き落馬したという亡霊説は取らない。 字幕に出ない最後の台詞は「ああ…九郎」。 見えたは亡霊ではなく、先で待つ笑顔の弟か。 #鎌倉殿の13人
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「以上でございます」 そう言って立ち去る義時をじっと見送る。 関わった自分も救われた。 しかし時政の表情は安堵ではない。 上総介のことも義経のことも知っているが、変わった息子の姿を目の当たりにして初めて、いつか息子が自分から離れていく不安を感じずにはいられない父の顔。 #鎌倉殿の13人
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慶喜がカメラを趣味として多くの写真を残していることは知ってたけれど、まさかのネコチャン!!! そりゃな!!可愛いもんな!! #青天を衝け
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向こう傷が残る川村が静かに泣いています。演ずる波岡一喜さんの心にも大きなものが残ったようで。 「気づいたら西町奉行所跡に来てました」「自分を責め悔いて悔いて悔いた場所」「ここに俺が今行くことに意味なんてないかもしれないけど、行ってよかったと、来てよかったと思いました」 #青天を衝け
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政子は希代の悪女ではない。 政子には政子の考え、立場があったに違いない。 兼子の言葉は、三谷幸喜氏の考えそのものだ。 「僕はどうしても悪女に見えないんですよ。母として妻として必死の選択をしていただけで。悪女にならないまま、歴史上は悪女に見える、それをやってみたかった」 #鎌倉殿の13人
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何も聞いていないのですか 母上の優しい嘘を私如きが 北条義時は無二の友、これ以上は 顔も、声も、言葉も。どうぞ問い詰めてくれと言わんばかりの怒涛の誘導。 流石メフィラス、トメクレに相応しい暗躍。 しかし、自身が危なくなればするりと逃げる、それがメフィラス三浦義村なのだ。 #鎌倉殿の13人
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家康に過ぎたるものがふたつあり 唐の頭(からのかしら)に本多平八 この戦に先立つ一言坂の戦いの様を、武田信玄の近習である小杉左近が詠んだもの。 靡くヤクの毛が美しすぎるよな。 #どうする家康
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「家を焼き払われようが鎌倉を追われようが、たとえ首を刎ねられても、私の心は変わりませぬ!」 盛長は心底頼家のことを案じ、一切の保身なく諌めている。だからいくら語気を強めても、その顔には哀しみが垣間見えるのだ。さらに声を落として言う。 「お父上を悲しませてはなりませぬ」 #鎌倉殿の13人
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「蒸れないの?」 「誰も見てないときにたまにこうやって」 本当に仲の良かった姉妹ってそうなんだ。 疎遠になっていようが、生死の狭間に立とうが、長々と恩着せがましい言葉も説教の言葉も要らない。 何気ないやりとりでふっと笑い合える。 #鎌倉殿の13人
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一刻を争う退き戦。 そんな中でも忠勝が真っ先に膝をつく。 主に尽くし、主のために死ぬ。 それが彼の望みであったから。 それが女子であろうとも。 #どうする家康