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基地中の消防隊が総出で消火にかかり、近隣の消防隊にも応援が要請された。基地はパニック状態に陥り、女子供を乗せた車両が次々と基地を離れるほか、消防士はアメリカ空軍将校が半狂乱でタクシーに飛び乗り、なんでもいいから基地から離れてくれと叫んでいるのを見た。
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こうして下賤な野菜とされたじゃがいもはフランス料理に定着し、料理大国フランスが大々的に採用した事で、諸国もそれに倣ってじゃがいもを使うようになる。
やがてフランス革命が起こり、国王と密接だったためにパルマンティエは王党派と目され、命の危険にさらされる。
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コーヒーハウスは18世紀の中頃まで流行したものの、混沌とした空間を楽しんでいた利用者達は、やがてそれぞれの階級に相応しい方向に分化していく。高級層はクラブに、庶民はパブに。
コーヒーハウスは情報と話題の独占者であり続けるため、独自の新聞を作ろうとしたけど、それは嘲笑を買った。
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ドライス男爵が二輪の足蹴り車ドライジーネを開発して以来、自転車は産業革命と共に急速に進歩してきた。
1860年代にベロシロードと呼ばれる現代の自転車に近いものが作られるけど、このフレームは木材でかつサスペンションがないので非常に乗り心地が悪かった。 twitter.com/elizabeth_munh…
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「英雄的な行為が私の工場労働者、特に女性によっても行われている事は非常に喜ばしい」
働きに感銘を受けて地元大貴族のバックルーシュ公爵が彼女を表彰した。
「戦地での兵士の活躍と何ら変わらない。大英帝国勲章を授与しよう。あなたは素晴らしい労働者だ」
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大戦が始まった時、サンドリンガムズには出征義務はなかった。テリトリアル部隊は敵が本土上陸を果たした際の最後の盾であり、外征部隊ではない
しかしテリトリアル部隊ですらない民衆ですら競って志願する中、曲がりなりにも軍属で、かつ国王の警護団であるサンドリンガムズが出ない訳にはいかない。
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第一次世界大戦は塹壕で対峙した両軍が延々と撃ち合ってるイメージがあるけど、守ってるのは人間なので警戒に隙が生じる事もある。
夜襲や奇襲攻撃で第一陣を抜く事が可能な事はよく知られており、最前線の兵士達のストレスは相当なものだった。
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イギリス全土の沿岸部の街から特に優秀と思われる志願者3500人を選抜して結成されたこの部隊の役割は、本土上陸を果たしたドイツ軍を相手に後方攪乱を行う事だった。
すなわち、暗殺。一人一人が何の援護もなくひたすらドイツ兵や軍高官を殺して周り、混乱を齎すのが役割。
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「市長選に出てPRしよう」
折りしも時のイングランドは左派、労働党の改革により、直接選挙による首長選が住民投票によって各地に採択されてた。
即ち、従来イングランドでは市長とは名誉職であり、最も在任歴の長い議員が務めてたけど、これを公選制とする。
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実はコロンブスより先にアメリカに渡った人物がいる。と言ってもレイフ・エリクソンやトルフィン・カルルセヴニの事ではなく、なんとウェールズの王子。
12世紀、ウェールズの群小の国の中の一つであるグウィネズにマドックと言う王子がいた。王子と言っても庶子で、継承順位は低い。
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正反対の生き方をした女傑はこちら。 twitter.com/elizabeth_munh…
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「競馬はよく分からんが、どうも気になる。行ってみるか」
行ってみると、正に噂の如し、極端に気性が荒いエクリプスは他の馬も騎手も馬主も寄せ付けず牧場の主人として君臨し、馬主は泣きべそかいていた。
「騸馬(去勢)するか……」
それを聞いたオケイリーは猛烈な剣幕で抗議した。
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当時、戦争は徹頭徹尾男の仕事で、女ができるのは男を戦争に駆り立てる事だったし、発案者が高位の軍人である事からも明らかな通り、それは社会からの要請でもあった。
捨て駒とも言える。実際、傷痍軍人や英雄に白い羽根を手渡した女達は惨めな道化になるしかなかったのだから。
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やむなく禁令は撤回される。次代のジェームズ2世の時にはせめて扇動的な出版物を置くなとやや緩めの禁令が出るも、これも敢えなく撤回。ゴシップと扇動はコーヒーハウスの華。撤去できる訳がない。
こうしてコーヒーハウスは身分秩序の強いイギリスで異例の平等な空間として栄えた。