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しかしスタッフォードは午前7時に釈放されており、リーズを後に彼女の故郷に向かっている最中だった。
肩透かしを食らった群衆は振り上げた拳のおろしどころに困る。
「ドリッピング野郎の家に行くぞ!」
ヒロインを迎えて大騒ぎする予定だった群衆は別の方向にシフトした。
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「ストラットン兄弟に犯罪履歴はありません。そして現場には覆面に使ったと思しきストッキングが。状況は完璧に真っ黒です! 後は、指紋を採取するだけ!」
警察はストラットン兄弟を猛追し、拘束。指紋を採取する。金庫に残された指紋と2人のそれは一致した。現代ならそのまま有罪間違いなし。
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「お前らもあのドリッピング野郎の味方か!」
完全に暴徒と化した群衆は警察にも投石を始め、衝突した。
「抑えられません! 軍隊の投入を!」
リーズ市長は最早警察ではどうにもならないと、近くに駐屯していた第8騎兵隊に救援を要請し、何とか暴動は収まった。死者1人、負傷者多数の大騒動だった
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作戦準備が整い、その日を待つイギリス軍。そんなある日のこと。
防諜機関、MI5に所属する職員の1人は何気なく日刊紙をパラ読みしながらクロスワードパズルを解いていた。
「ヒント、アメリカの地名のひとつ? Oから始まるな……。オ・マ・ハ……。マイナーなところ持ってくるな……」
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上陸支援を果たす海軍部隊は『ネプチューン』と名付けられ、これら全てには最大級のプロテクトが掛けられる。
反攻作戦の時期が迫っていることは誰の目にも明らかだったけど、それをドイツに掴まれれば、上陸部隊は苦戦することになる。宴席で個人的な予想を口にしたアメリカ人少将は更迭された。
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近代に入ってからも海の神かつ戦いの神という事で海軍軍人の尊敬を集め、歴代の海軍大臣や艦隊司令官が参拝。
終戦を迎えると、GHQによる重文の略奪を恐れて多くの刀剣の類が一時避難的に奉納され、神社は捨てたと言う名目で地面に隠して難を逃れた。
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イラッとする兵卒、下士官。そんな中、後ろから声がかかった。
「順番を守れよ!」
誰だ!? と気色ばんで新入り士官が振り返ると、そこにいたのはウィリアム・ハルゼー大将。
機動艦隊を率いる提督で、対日戦の英雄。そんな人でも律儀に順番を守ってた。
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しかし問題は指紋法が当時、最新の捜査方法だという事だった。裁判所はこのやり方で犯罪者を裁いたことがない。知見もない。
弁護側は当然そこを突く。状況証拠は真っ黒でも、確たる証拠は指紋を除けばないのだから。
「そもそもその、指紋法とやらは確かなのですか?」
警察は苦境に立たされた。
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エリート料理人街道まっしぐらのソワイエだけど、転機が訪れる。
1845年、アイルランドで飢饉が発生。
主食であったジャガイモが一斉に疫病に感染し、アイルランド人は飢餓に苦しんだ。イングランドの植民地であるアイルランドでは小麦はイングランドに流され、貧民はジャガイモを食べるしかない。
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政治家として大真面目に、栄養豊富なバナナを給食に提供しようとしたけど、予算が許さず、公約違反となってしまった。
代わりに、フルーツの提供を強化したようね。真面目な人だわ。
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早朝から2人の男が店から走り出していた証言がたちまち集まる。その1人は男が悪名高いチンピラのアルフレッド・ストラットンであると証言した。警察はストラットンのガールフレンドに聴取し、ストラットン兄弟が彼女からストッキングを事前に入手していた事、突然大金を持って家に帰ったことを証言する
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欲深いイングランド人の農主達はアイルランド人が飢えても構わず小麦を輸出したので、アイルランドの人口は最終的に半分になった。
この危機にソワイエが派遣されるけど、現地の状況にソワイエは衝撃を受ける。
痩せ細った人達に料理を届けようとしても、そもそも何もない。
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寧ろそのセンスが素晴らしいとアビンドン伯爵は大爆笑した。
「気に入った! お前の名前は今日からPOTOOOOOOOO! すなわち、ポテイトーズ(POT-8-Os)だ!」
こうして世界初の珍名馬ポテイトーズが誕生する。
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1939年、ナチスドイツはポーランドに侵攻。
ポーランドは元よりこれあるを予期していたものの、前大戦において国土そのものが戦場となっていたポーランドはそこから立て直すのがやっとのことで、ドイツに抗するのは最初から不可能。その上背後からはソ連まで攻めてきた。ポーランドは滅亡する。
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ところがチョーサーはこれを見てカンカンになった。
「泥棒メイドめ! 訴えてやる!」
こうしてスタッフォードは起訴される事になった。彼女からしたら理不尽極まりない。
「職務上の謂わば副産物です! 皆やってる事ですよ!」
「黙れ! 小さなことでも何度もやれば多額の損失だ!」
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ワースはドイツのどこかの貧しいユダヤ人の子として生まれた。
ワースが5歳の頃、両親は彼を連れてアメリカに引っ越す。父親は職を得たものの、ワースは何を思ったか10歳の頃に家出をして1人で生き始める。親から切り離され、都会に埋もれると、誰も彼の出自を知る者はいなくなった。
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次にソ連の要人を魅了したのはペプシだった。
1959年、モスクワで開催されたアメリカ産業博覧会で時の書記長だったフルシチョフにペプシ・コーラが振る舞われる(もちろんペプシコ社が後ろからプッシュしてた)。
フルシチョフは大いにこの飲み物を気に入り、たちまち半ダース開けた。げっぷ。