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1944年、連合軍はドイツに対する反攻作戦の狼煙を挙げる事を決定し、最大級の陸海空戦力を北フランス、ノルマンディーにぶつけようとしていた。
作戦名『オーバーロード』
ノルマンディーの海岸にはアメリカの地名にあやかって、『ユタ』、『オマハ』、『ジュノー』などとコードネームが付けられる。
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お昼のTIPS
童話とは歳を取ると共に訳が分からなくなるものもある。『ジャックと豆の木』もその一つね
主人公のジャック少年は牛を売りに行ったところ、道中、不思議な老人と出会い、天まで伸びる木の豆と牛を交換してしまう
怒った母親は豆を投げ捨てるも、翌朝、その豆は天まで伸びる大木になった
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無類のコーラ好きである連合軍総司令官アイゼンハワー元帥に勧められて飲んでみたところ、ジューコフは一撃でコーラに魅了された。
しかし戦後、米ソの外交関係は悪化。アメリカの象徴とも言えるコカ・コーラは輸入を禁じられる。飲みたくても飲めないジューコフ。元帥で国防大臣なのに。
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そうして、今でもノーフォーク大隊失踪の話はオカルティストの間で囁かれる有名な神隠しとなっている。
事実が分かったのは戦場を調査した結果、確かに遺骨や徽章が見つかったからだけど、イギリス・トルコ両国ともに依然として歯切れが悪くなる事件だけに、このオカルトはまだよく引用されてる。
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状況証拠や目撃証言で絞り込む事は出来る。しかし確たる証拠というのならもう自白に頼るしかなく、中世来、拷問が頻繁に用いられていた由縁だった。しかし『同意の下の警察行為』を掲げるロンドン警視庁に拷問の権限はない。
「なら……あの手で行くか」
しかし彼らには切り札があった。
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歳喰ってドラえもんとか読み返すとたまに衝撃受けるのよね。インターネットもない時代に専門家でもないのにこの情報を何故知り得たって。
大作家は読者と向き合う姿勢が違う。可能な限り誠実であるんとしてる事に気付く。たとえ相手が子供でも。
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また、彼女のビジネスモデルは美食を求める中流階級とキッチンメイド、或いは豪奢な料理を周りに誇示したい働き者の奥さんで成り立っていた。
1914年、第一次世界大戦が勃発。イギリスは没落し、またメイド達もメイドではなく工場労働者になる。
ヴィクトリア流の豪華な料理は時代遅れになった。
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現代でも海上自衛隊や海上保安庁など、軍人達に関わりが深く、また日本のどこの博物館にもないほどの武具の点数を誇ることから、『国宝の島』と大三島は呼ばれてる。
正しく日本の武の極みね。
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やがて1989年、ソ連崩壊手前における取り引きでは、なんとコーラの対価としてペプシコは戦艦3隻と17隻の潜水艦まで得るに至る。無論全部退役したスクラップとしてだけど、ペプシコは時のアメリカ大統領に誇らしげにこう言った。
「我々はあなた方よりも速くソ連に軍縮をさせている」
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慌てて帽子とエプロンを脱ぎ捨てたソワイエは群衆の中に混ざり、革命派のフリをしてその場をやり過ごすと、命辛々、イギリスへと亡命する。
当時のイギリスはメシマズ街道をまっしぐらに進み、フランス料理を礼賛、メニューでは意味もなくフランス語で料理名が記されるレベル。
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そう問われたら何も返せない。いやぁその言葉は極秘のコードネームでしてとは言える訳がない。
「……使ってはならない訳ではありません。しかし、どのような意図で使ったのですか!?」
「意図も何も…… ただのクロスワードパズルですよ!?」
尋問は長時間に渡った。
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1865年、イングランド北部ヨークシャーの大都市リーズの治安判事チョーサーに仕えていた女料理人、エリザ・スタッフォードは、料理の副産物として得られるドリッピング0.9キロを地元の洋裁師に売った
使用人がこうした役得にありつく事は当時珍しくなく、たとえば執事なんかはワインをがめてたりする
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限りある食材の中でソワイエは最善を尽くし、『貧者のスープ』と称される、可能な限り味と栄養に気を払った料理を届けた。それでも焼け石に水で、アイルランド人はばたばたと餓死し、祖国に見切りをつけてアメリカに渡る。
エリート料理人ソワイエの心に火が灯った。
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「ネプチューン、ジュノー、マルベリー!? 全部作戦に関連する極秘のコードネームじゃないか! 作戦が漏れてる!?」
職員は慌てて上司に報告し、MI5にアラートが鳴った。
「緊急事態! ドイツのスパイがクロスワードパズルを使って作戦を漏らしている可能性あり!」
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「エクリプスの子供で甘い汁吸う権利があるのは、エクリプスに張った俺だけだ。地獄にカネは持っていけんから、同じ事したけりゃ自己判断でカネを張れ。
さて、地獄行きか。エクリプス。お前も性格悪かったから地獄かもな。もしそうならあの世でも儲けさせてくれ!」
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19世紀のフランスに生まれたソワイエは修行を積んだ末、外務省お抱えのシェフとして栄達する。
しかし1830年、ナポレオン没落後、反動政治を布いていたブルボン王朝に対して七月革命が勃発。革命派が外務省にも殴り込んできて、ソワイエは命の危険に晒された。貴族の一味と思われて殺されかねない。
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