早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(リツイート順)

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元抑留者の林英夫さん。「私たちは日々『日本に絶対に帰ろう』と励まし合って過ごしていましたが、それを叶えることができずに亡くなっていった戦友たちが可哀想でなりません。ぜひ多くの皆様に抑留の事実を知っていただき、慰霊の気持ちを持っていただければと心からそう思っています」
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ルーマニア在住時、友人から「日本の皇室は世界最古の男系継承だろ? その伝統を大切にね」と言われた事がある。外国人のほうが日本の皇室の価値を分かっている場合もある。ちなみにルーマニアの王政は共産党によって廃止され、退位を強いられたミハイ1世は国外退去となった。
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今まで多くの戦争体験者の方々に取材してきたが、「河野談話だけは本当に許せない」という話を何度も聞いた。一人の方は「私も悔しいが、死んでいった戦友たちのことを思うと本当に悔しい」と泣き崩れた。その方も数年前に永眠。最後まで「歴史が正しく継承されていない」と憂いていた。合掌。
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歴史教科書の左傾化が進んでいます。教科書に相応しくない表現が増えています。このまま放置してはいけません。 「従軍慰安婦」「南京事件」自虐記述は適切か 皇室表現に疑問も sankei.com/life/news/2003… @Sankei_newsより
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パラオのペリリュー島で、地中に埋もれたままになっている旧日本軍の戦車の発掘調査が初めて行われています。戦車の内部には、戦没者のご遺骨が残されている可能性が高いとみられています。暗く狭く蒸し暑い場所から青空のもとに出し、そして祖国に故郷にと還してあげたいものです。
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平等や人権、反差別などを殊更に強調する人たちが行う「言葉狩り」や「揚げ足取り」によって、人々の多くが萎縮し、社会がどんどん窮屈になっている。大半の国民は一定の良識に従って暮らしているにもかかわらず、一部の過激な人たちによって世の中が悪い方向に引っ張られていくのは哀しい。
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知覧の特攻基地の近くで食堂を営んでいた鳥濱トメさんは、多くの特攻隊員から「お母さん」「おばちゃん」と親しまれた存在だった。遺族には出撃前の様子を綴った手紙を送り、戦後も隊員たちの供養を続けた。トメさんは平成4年に89歳で逝去。トメさんと特攻隊員たちの笑顔が心を揺さぶる。
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本日は「建国記念の日」。神武天皇の即位日である旧暦の1月1日(紀元前660年)を新暦に換算した日付です。戦前は「紀元節」と呼ばれていましたが、昭和23年、GHQによって廃止されました。戦後75年以上が経った今でも、GHQの意向に沿った呼称のままで良いのか疑問を感じます。
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渋谷暴動事件の大坂容疑者が再逮捕されたが、最近では中核派を知らない若者も増えているとか。「戦争の記憶の風化」はよく叫ばれるが、同じく語り継ぐべきは「戦後左翼の暴力史」。最近の左翼の過激化には看過できない面がある。「軍靴の足音」より「極左の足音」の方がよほど危険。
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最初の神風特別攻撃隊「敷島隊」は、フィリピンのマバラカット飛行場で編成された。現在、同地はフィリピンの人々の手によって維持されている。「どうして日本の政治家は、命を賭けて祖国を守った人々の慰霊に来ないのですか?」
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17歳の特攻兵である荒木幸雄伍長は、基地の周囲をチョロチョロと歩き回っていた子犬を可愛がっていた。小さな子犬に彼が付けた名前は「チロ」。荒木伍長は「チロ、大きくなれよ」と声をかけ、自身は特攻作戦を遂行するため出撃した。合掌。
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終戦後、満洲の日本人は大変な惨苦を味わった。木下梅子さんはこう記す。「朝鮮人や満人が大勢ガラスを割って、大声を上げながら家の中に侵入してきた。そして彼らは有無を言わさず、運送屋のように荷物(家財道具)をどんどん運んで行く。抵抗すれば殺される」「阿鼻叫喚の惨状」。史実の継承を。
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元兵士の方々の中にも、改憲派と護憲派がいます。問題は結論ありきの偏った取材が横行していること。ある方はこう話していました。「新聞記者が『平和は大事ですよね』と言うので『はい』と答えたら、記事では私が『平和憲法を守れ』と話したように書かれていて驚きました。私は改憲派なのに」。
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特攻隊員となる少年飛行兵の教官役だった藤井一陸軍中尉は「お前たちだけを死なせない。自分も後から必ず行く」が口癖だった。しかし、妻子のある藤井に特攻命令はなかなか出ない。その事実を知った妻・福子は、夫の願いを叶えるために入水自殺。藤井の特攻はこうして叶った。合掌。
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韓国の文在寅大統領が「三・一運動」に関して「約7500人の朝鮮人が(日本側によって)殺害された」という趣旨の発言。果たして、この数字は史実に沿ったものと言えるのか。こういう問題は初動が重要。放置すれば間違った話が拡散し、更に肥大化する。政府は明確に抗議を。
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子どもの日を「拉致問題」について考える良い機会としたい。横田めぐみさんは拉致された当時、13歳の中学1年生。所属していたバドミントン部の練習を終えて下校している際に北朝鮮に拉致されました。それから今年で45年。日本という国が、真の意味で子どもを大切にする国家であってほしいと思います。
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大戦終結後、ソ連は北海道の北半分の占領を画策して千島列島への侵攻を開始。日本軍は占守島で迎撃し、大打撃を与えてこれを食い止めた。もしそこで戦わなければ、北海道は占領され、より多くの人命が失われたであろう。占守島の戦いがあったから、日本は分断国家にならずに済んだのである。
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写真の追加です。
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「軍靴の響きが聞こえる」といった使い古された表現。戦争への警鐘を鳴らすのはもちろん重要だが、現在の国際情勢に耳を澄ませれば、最も警戒すべき不協和音の源が中国であることは明らか。そのことに言及しない政治家、メディア、評論家、芸能人は信用できない。
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今朝の産経新聞より。共に頑張ろう。
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9条改憲も平和のための主張である。しかし、護憲派は改憲派に「好戦的」「戦争したいのか」などとレッテルを貼り、誹謗中傷を繰り返す。自称「平和主義者」が実はいかに排他的で暴力的かは、SNSの発達により完全に可視化された。もう一度記す。9条改憲も平和のための主張である。
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両陛下のパラオご訪問に私は同行取材しましたが、お二人は慰霊行事の合間に水族館に立ち寄られました。カクレクマノミを見た陛下は皇后陛下に「ニモだね」と優しく声をかけられ、お二人は微笑み合いました。初公開の話です。 【独自】ハゼ研究者の上皇陛下、新種発見…yomiuri.co.jp/science/202007…
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9月1日は一年で最も子どもの自殺が多い日。学校なんて仮病でズル休みしても良いし、行ったフリして海や山を見に行っても良い。むしろそうしろと言いたい。僕もそんな子どもだったけど、今日までノラリクラリと生きてきたら、思ったより良い事あったよ。本当だよ。
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俺が死んだら何人泣くべ 特攻隊員(第23振武隊)前田敬の遺書。享年23。 合掌。
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政治家の中にも「過剰な中国批判は控えよう」という声があるようですが、戦前の日本にもナチスドイツに対して同じような態度を示した派閥があり、それが国を大きく誤った一因となりました。昭和史の重要な教訓です。