早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(リツイート順)

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私の第二の故郷であるルーマニア(2年ほど暮らしていました)が、中国企業と結んでいた原発建設協定を破棄する英断を下しました。「一帯一路」に大きな打撃になることは間違いありません。東欧ではチェコも「脱中国」に舵を切りました。中国に対する国際社会の見方が大きく変化しています。
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ルーマニア人の友人から聞いたのですが、首都・ブカレストに新しくできる地下鉄の駅の一つを「トウキョウ」という駅名にする予定があるそうです。これまでの日本のODAに対する感謝の気持ちを表すためなのだとか。実現したら嬉しいですね。温かな気持ちの連鎖が広がるといいなと思います。
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今日は樋口季一郎中将の命日。満洲国で多くのユダヤ難民を救出し、終戦後には占守島の戦いによってソ連の北海道占領を防いだ樋口は、昭和45年10月11日、老衰のため亡くなりました。享年82。晩年の樋口は食事のたび、妻の静子に「ママ、ありがとう」と手を合わせていたそうです。
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終戦直前、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に宣戦布告。満洲国への侵攻を開始した。当時、150万人以上いた在留邦人は日本に引き揚げることになったが、その途中、ソ連軍兵士や中国人の暴民らから数え切れないほどの殺戮や略奪、強姦などを受けた。「満洲大虐殺」と私は名付けたい。
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ペリリュー守備隊長の中川州男大佐は、米軍の上陸戦が始まる前に、島民と在留邦人に対して他の島への疎開指示を徹底。その結果、同島では熾烈な戦闘となったにもかかわらず、民間人への被害は極力抑えられた。その事に関して、今も感謝の言葉を述べるペリリューの人々は少なくない。
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本日は「建国記念の日」。神武天皇の即位日である旧暦の1月1日(紀元前660年)を新暦に換算した日付です。戦前は「紀元節」と呼ばれていましたが、昭和23年、GHQによって廃止されました。戦後75年以上が経った今でも、GHQの意向に沿った呼称のままで良いのか疑問を感じます。
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占守島の戦いを指揮し、ソ連による北海道分断計画を阻止した陸軍中将・樋口季一郎の直筆の書。「真に徳のある者は孤独ではない」という意味。樋口は満洲で多くのユダヤ人を救出した「オトポール事件」の指導者でもある。もっと多くの人に知ってほしい人物。
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「岐阜新聞」に樋口季一郎中将に関する記事が出ました。占守島の戦いの教訓からウクライナ侵攻を読み解こうとする内容です。良い記事だと思います。 「終戦直後」ソ連侵攻に立ち向かう 占守島の自衛戦決断した旧陸軍軍人|岐阜新聞Web gifu-np.co.jp/articles/-/530…
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沖縄から本土に向かう学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦の魚雷攻撃によって撃沈されてから今日(22日)で76年。犠牲者数は子供を中心に1500人近くにも及びます。沈没現場の海は荒れており、子供たちの泣き叫ぶ声は、少しずつ消えていったと伝わります。何年経っても鎮魂の思いを寄せたいものです。
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パラオ・ペリリュー戦からの帰還兵である永井敬司さんから聞いた言葉。「日本を守るためですよ。内地で暮らす家族や女性、子供を守るため。私たちは太平洋の防波堤となるつもりでした。そのために自分の命を投げ出そうと。そんな思いで懸命に戦ったのです」。永井さんは2019年11月4日に御逝去。合掌。
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真珠湾攻撃と言えば、大規模な航空部隊による戦闘が想起されるでしょうが、暗い海中を進んで魚雷を発射する特殊潜航艇で戦った方々もいました。戦死した9名は「軍神」とされましたが、敗戦後は「戦争協力者」等と評価が一変。まさかの「悪者扱い」に遺族は涙を流しました。合掌。
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日ソ中立条約を破棄したソ連は南樺太にも侵攻。真岡郵便局で働く女子職員には疎開指示が出たが、彼女達は「職務を全うしたい」と通信業務を続行。彼女達は最後、本土に向けて「皆さんこれが最後です。さよなら、さよなら」との言葉を残し、服毒による自決を図った。結果、9名の若き命が散った。合掌。
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ルーマニアには日本のことを「ツァーラ・ソアレルイ」と呼ぶ言い方があります。これは「太陽の国」「日出ずる国」という意味。ルーマニア在住時、友人たちと朝まで飲んだ際、明るくなりつつある東の空を指して、一人がこう言って微笑んだことをよく覚えています。「君の国はあの下にあるんだね」
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フィリピンで「カミカゼ・ミュージアム」を運営していたダニエル・ディソンさん(故人)。幼少時、多くの日本兵と親しくなり、餅や芋をもらったという。「ヤマカワという名の中尉が私のことを『自分の小さな弟によく似ている』と言って可愛がってくれました。よく手を繋いで一緒に散歩したんですよ」
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8月15日。 日本人が戦争と平和について深く思いを寄せるべき日。 戦時中、多くの方々が「未来の日本人のために」との思いで身命を賭して戦いました。 そんな戦没者の「みたま」に哀悼の誠を捧げることは、言わば当然の行為ではないでしょうか。 「未来の日本人」の一人として。
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特攻隊員たちの達筆には心打たれる。翻って戦後社会に目を移すと、政党の党首を務めた政治家でさえこの有様。書は人なり。平和への覚悟の違いに天と地ほどの差があるようにも見える。
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産経新聞より。拡散お願いします。
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5月27日は「子犬を抱いた特攻兵」として有名な荒木幸雄の命日。荒木の属する第72振武隊は自らを「ほがらか隊」と呼んだが、彼らは昭和20年5月27日、鹿児島県の万世飛行場から出撃。荒木の搭乗機は、沖縄本島中部に広がる金武湾の東方において、敵駆逐艦に突入した。享年若く17。合掌。
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樋口季一郎中将の功績を伝えるニュースが、NHK北海道で放送されました。関心を持つ方が増えて嬉しく思います。 旧ソビエト軍の千島列島侵攻時 防衛指揮した司令官の孫が講演|NHK 北海道のニュース www3.nhk.or.jp/sapporo-news/2…
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2月22日は竹島の日。韓国による不法占拠が続く竹島ですが、国民がより史実への理解を深め、声を上げていく必要があります。この不法占拠により、理不尽な不利益に晒されて苦しんでいる地元の人たちが大勢います。竹島の日は、日本人にとってとても大切な日です。
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特攻隊員の方々の遺書より。享年は左の前原軍治曹長が24、右の小野田務少尉が19。内容はもちろんだが、戦前の青年の達筆さには心打たれる。
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特攻隊「ほがらか隊」の一員だった千田孝正伍長(戦死後、少尉)の遺詠。享年18です。
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ペリリュー戦からの帰還兵である永井敬司さんの言葉。「日本を守るためですよ。内地で暮らす家族や女性、子供を守るため。私たちは太平洋の防波堤となるつもりでした。そのために自分の命を投げ出そうと。そんな思いで懸命に戦ったのです」。そんな永井さんも2019年11月4日に御逝去。合掌。
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パラオのペリリュー州では、4月9日が祝日になっている。これは2015年4月9日に天皇皇后両陛下(現・上皇上皇后両陛下)がペリリュー島を訪問したことを受けて制定されたもの。「天皇皇后両陛下ご訪問の日」である。日本人とパラオ人、一緒に祝福しましょう。
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今日は北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの誕生日。拉致当時13歳だっためぐみさんは58歳に。長い年月を思うとやり切れません。それから若い人はあまり知らないそうなので書きますが、小泉訪朝以前は一部の政治家やメディアが「北朝鮮が拉致などする筈がない」と主張していました。嘘のような本当の話。