早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(リツイート順)

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17歳の特攻兵である荒木幸雄伍長は、基地の周囲をチョロチョロと歩き回っていた子犬を可愛がっていた。小さな子犬に彼が付けた名前は「チロ」。荒木伍長は「チロ、大きくなれよ」と声をかけ、自身は特攻作戦を遂行するため出撃した。合掌。
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少数派の意見にも耳を傾けるのは大事なこと。しかし、日本の場合、いくらなんでもノイジーマイノリティの意見を聞きすぎている。ノイジーマイノリティが社会をどんどん窮屈にしている。「多数派が間違っていて少数派が正しい」という前提などない。
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かつてソ連軍は日本人に何をしたか。昭和20年8月14日、満洲国・興安街から退避していた一般住民をソ連の戦車部隊が包囲。無差別攻撃により多くの人々が虐殺された。戦車は遺体も重傷者も踏み付けながら走った。千数百人いた避難民の内、日本に帰国できたのはわずか百余名。これを葛根廟事件という。
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スターリンは50万人もの日本人将兵を捕虜とする命令を極秘に発令。結果、57万人以上もの日本人がシベリアなどに強制連行され、多くの方々が無念の思いを抱えたまま絶命されました。この明確な国際法違反は、今に到るまで全く裁かれていない。 映画『ラーゲリより愛を込めて』lageri-movie.jp
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「戦争の記憶」と同じく、しっかりと語り継ぐべきは「共産主義の歴史」。私が住んでいたルーマニアはもちろん、他の東欧諸国、ソ連、中国、カンボジア等々、多くの国々において、戦争よりも共産主義によって人々の命が奪われてきた。これは義務教育で丁寧に教えるべき案件。過ちを繰り返さないために。
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ルーマニア在住時、友人に「日本の国会では共産党が議席を持っている」と教えたら、みんな驚愕していました。ルーマニアは共産党に国を破壊された歴史を持っていますから。「日本では公共放送に共産党の議員が出演して偉そうに話しているよ」とも教えたのですが、これは信じてもらえませんでした。
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占守島の戦いでの池田末男大佐の言葉。「もはや降魔の剣を振るう他はない。諸子は今、赤穂浪士となり恥を忍んでも将来に仇を報ぜんとするか、或いは白虎隊となり玉砕をもって民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか」。この玉砕覚悟の戦闘によって、ソ連の北海道占領の野望は挫かれた。
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学生時代に思った。「ナチスドイツのジェノサイドに対し、イギリスやフランス等のメディアや国民は何をしていたのか?なぜ早くに止められなかったのか?」。今、中国共産党がウイグルやチベットで行っているジェノサイドに対し、日本のメディアや国民は何をしているのか?私たちがすべき事とは何か?
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産経新聞より。ありがとう台湾!
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かつてフジテレビ系列で放送されていた『発掘! あるある大事典II』は、データ捏造で番組打ち切りとなった。『バイキング』も打ち切りで良いと思う。 『バイキング』都内の“人混み”映像で訂正・謝罪 3月撮影のものを放送(オリコン) - Yahoo!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200520-…
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「美しい国」を目指した安倍晋三元首相。そのお別れの日、東京の街には長い長い列が生まれました。その列はとてもとても美しいものでした。
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昭和19年8月22日、沖縄から本土に向かう学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦の魚雷攻撃によって撃沈されました。犠牲者数は子供を中心に1500人近くにも及びます。沈没現場の海は荒れており、子供達の泣き叫ぶ声は少しずつ消えていったと伝わります。何年経っても鎮魂の思いを寄せたいものです。合掌。
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4月22日は「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんの命日。知覧で食堂を営んでいたトメさんは、多くの特攻隊員から「お母さん」「おばちゃん」と親しまれた存在だった。遺族には出撃前の様子を綴った手紙を送り、戦後も隊員たちの供養を続けた。トメさんは平成4年に89歳で逝去。今は隊員たちと共に。
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最近では中核派を知らない若者も増えているとか。「戦争の記憶の風化」はよく叫ばれるが、同じく語り継ぐべきは「戦後左翼の暴力史」。現状「軍靴の足音」より「極左の足音」の方がよほど危険。 埼玉の民家で飛翔弾発見 中核派拠点を爆取法違反で捜索 sankei.com/affairs/news/1… @Sankei_newsより
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「勤労感謝の日」の本来の姿は「新嘗祭」。稲の収穫を祝い、翌年の豊作を祈願する日で、宮中恒例祭典の中でも最も重要なものとして位置付けられています。しかし、戦後、GHQの占領政策により「勤労感謝の日」という名に変えられました。私は「新嘗祭」に戻したほうが良いと思っています。
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中国人女子テニス選手が元副首相から性的暴行を受けたと告白してから消息不明になっている件につき、米国は深い懸念を表明。他の人権侵害も含め、北京五輪に影響が出るのは間違いない。だが、日本の反応は極めて鈍い。東京五輪の中止を強硬に主張した「人権派」は、北京五輪にこそ声を上げるべきでは?
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「歴史人」6月号では「占守島の戦い」についての記事も監修・執筆しました。日本軍がソ連軍の侵攻を跳ね返し、戦後の日本が分断国家になる道を阻止した重要な戦いです。教科書でしっかり教えるべき史実だと思います。
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大東亜戦争を泥沼化させた最大の要因は、新聞をはじめとする各種メディアだった。そして今回のコロナ禍においても、不正確な情報を垂れ流し、社会不安を煽り、人々の生活を最も破壊したのは、テレビのワイドショーなどのメディアだったのではないか。歴史は繰り返されたのである。
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11月3日は文化の日ですが、戦前は「明治節」。明治天皇の誕生日を祝う日でした。しかし、大東亜戦争の終結後、GHQの一方的な勧告により、名称の変更を強いられました。占領下において祝日まで変えられたわけです。私は歴史的意味に沿った本来のあるべき名称に戻すべきだと思います。
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台湾南部の農業の発展のため、烏山頭ダムを建設した八田與一。台湾では「最も尊敬すべき日本人」とも称され、その功績は教科書にも記載されている。そんな八田も1942年、乗っていた客船が米軍の攻撃に遭い死亡。敗戦後、八田の妻はかつて夫がつくったダムに身を投げて後を追った。合掌。
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「多くのユダヤ難民を救出」し、「ソ連による北海道分断を阻止」した樋口季一郎陸軍中将の功績がこれまで充分に語り継がれてこなかったのは、外交官だった杉原千畝とは異なり、樋口が軍人だったことに大きく起因します。しかし、軍人の生涯も是々非々で冷静に評価すべきではないでしょうか。
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8月15日を過ぎても、実は戦いは終わらなかった。ソ連は樺太や占守島などへ不法侵攻。満洲ではソ連軍兵士や中国人暴民らが日本人への殺戮や略奪、強姦などを繰り返した。その惨劇は「満洲大虐殺」と言えるほどのものであった。シベリア抑留の悲劇もここから始まっていく。合掌。
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先の大戦に関し、未だに日本とドイツを同列に並べて語ったり、「日本は加害者として相手が納得するまで謝罪するべき」と述べる人物がメディアに出ている状況には、国民もさすがにウンザリしているのではないか。いくら史実をもって丁寧に検証しても、彼らの史観は揺るがない。史実より思想なのである。
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知覧の特攻基地の近くで食堂を営んでいた鳥濱トメさんは、多くの特攻隊員から「お母さん」「おばちゃん」と親しまれた存在だった。遺族には出撃前の様子を綴った手紙を送り、戦後も隊員たちの供養を続けた。トメさんは平成4年に89歳で逝去。トメさんと特攻隊員たちの笑顔が心を揺さぶる。
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ルーマニア在住時、友人に「日本の国会では共産党が議席を持っている」と教えたら、みんな驚愕していました。ルーマニアは共産党に国を破壊された歴史を持っていますから。「日本では公共放送に共産党の議員が出演して偉そうに話しているよ」とも教えたのですが、これは信じてもらえませんでした。