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パラオ・ペリリュー島の大酋長であるイサオ・シゲオさんが、今月8日に亡くなられたとのこと。イサオさんは日本兵の遺骨収集に親身に協力されていました。パラオ取材の際には、優しい眼差しで思いを話してくれました。「一人でも多くの日本兵を祖国に帰してあげたい。彼らのことを忘れないで」。合掌。
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東京への空襲というと3月10日のものが有名ですが、5月25日にも大規模な空襲(山の手大空襲)がありました。500機近くのB29が約3300トンもの焼夷弾を投下。渋谷区の7割以上が焼き尽くされ、3600人あまりの方々が亡くなりました。この空襲のこともぜひ知ってほしいと思います。合掌。
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多くのユダヤ難民を救い、占守島の戦いによって日本をソ連の分断から守った樋口季一郎中将ですが、その功績は長く埋もれてきました。彼が陸軍軍人だったことが最大の理由でしょう。しかし、軍人を一括りにするのではなく、是々非々で評価する姿勢こそ、歴史を大切にするという事ではないでしょうか。
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「和を以て貴しとなす」という第一条が有名な十七条憲法ですが、第十条「共に是れ凡夫のみ(人はみな不完全で欠点だらけ)」の一節も趣き深い。だからこそ「和を以て貴しとなす」なのでしょう。これをわざわざ憲法に書き込むのも日本人らしい知恵と感性。やはり日本人の民族性に寄り添った憲法が良い。
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陸上自衛隊のヘリコプター事故が報じられていますが、実は自衛隊では毎年、殉職者が出ています。令和4年度の自衛隊殉職隊員追悼式で新たに追悼されたのは35柱。殉職隊員の累計は2000人以上に及びます。彼らのような存在があって、我々の日常は保たれています。合掌。
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昭和20年3月10日の東京大空襲は、民間人を標的とした無差別爆撃で国際法違反。しかし、後の東京裁判では全くの不問に付された。空襲の指揮官だったカーチス・ルメイは後にこう語っている。「もし、われわれが負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸い、私は勝者の方に属していた」
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本日は台湾の「二・二八事件」記念日。1947年、中国国民党の弾圧により2万人以上の台湾人が虐殺された。日本人の父と台湾人の母を持つ弁護士・坂井徳章は、そんな中で治安維持に奔走。多くの台湾人の命を救ったが、中国側に逮捕され、拷問の末、極刑に。銃殺直前「台湾人、万歳」と叫んだ。合掌。
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私がかつて暮らしていたルーマニアは、ウクライナと国境を接している。ルーマニア人の友人らと連絡を取ると「メディアは戦争報道一色」「戦火拡大に対する国民の不安は極めて深刻」とのこと。日本の国会で「10年以上前のヤジ」や「総理のお土産」が議論されていることは、恥ずかしくて言えない。
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特攻隊員だった富沢幸光が両親に宛てた遺書。「お正月も来ました。幸光は靖國で二十四歳を迎える事にしました。靖國神社の餅は大きいですからね。(略)正月になったら軍服の前に沢山御馳走をあげて下さい。雑煮餅が一番好きです。ストーブを囲んで幸光の想い出話をするのも間近でしょう」。合掌。
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スターリンは50万人もの日本人将兵を捕虜とする命令を極秘に発令。結果、57万人以上もの日本人がシベリアなどに強制連行され、多くの方々が無念の思いを抱えたまま絶命されました。この明確な国際法違反は、今に到るまで全く裁かれていない。
映画『ラーゲリより愛を込めて』lageri-movie.jp
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真珠湾攻撃と言えば、大規模な航空部隊による戦闘が想起されるでしょうが、暗い海中を進んで魚雷を発射する特殊潜航艇で戦った方々もいました。戦死した9名は「軍神」とされましたが、敗戦後は「戦争協力者」等と評価が一変。まさかの「悪者扱い」に遺族は涙を流しました。合掌。
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映画「パール・ハーバー」を私はクロアチアの首都ザグレブの映画館で観た。上映後の館内では、私への視線が集中したが、一人の男性が「この映画をどう思った?」と聞いてきたので「面白かったよ。いいコメディだったね」と答えたら、周囲からも笑い声が上がるほどウケた。今夜は良い試合を!
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米NPO、旧日本兵の日章旗240枚を遺族会に返還 sankei.com/article/202212… @Sankei_newsより