早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(リツイート順)

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【ジョーク】  中国人が日本人に言った。 「自分の意見を絶対に正しいと思っている人間は愚かだ」  それを聞いた日本人が尋ねた。 「なるほど。だが、あなたのその意見は本当に正しいのだろうか?」  中国人は言った。 「もちろん、絶対に正しい」
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門田隆将さんと「樋口季一郎」について対談した「歴史チャンネル」のダイジェスト動画の後編です。「キスカ島撤退作戦」や「占守島の戦い」について話しています。とても重要なテーマです。宜しくお願い致します。
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終戦後、ソ連軍は南樺太にも侵攻。追い詰められた大平炭坑病院の看護婦たち23名は、手首にメスを入れるなどして集団自決。生き残りの一人である鳴海寿美さんは、私の取材に対し「自決前に皆で歌を唄いました。皆、本当にいい人たちでした」と言ってうつむいた。彼女の手首には、深い傷跡が残っていた。
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樋口季一郎の名前がある「ゴールデンブック」とは、在イスラエルのJNF(ユダヤ民族基金)が保管する献金記帳簿のこと。私はエルサレムで実物を確認しましたが、その第6巻に樋口の名があります。樋口ビザによって助けられたユダヤ人たちが、感謝の気持ちを込めて樋口の名で記帳したものです。
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【取材余話No.21】終戦後、ソ連軍は南樺太にも侵攻。追い詰められた大平炭坑病院の看護婦たち23名は、手首にメスを入れるなどして集団自決。「哀しい思い出です」と語る生き残りの一人・鳴海寿美さんの手首には、深い傷跡が残っていた。鎮魂碑は札幌護国神社内に建つ。(取材日2010.11)
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最近、何かと話題の小西洋之議員のツイッターを見てみようと思ったらブロックされていました。苦笑い。名誉かな。
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今日は外交官、奥克彦さんの命日。早大ラグビー部出身の奥さんは、外務省に入省後、イラクの復興支援等に尽力。そんな彼の夢がラグビーW杯の日本招致でした。しかし、2003年11月29日、奥さんはイラクで武装勢力に襲われ逝去。仲間達に託された彼の夢が実現したのは2019年のことでした。
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徴用工問題の整理(外務省資料)①終戦前、朝鮮半島出身者は約200万人②その半数は徴用令の施行前に渡航③残りの7割は個別渡航と出生による自然増④残りの3割は自由契約にて渡来⑤国民徴用令による被徴用者はごく少数⑥国民徴用令は朝鮮半島出身者を含む日本国民全般が対象⑦所定の賃金を支給
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東京五輪に向けて、こんな話があったことにも興味を持っていただけたらと思います。 馬術「金」バロン西のむち返還 32年五輪のLAから遺族へ - 産経ニュース sankei.com/article/202107…
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朝鮮半島情勢が緊迫の度合いを強め、戦後日本の防衛政策の本質が厳しく問われる中で、相も変わらず政局に没入する議員の姿を見ていると、憤りを超えてむしろ喜劇のように映る。主権在民の日本では、そんな議員を選んだ有権者の責任が問われることになる。三流喜劇のプロデューサーは国民。
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今夏は下記2冊を刊行。戦争を改めて考える一助になれば幸いです。 『戦時下のノーサイド 大学ラグビー部員たちの生と死』(さくら舎)amazon.co.jp/dp/4865813497/… @AmazonJPより 『祖父が見た日中戦争 東大卒の文学青年は兵士になった』(扶桑社)amazon.co.jp/dp/4594091105/… @AmazonJPより
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「和を以て貴しとなす」という第一条が有名な十七条憲法ですが、第十条「共に是れ凡夫のみ(人はみな不完全で欠点だらけ)」の一節も趣き深い。だからこそ「和を以て貴しとなす」なのでしょう。これをわざわざ憲法に書き込むのも日本人らしい知恵と感性。やはり日本人の民族性に寄り添った憲法が良い。
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ナチス迫害のユダヤ人受け入れ 樋口季一郎氏の顕彰会発足 kobe-np.co.jp/news/awaji/202…
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夏の甲子園も中止の方向との報道を聞いてから、高校球児である長男と久しぶりにキャッチボール。彼が小学生の頃、週に何度も一緒に練習したグラウンドにて。無念のこもった彼の一球一球をただ受け止めた。高校生がこれだけ我慢しているのに、大人のパチンコなんぞが許されてたまるか。
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「絶対に帰ると言いながらこの世を去った元島民の先輩、祖父母の思いを胸にふるさとを訪ねる」。元島民の方の言葉が重い。 北方4島元島民ら自由訪問、色丹島へ60人出発:読売新聞 yomiuri.co.jp/national/20180…
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戦時下の昭和17年、朝日新聞社ではなく文部省の主催により、夏の甲子園大会が開かれました。この大会は主催者の違いにより公式記録として認められていないため「幻の甲子園」と呼ばれています。優勝したのは徳島商業。球児たちは「この大会が終わったら戦争」との思いで懸命に白球を追いました。