早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(リツイート順)

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熱海市伊豆山の興亜観音にある「殉国七士の揮毫」。いわゆる「A級戦犯」とされた七名が、処刑直前に手錠をかけられたまま揮毫したものである(現物は金沢市の宗林寺に保存)。七名に関しては様々な評価があって然るべきだが、少なくとも東京裁判の判決に引き摺られない視点を保つことが第一歩。
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安倍首相が真珠湾を訪問して「謝罪」ではなく「和解」の力を示し、新たな時代を開こうとする一方、鳩山元首相が中国の重慶を訪れ、戦時中の空爆を詫びたのは極めて対象的。中国にとっては、鳩ならぬ絶好の「カモ」。これでは重慶が「第二の南京」にされてしまう。安直な謝罪行脚は百害あって一利なし。
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多くの国難に直面する現在の日本ですが、目の前の諸問題に対して適切に対応するためにも、これまでに培われてきた日本の伝統や文化を改めて見直す作業が重要ではないでしょうか。「日本の良さ」の中には、過剰な悲観主義に陥ることなく前向きに生きていくための教訓が凝縮されていると思います。
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感染者数は少しずつ減少しているようですが、GW期間中の油断は取り返しのつかない事態を招くかもしれません。中間テストで少し成績が上がったくらいで大いに調子に乗り、期末テストで地獄を見た経験のある愛すべき皆様、あの時の後悔を思い出しましょう。もちろん私もその一人であります!
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【取材余話No.11】C級戦犯としてフィリピンのモンテンルパ刑務所に収監された宮本正二さん。「11人の現地住民を殺害した」という全く身に覚えのない容疑だった。戦友は「死にたくない」と絶叫して刑場の露と消えた。(取材日2015.12)
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大変お世話になりました。私こそ学びの多い、かつ楽しい時間となりました。ありがとうございました。ご視聴いただいた皆様にも心より御礼申し上げます。 twitter.com/arimoto_kaori/…
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浅草演芸ホールが「寄席は社会生活の維持に必要」として、緊急事態宣言中も感染対策をした上で通常営業。ちなみに戦時下の東京大空襲の際、わずか3日後には神楽坂演芸場名人会が焼け跡の中で開催され、客席も満員になりました。昔から「お笑い大好き」な日本人。苦難にある時こそ「笑い」を大切に。
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昭和20年6月21〜22日、沖縄戦における最後の組織的な特攻作戦となる「菊水十号作戦」が行われました。一連の菊水作戦により、海軍で約2000名、陸軍で約1000名の方々が特攻により戦死したとされています。菊水十号作戦に参加した溝口幸次郎は遺書にこう綴っています。「現在の一点に最善を尽くせ」。
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日本海軍には多くの隠語があり、「結婚する」を「マリる」、「鼻の下を伸ばす」を「ロング」、「梅毒」を「プラム」などと称した。70年以上前の軍人さんといえども、今の若者とさして変わらない表情も持っていた。そんな彼らが身命を賭して戦い、斃れていったのが先の大戦の素顔。合掌。
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8月23日(火曜)20時から、ジャーナリスト有本香さんのネット番組【有本 香Channel】に出演します。樋口季一郎陸軍中将のことなどを話す予定です。ぜひご覧ください。 有本 香Channel ch.nicovideo.jp/arimotokaori #nicoch
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私の「第二の故郷」であるルーマニアは、ウクライナと国境を接しています。友人のルーマニア人たちからの連絡によると、ルーマニアでもかつてないほど緊張が高まっているそうです。もし戦争になれば、難民の問題も発生するでしょう。平穏な日々が守られることを祈ります。
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取材依頼の際、先方から「どんな取材ですか?」と不安がられる事が10年前より増えた。世間のメディアに対する信頼の失墜を感じるが、酷いジャーナリストや記者が本当に多いので「マスゴミ」と呼ばれるのもやむなし。でも私の周囲には志ある編集者ばかり。彼らと力を合わせて一塊の自浄となれれば。
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大牟田捕虜収容所第十七分所所長を務めた福原勲大尉は戦後、一方的に捕虜虐待の容疑者とされ、C級戦犯として絞首刑の判決を受けた。彼は最期「大地を踏ませていただいて、ありがとうございます」と口にした。杜撰な裁判によってBC級戦犯とされ、命を奪われた人の数は約千人に及ぶ。合掌。
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旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナやコソボ自治州などを取材で巡った際、多民族地域ならではのこんな言葉を耳にした。「全人類を愛することは簡単だが、隣人を愛することは難しい」。時々、思い出す言葉です。
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海軍飛行予備学生・古川正崇は、手記にこう綴った。「戦争を憎むが故に戦争に参加せんとする、我等若き者の純真なる気持を知る人の多きを祈る」。その後、特攻隊員となった彼は、 トランプの一人占ひなどしつつ出撃までの時を過ごしつ と詠み出撃。沖縄近海にて戦死した。享年24。合掌。
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日本政府による経済制裁が効いてきているようだ。ロシアへではなく、日本国民への。
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「散る時には、立派な桜花となって散って行きます。その時は、家の子は『偉かった』とほめて下さいね」とは、沖縄戦の際に従軍看護婦として奔走した白梅学徒隊・大嶺美枝の言葉。その後の昭和20年6月9日、彼女は不帰の人となった。桜は美しい。合掌。
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多くのユダヤ難民を救い、占守島の戦いによって日本をソ連の分断から守った樋口季一郎中将ですが、その功績は長く埋もれてきました。彼が陸軍軍人だったことが最大の理由でしょう。しかし、軍人を一括りにするのではなく、是々非々で評価する姿勢こそ、歴史を大切にするという事ではないでしょうか。
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「過剰な批判」が「健全な批判」の邪魔になるのです。 twitter.com/260yamaguchi/s…
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日本海軍には多くの隠語があり、「結婚する」を「マリる」、「鼻の下を伸ばす」を「ロング」、「梅毒」を「プラム」などと称した。70年以上前の軍人さんといえども、今の若者とさして変わらない表情も持っていた。そんな彼らが身命を賭して戦い、斃れていったのが先の大戦の素顔。合掌。
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世の中には、同じ日本への批評でも「愛する日本を憂いての叱咤激励」もあれば、「日本を貶めたいだけ」とか「ただの悪口」などもあります。この部分をしっかりと見分けられる人が増えると、日本社会は良い方向に向かうと思います。
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パラオ・ペリリュー島の大酋長であるイサオ・シゲオさんが、今月8日に亡くなられたとのこと。イサオさんは日本兵の遺骨収集に親身に協力されていました。パラオ取材の際には、優しい眼差しで思いを話してくれました。「一人でも多くの日本兵を祖国に帰してあげたい。彼らのことを忘れないで」。合掌。
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台湾・飛虎将軍廟の祭神は杉浦茂峰という日本兵。台南航空戦の折、杉浦の零戦は被弾。降下先には集落があったが、彼は懸命に村への落下を回避。逃げ遅れた杉浦は機銃掃射により絶命。この恩に報いようと建立されたのが飛虎将軍廟。『世界の路地裏を歩いて見つけた「憧れのニッポン」』(PHP新書)より
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シベリア抑留 ロシアで発見の日本人文書 初開示 | NHKニュース www3.nhk.or.jp/news/html/2019…
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百田尚樹さん『日本国紀』読了。新版になり、樋口季一郎に関する記述がより充実していたことが嬉しい。主要参考文献の中に拙著もあって恐悦。