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沖縄戦の際、首里城は米軍艦「ミシシッピ」からの猛烈な砲撃などによって焼失。首里城の地下に設けられていた司令部や陣地では、重傷を負った多くの日本軍将兵が自決。宝物庫の財宝は、米兵に略奪されました。そんな悲劇から見事に蘇った首里城。互助、結束、不屈の心。また再建できると信じます。
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神武天皇が初代天皇に即位した地とされる橿原。「カシ林を開いて宮を築いた」という。カシは冬にも枯れない常緑樹で、永遠の治世を思わせる。明治帝は「橿原のとほつみおやの宮柱たてそめしより国はうごかず」との御製を詠んだ。戦後、神話は教育の場から排除されたが日本人にとって大切なもののはず。
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以前にウランバートルを訪れた際、とあるモンゴル人のご自宅で日本の大相撲中継を一緒にテレビ観戦したことがあった。そのモンゴル人はこう言った。「相撲を愛する日本人とモンゴル人はまさに兄弟」。今頃、その彼も心を痛めているだろう。親日派の多いモンゴル。両国の国民感情の悪化は避けたい。
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大東亜戦争に関する「失敗学」の研究はもちろん重要。しかし、米軍から「パーフェクトゲーム」と称されたキスカ島撤退作戦や、日本を分断から救った占守島の戦いなど、個々の「成功例」にも多くの教訓が含まれる。そういった成功があったからこそ、現在の我々が享受できている恩恵も少なくない。
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樋口季一郎がユダヤ難民を救出した「オトポール事件」については、新刊『大東亜戦争の事件簿』(扶桑社)で詳しく触れています。ソ連の北海道分割を阻止した占守島の戦いに関しても解説しています。是非とも宜しくお願いします。
大東亜戦争の事件簿―早坂隆 amazon.co.jp/dp/4594088236/… @AmazonJPより
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今日は「昭和の日」。未曾有の戦争とそこからの復興という激動期、多くの先人たちの知恵と努力があり、日本は今に至る。そこには無念の思いを抱えたまま、この世を去った者も多かった。感謝や鎮魂の気持ちを持って、国の歩みに思いを馳せたい。優しく、穏やかに。
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昭和48年生まれの私が高校生の時、ファストフード店でバイトした際の時給が630円(愛知県岡崎市)。シャツやジーンズは普通に1万円位したし、100円ショップなんて夢のような店もなく、両親は「値上げ」をいつも嘆いていた。私にとってバブル期とはそんな記憶。それほど良かった印象は正直あまりない。
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「ニューズウィーク」に寄稿した記事の全文を無料公開!中国共産党の掩蔽体質や、胡散臭いテレビコメンテーターなどを笑い飛ばします!
コロナウイルスで露呈した中国の本性(一応、ジョークです) newsweekjapan.jp/hayasaka/2020/…
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アメリカ政府は中国の新疆ウイグル自治区を「野外監獄」と指摘。米国連大使は「中国政府がジェノサイドをやめるまで声を上げ続ける」と表明した。かたや日本は「深い懸念」との表現を繰り返すのみ。恥ずべき「及び腰」である。最悪の人権侵害に対し、毅然と、堂々と立ち向かおう。日本の誇りにかけて。
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私の講演会にも意見の異なる方が来られ、質疑応答の際に議論になることもある。しかし、それが良い。そこから新たな知識の共有や、貴重な発見が生まれる。そんな大切な場を強引に排除しようとする態度は、ソ連やルーマニア、中国といった国々の手法を思い起こさせる。
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終戦後のソ連軍の不法侵攻により激戦の地となった占守島で、日本人による慰霊祭が行われました。日本軍守備隊の池田末男(戦車第11連隊連隊長)は出撃時、「民族の防波堤になる」と語ったと言われています。結句、池田は戦死しましたが、彼らの戦いがなければ、日本は「分断国家」となっていました。
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日本の夏はお盆(盂蘭盆会)に死者を供養する古くからの風習と終戦の日が相まって、世界的にも珍しい独特の雰囲気に包まれます。少しでも御霊の慰めとなるよう、静かに鎮魂の気持ちを送りたいものです。そして御霊が微笑まれるような「安らかな国づくり」を目指さねばと思います。
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パラオのペリリュー島など、海外に放置されたままになっている戦没者のご遺骨は、実に約112万柱。遺骨収集を「国の責務」と定めた推進法が成立して3年になるが、「ご遺骨の取り違え」が起きるなど、課題は山積している。遺骨収集は国と戦没者との大切な約束。戦没者を二度死なせてはならない。
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関東大震災の際、被災地で奔走したのが軍。地方の部隊を首都圏に派遣し、傷病者の救護や食糧の配給、交通通信網の復旧等に尽力した。言わば現在の自衛隊とほぼ同じ構図。戦前の日本軍が様々な問題を抱えていたのも事実だが、それで全てが語れるわけではない。是々非々による多面的な議論が必要。
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私がかつて暮らしていたルーマニアは、ウクライナと国境を接している。ルーマニア人の友人らと連絡を取ると「メディアは戦争報道一色」「戦火拡大に対する国民の不安は極めて深刻」とのこと。日本の国会で「10年以上前のヤジ」や「総理のお土産」が議論されていることは、恥ずかしくて言えない。
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戦争体験者の方々への取材が、いよいよ難しくなってきています。以前に取材させていただいた方々の訃報も増えました。本当に寂しい限りです。戦前戦中を生きた方々への取材は、あと数年がラストチャンスだと思うので、少しでも活字として記録しておくため、全力を尽くしたいと思います。
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フランス人の友人からメールで最新のジョークが届いたのだが、その内容があまりにフランス人らしくて苦笑。
「みんなで想像しよう。1年後、人類はコロナウイルス に打ち勝って、きっと笑っているよ。
私たちの内の何人かが」