早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(リツイート順)

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「正論」7月号に「樋口季一郎の遺訓と改憲論」と題した論文を寄稿。ユダヤ難民を救出し、ソ連による北海道占領を防いだ樋口ですが、彼は戦後に「憲法改正」を主張しました。人道派でありリアリストでもあった樋口の改憲論は、今こそ耳を傾けるべき重要な内容だと思います。
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沖縄戦の際、首里城は米軍艦「ミシシッピ」からの猛烈な砲撃などによって焼失。首里城の地下に設けられていた司令部や陣地では、重傷を負った多くの日本軍将兵が自決。宝物庫の財宝は、米兵に略奪されました。そんな悲劇から見事に蘇った首里城。互助、結束、不屈の心。また再建できると信じます。
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神武天皇が初代天皇に即位した地とされる橿原。「カシ林を開いて宮を築いた」という。カシは冬にも枯れない常緑樹で、永遠の治世を思わせる。明治帝は「橿原のとほつみおやの宮柱たてそめしより国はうごかず」との御製を詠んだ。戦後、神話は教育の場から排除されたが日本人にとって大切なもののはず。
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以前にウランバートルを訪れた際、とあるモンゴル人のご自宅で日本の大相撲中継を一緒にテレビ観戦したことがあった。そのモンゴル人はこう言った。「相撲を愛する日本人とモンゴル人はまさに兄弟」。今頃、その彼も心を痛めているだろう。親日派の多いモンゴル。両国の国民感情の悪化は避けたい。
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プロ野球開幕にあたって大事な史実を一つ。「伝説の投手」沢村栄治は戦時中、3度にわたって出征。昭和19年12月、フィリピンに向かう途中、乗っていた輸送船が魚雷攻撃に遭い戦死。享年27。写真は出生地、三重県伊勢市の墓。管理の困難さから昨年で「墓じまい」となったが、墓碑は残される予定。合掌。
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大東亜戦争に関する「失敗学」の研究はもちろん重要。しかし、米軍から「パーフェクトゲーム」と称されたキスカ島撤退作戦や、日本を分断から救った占守島の戦いなど、個々の「成功例」にも多くの教訓が含まれる。そういった成功があったからこそ、現在の我々が享受できている恩恵も少なくない。
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樋口季一郎がユダヤ難民を救出した「オトポール事件」については、新刊『大東亜戦争の事件簿』(扶桑社)で詳しく触れています。ソ連の北海道分割を阻止した占守島の戦いに関しても解説しています。是非とも宜しくお願いします。 大東亜戦争の事件簿―早坂隆 amazon.co.jp/dp/4594088236/… @AmazonJPより
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神々しい夕焼け。JR平塚駅より。
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今日は「昭和の日」。未曾有の戦争とそこからの復興という激動期、多くの先人たちの知恵と努力があり、日本は今に至る。そこには無念の思いを抱えたまま、この世を去った者も多かった。感謝や鎮魂の気持ちを持って、国の歩みに思いを馳せたい。優しく、穏やかに。
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昭和48年生まれの私が高校生の時、ファストフード店でバイトした際の時給が630円(愛知県岡崎市)。シャツやジーンズは普通に1万円位したし、100円ショップなんて夢のような店もなく、両親は「値上げ」をいつも嘆いていた。私にとってバブル期とはそんな記憶。それほど良かった印象は正直あまりない。
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「ニューズウィーク」に寄稿した記事の全文を無料公開!中国共産党の掩蔽体質や、胡散臭いテレビコメンテーターなどを笑い飛ばします! コロナウイルスで露呈した中国の本性(一応、ジョークです) newsweekjapan.jp/hayasaka/2020/…
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【取材余話No.12】フィリピンで「カミカゼ・ミュージアム」を運営するディソンさん。幼少時、多くの日本兵に可愛がってもらった。「ヤマカワという兵士と手を繋いで散歩しました。皆さん、優しくて凛々しかったですよ」(取材日2011.9)
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アメリカ政府は中国の新疆ウイグル自治区を「野外監獄」と指摘。米国連大使は「中国政府がジェノサイドをやめるまで声を上げ続ける」と表明した。かたや日本は「深い懸念」との表現を繰り返すのみ。恥ずべき「及び腰」である。最悪の人権侵害に対し、毅然と、堂々と立ち向かおう。日本の誇りにかけて。
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茨城県水戸市の茨城県護国神社に建つ「ペリリュー島守備部隊鎮魂碑」。ペリリュー戦における日本側の戦死者は10022名。両陛下のパラオご訪問以降、ペリリュー戦に関心を持つ方は増えているが、この地を訪れる人はまだまだ少ない。まずはその存在を知ってほしい。合掌。
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私の講演会にも意見の異なる方が来られ、質疑応答の際に議論になることもある。しかし、それが良い。そこから新たな知識の共有や、貴重な発見が生まれる。そんな大切な場を強引に排除しようとする態度は、ソ連やルーマニア、中国といった国々の手法を思い起こさせる。
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終戦後のソ連軍の不法侵攻により激戦の地となった占守島で、日本人による慰霊祭が行われました。日本軍守備隊の池田末男(戦車第11連隊連隊長)は出撃時、「民族の防波堤になる」と語ったと言われています。結句、池田は戦死しましたが、彼らの戦いがなければ、日本は「分断国家」となっていました。
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日本の夏はお盆(盂蘭盆会)に死者を供養する古くからの風習と終戦の日が相まって、世界的にも珍しい独特の雰囲気に包まれます。少しでも御霊の慰めとなるよう、静かに鎮魂の気持ちを送りたいものです。そして御霊が微笑まれるような「安らかな国づくり」を目指さねばと思います。
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パラオのペリリュー島など、海外に放置されたままになっている戦没者のご遺骨は、実に約112万柱。遺骨収集を「国の責務」と定めた推進法が成立して3年になるが、「ご遺骨の取り違え」が起きるなど、課題は山積している。遺骨収集は国と戦没者との大切な約束。戦没者を二度死なせてはならない。
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フィリピンで「カミカゼ・ミュージアム」を運営するダニエル・ディソンさん。「ヤマカワという名の中尉が私のことを『自分の小さな弟によく似ている』と言って可愛がってくれました。よく手を繋いで一緒に散歩したんですよ」『世界の路地裏を歩いて見つけた「憧れのニッポン」』(PHP新書)より
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ペリリュー戦の指揮官だった中川州男大佐は、熊本県玉名郡の出身。米軍の上陸前に住民を疎開させ、被害の拡大を抑えた。将兵にはバンザイ突撃を禁止。地下壕を駆使した抗戦により、米第一海兵師団に「史上最大の損害率」を与えた。熊本市の立田山に立つ彼の墓は、震災の復興途中の故郷を今日も見守る。
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【取材余話】台湾・飛虎将軍廟の祭神は杉浦茂峰という日本兵。台南上空での航空戦の折、杉浦の乗った零戦は被弾。機体の降下先には集落があったが、彼は零戦を懸命に操作し、村への落下を回避。逃げ遅れた杉浦は米軍の機銃掃射により絶命した。この恩に報いようと集落の人々が建立したのが飛虎将軍廟。
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関東大震災の際、被災地で奔走したのが軍。地方の部隊を首都圏に派遣し、傷病者の救護や食糧の配給、交通通信網の復旧等に尽力した。言わば現在の自衛隊とほぼ同じ構図。戦前の日本軍が様々な問題を抱えていたのも事実だが、それで全てが語れるわけではない。是々非々による多面的な議論が必要。
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私がかつて暮らしていたルーマニアは、ウクライナと国境を接している。ルーマニア人の友人らと連絡を取ると「メディアは戦争報道一色」「戦火拡大に対する国民の不安は極めて深刻」とのこと。日本の国会で「10年以上前のヤジ」や「総理のお土産」が議論されていることは、恥ずかしくて言えない。
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戦争体験者の方々への取材が、いよいよ難しくなってきています。以前に取材させていただいた方々の訃報も増えました。本当に寂しい限りです。戦前戦中を生きた方々への取材は、あと数年がラストチャンスだと思うので、少しでも活字として記録しておくため、全力を尽くしたいと思います。
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フランス人の友人からメールで最新のジョークが届いたのだが、その内容があまりにフランス人らしくて苦笑。 「みんなで想像しよう。1年後、人類はコロナウイルス に打ち勝って、きっと笑っているよ。 私たちの内の何人かが」