早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(リツイート順)

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昭和19年9月15日、米軍はパラオ・ペリリュー島への上陸戦を開始。中川州男大佐率いる守備隊は、米軍の進撃を止めるため決死の反攻。74日間に及ぶ激戦の末、日本側に1万人以上の犠牲者が出た。但し日本側が疎開指示を徹底したため、島民への被害の拡大は免れた。島には今も2200柱以上のご遺骨が眠る。
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「中国とのパイプ」を誇る政治家がいるが、そのパイプの内側では、何がどちらに向かって流れているのだろう。日本の国益を吸い上げて、せっせと中国に送っているようなパイプラインはないか。ダダ漏れだったり、日本側にだけ蛇口が付いていなかったりすることはないか。点検とリフォームが必要である。
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「正論」7月号に寄稿した「樋口季一郎の遺訓と改憲論」。ユダヤ難民を救出し、ソ連による北海道占領を防いだ樋口ですが、情報将校であった彼は戦後日本の「情報戦」に関する姿勢に強い危機感を抱き、遺稿として以下のように綴りました。このような状況は今も総じて変わっていないと思われます。
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許すまじ。【拡散希望】 日本赤軍の情報求める動画公開 警視庁 sankei.com/article/202202… @Sankei_newsより
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まだ発売前のようですが、ありがたいことに版元さんからご献本いただきました。これからじっくり拝読したいと思います。
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「日本人によるユダヤ難民救出」と言えば杉原千畝が有名ですが、樋口季一郎のことも知ってほしいと思います。樋口は杉原より2年も前にユダヤ難民へのビザ発給に尽力した陸軍軍人。その後、占守島の戦いを指揮し、北海道をソ連による分割から守った人物でもあります。
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このたび鎌倉市議会が小辻節三の顕彰を行いました。小辻は杉原千畝と並び、ユダヤ難民の保護のために尽力した人物。難民の日本での滞在日数を延長した小辻は「命のビザをつないだ男」と言われます。杉原の功績はもちろん素晴らしいものですが、他にも奔走した者たちがいたことを忘れてはいけません。
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大横綱・大鵬の孫(王鵬)が新十両に。大鵬は樺太出身で終戦時は5歳。引揚船で小樽まで帰る予定だったが、母親の船酔いが激しかったため稚内で下船。稚内を出た船はソ連の潜水艦によって撃沈された。少しの分かれ目の違いで、王鵬も存在しなかった。が、今を生きる大半の日本人も同じ。皆、奇跡の命。
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6月23日は沖縄戦で陸軍の組織的な戦闘が終結した「慰霊の日」。静かな鎮魂の場としたいが、偏向したイデオロギー活動に利用されている一面があることはあまりに哀しい。真摯に史実と向き合い、国民が心一つに哀悼の誠を捧げる一日としたい。
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「9.11」勃発時、私はルーマニアで暮らしていた。テレビでは評論家が「日本がヒロシマの復讐をした可能性がある」と真面目な顔をしてコメントし、周囲の出演者たちも頷いていた。ひどい番組だなと苦笑したものだが、最近の日本のワイドショーを観ていると、大して変わらないように思える。
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本日は「建国記念の日」。神武天皇の即位日である旧暦の1月1日(紀元前660年)を新暦に換算した日付です。戦前は「紀元節」と呼ばれていましたが、昭和23年、GHQによって廃止されました。戦後75年を迎えた今、現行の呼称のままで良いのか、議論を深める時期だと思います。
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日章旗74年ぶり返還 戦死の父の遺品、兵庫の息子へ  sankei.com/west/news/1903… @Sankei_newsより
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かつて「C級戦犯」としてフィリピンのモンテンルパ刑務所に収監された宮本正二さん。「11人の現地住民を殺害した」という全く身に覚えのない容疑だった。戦友の一人は「死にたくない」と絶叫し、刑場の露と消えたという。『世界の路地裏を歩いて見つけた「憧れのニッポン」』(PHP新書)より
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徴用工問題の整理(外務省資料)①終戦前、朝鮮半島出身者は約200万人②その半数は徴用令の施行前に渡航③残りの7割は個別渡航と出生による自然増④残りの3割は自由契約にて渡来⑤国民徴用令による被徴用者はごく少数⑥国民徴用令は朝鮮半島出身者を含む日本国民全般が対象⑦所定の賃金を支給
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横田めぐみさんの御両親である滋さんと早紀江さんが少し前に産経新聞に寄せた手記を読み返していたら「国会を見ていても『もっと重要な問題があるのに』とひどく悲しくなることがあります」との一文が目に留まった。メディアも含め、私たちはものごとの優先順位を間違えているのでしょうね。
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立ち往生の北陸道で積み荷のお菓子配る 菓子製造販売シャトレーゼのトラック sankei.com/affairs/news/2… @Sankei_newsより
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月刊「Hanada」5月号に寄稿した「幻の抑留者洗脳紙『日本新聞』」の全文がウェブで公開されました。抑留者に対する苛烈な赤化(共産主義)教育の実態について書きました。ぜひご一読ください。 今も洗脳は続いている!幻の抑留者洗脳紙「日本新聞」を読み解く|早坂隆 hanada-plus.jp/articles/692
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特攻隊員・渋谷健一には、幼い子供と身重の妻がいた。彼は遺書にこう書き記した。「父恋しと思わば空を視よ。大空に浮ぶ白雲に乗りて父は常に微笑みて迎う」。昭和20年6月11日、渋谷は特攻死。奇しくも同日、妻・光は男児を出産。周囲の者たちは「生まれ変わり」と驚嘆して号泣した。合掌。
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かつて左派運動を「革命ごっこ」と看破したのは評論家の江藤淳。江藤は「楯の会」の批判もしたが、総じて「ごっこ」とは「他人に見られること」を意識したものであり、そういった意味で「わたくしごと」「子供じみた運動」と断じた。今節の趨勢を見ていると今も同じか。江藤がいれば何と喩えるだろう。
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天皇、皇后両陛下が沖縄をご訪問。国立沖縄戦没者墓苑にご拝礼されました。これは令和になって初めてのことでした。県平和祈念資料館を見学された際には「本当に痛ましい」と呟かれたそうです。慰霊と鎮魂のため、同地を訪れる人が増えることを望みます。
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【ジョーク】  とある韓国人が言った。 「私が絶対に許せないのは、人種差別と日本人です」
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ニューヨークの国連本部で、66年前に日本から贈られた「平和の鐘」を鳴らして紛争解決を訴える式典が開催。グテレス事務総長は、日本の伝統技法「金継ぎ」に触れ「金継ぎをすると新品より良くなる。分断され、ひびの入った世界にもこうした思いで向き合い、危機から抜け出して強くなろう」と述べた。
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終戦後のシベリア抑留は広く知られるが、その中には現在のカザフスタンまで強制連行された方々もいた。その数、約3万7000人。その内、1500人ほどが死亡したとされ、ご遺骨の多くは今も当地に埋葬されたままになっている。カザフスタン抑留を歴史の闇に埋没させてはならない。
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「産経新聞」(8月9日付)のコラム「一筆多論」にて、拙著『大東亜戦争の事件簿』(育鵬社)が紹介されました。「葛根廟事件」に関しての引用です。是非ご一読下さい。
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7月11日から海上自衛隊の護衛艦「きりさめ」が、パラオのマラカル湾に錨泊しています。13日には「きりさめ」の乗員がコロール市内の旧海軍墓地を訪れ、戦没者の慰霊碑に献花を行いました。パラオ戦では、日本側に1万人以上もの犠牲者が出ました。島には今も約2200柱ものご遺骨が眠っています。合掌。