早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(リツイート順)

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旧日本軍の慰霊碑が建てられているガダルカナル島の土地が、中国企業に買収されて、立ち入れなくなっているとの情報。今後、エビ等の養殖場が建設される可能性があるという。ガダルカナル島は2万人近くもの犠牲者が出た悲劇の島。ご遺族の不安も高まっているという。何とかしなければいけない。
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「正論」での対談以来、ご無沙汰しております。「戦没者の遺骨収集はオールジャパンで取り組むべき」という主張に賛成です。1体でも多くのご遺骨が帰れますように。 @kennoguchi0821 twitter.com/kennoguchi0821…
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9月15日はペリリュー戦が始まった日。75年前の昭和19年9月15日、米軍はパラオ諸島のペリリュー島への上陸戦を開始。74日間に及ぶ激戦の末、日本側には1万人以上の犠牲者が出た。ただし、日本側が疎開指示を徹底したため、島民への被害の拡大は免れた。島には今も2200柱以上のご遺骨が眠る。合掌。
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ペリリュー戦を戦い抜いた元兵士・永井敬司さん。「桜が散る季節になると、どうにもたまらない気持ちになるんです。それは玉砕の時の『サクラ、サクラ、サクラ』という言葉と、戦友たちが散っていった場面がどうしても重なって思い出されるから。私にとって春というのはとても悲しい季節なんですよ」
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「正論」7月号に寄稿した「樋口季一郎の遺訓と改憲論」。ユダヤ難民を救出し、ソ連による北海道占領を防いだ樋口ですが、彼は戦後に「憲法改正」を主張しました。その一部を抜粋しますので、ぜひご一読いただければと思います。議論が深まることを切に願います。
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「正論」11月号に「『三船殉難事件』を告発する 埋もれたソ連の戦争犯罪」というルポを寄稿しました。三船殉難事件とは、終戦後に樺太から北海道へ引き揚げる人々を乗せた3隻の民間船が、ソ連の潜水艦に攻撃されて約1700名もの方々が犠牲になった事件です。鎮魂のためにも、史実の正しい継承を。 twitter.com/zasshiseiron/s…
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「占守島の戦い」は終戦後の昭和20年8月17日から始まった戦闘。千島列島の占守島に不法侵攻してきたソ連軍を日本軍が食い止めた戦いです。ソ連軍はそのまま南下して北海道の北半分を占領する計画でした。占守島で戦った方々のおかげで、日本は「分断国家」にならずに済んだのです。
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1919年、第一次世界大戦後に開かれたパリ講和会議において、日本は世界の先進国で初めて「人種差別の撤廃」を明確に主張。しかし、この提案はアメリカやイギリスの反対によって否決されました。日本は約100年越しの悲願として、改めてこのような提案をしてみたらどうでしょう。
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独裁体制を敷いたルーマニア共産党も元々は小さな政党でした。しかし同党は他の左派政党と協力(共闘)しながら勢力を拡大。その後、協力関係にあった他党を強引に吸収して独裁政権を構築しました。共産党は以降、反対者への弾圧を開始。そんなルーマニア共産党と友好関係にあったのが日本共産党です。
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シベリア抑留は広く知られるが、実はモンゴル抑留もあった。終戦後、1万人以上もの日本人が満洲からモンゴルに不法に連行された結果、1500~3000人が絶命。現在、ウランバートル郊外には日本人抑留者慰霊施設が建立されている。『世界の路地裏を歩いて見つけた「憧れのニッポン」』(PHP新書)より
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古来、日本人は「個」よりも「公」や「和」を大切にしてきた。西欧では「個の自由」がとりわけ重要視されるが、日本人の心の中には「行き過ぎた自由は身勝手」という概念が伝統的に深く根付いている。コロナ禍において我々が改めて立ち返るべきは、日本人のそんな心の機微ではないだろうか。
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台湾にある「飛虎将軍廟」の祭神は、杉浦茂峰という日本兵。台南上空での航空戦の際、杉浦の乗った零戦は被弾。機体の降下先には集落があったが、彼は零戦を懸命に操作し、村への落下を回避した。結局、杉浦は米軍機の攻撃により絶命。この恩に報いようと集落の人々が建立したのが飛虎将軍廟。
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経済でも科学技術でも、日本には長所も沢山あるのに、短所ばかりを殊更に強調する層がいるせいで、国民のマインドが過剰に消極的で後ろ向きになっている。前向きな言論には「日本スゴイ論」というレッテルで批判が向けられる。そんな態度が「気」を冷やし、日本を鬱へといざなう。ウイルスより恐い。
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昭和19年9月15日、米軍はパラオ・ペリリュー島への上陸戦を開始。中川州男大佐率いる守備隊は、米軍の進撃を止めるため決死の反攻。74日間に及ぶ激戦の末、日本側には1万人以上の犠牲者が出た。但し日本側が疎開指示を徹底したため、島民への被害の拡大は免れた。島には今も2200柱以上のご遺骨が眠る。
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2013年に台湾を訪れた際、台北の地下鉄では東日本大地震への励ましの言葉が並んだラッピング車両が走っていた。震災から2年が経ち、日本の街並みからそのような光景が減っていた時期だった。ワクチン接種が進んでコロナが落ち着いたら、また台湾に行きたい。その時はどんな車両が走っているだろう。
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コロナ禍の今、日本の伝統文化に海外からも注目が集まっている。玄関で履物を脱ぐ文化(衛生的)、日本茶(免疫力UP)、毎日の入浴(衛生的&免疫力UP)、会釈(握手やハグをしない)、納豆などの和食(免疫力UP)等々。先人たちの知恵の積み重ねが私たちを守ってくれている。感謝しかない。
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先日、市民運動家の女性と話す機会があったが、その人の思想の軸が結局は「愛国心は危険」「権力は暴走する」という2点しかないことに途中で気付き、脱力を覚えた。歴史から得られる教訓は無数にあるのに、この2点のみを抽出し、やたらと強調する姿勢は、とどのつまり「歴史の読み違え」でしかない。
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日本が政局に揺れる間も「歴史戦」は継続中。慰安婦を「性奴隷」「ホロコースト」とする捏造まみれの「歴史資料」が、中国や韓国の手によってユネスコの「世界の記憶」(記憶遺産)に登録されようとしている。日本は国連分担金の凍結も含め、強く反論すべき。そのためには世論の盛り上がりが必要。
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日本の一部の人々は「日本はもう駄目」と過剰に言い立てる傾向がある。適度な批評精神や自省はもちろん必要だが、それが過剰となれば社会のためになるとも思えない。過度に悲観することなく、過去の事例から前向きに、かつ冷静に学んでいく姿勢が、社会を少しずつ良くしていくのではないか。
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樋口季一郎中将の功績は、教科書でしっかりと教えるべきものだと思います。樋口中将の生涯については、拙著『指揮官の決断 満州とアッツの将軍 樋口季一郎(文春新書)もご参照いただければ幸いです。amazon.co.jp/dp/4166607588/… @AmazonJPより
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俺が死んだら何人泣くべ 特攻隊員(第23振武隊)前田敬の遺書。享年23。 合掌。
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千島列島の占守島などで見つかった元日本兵の御遺骨18体が、日本に帰されることになりました。戦後72年が経ち、ようやく祖国に帰れるわけです。しかし、いまだ海外には110万柱以上もの戦没者の御遺骨が残されていると言われています。遺骨収集事業は国にとって極めて重要な課題の一つです。
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先の大戦における最大の失敗は「国際情勢の読み違え」。戦前の日本は米英から離れ、国内の「親独派」に引っ張られてナチスドイツと手を結んだ。現在、新疆ウイグル自治区の人権問題に関し、G7の中で日本だけが中国に制裁を科していない。これ以上、国内の「親中派」に引っ張られたら、再び道を誤る。
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昭和20年6月19日、静岡大空襲。約2000人もの尊い命が奪われた。同日、大空襲は福岡でも。1000人以上が犠牲になったとされる。先の大戦中、日本全土が国際法違反の無差別爆撃に晒された。このような史実を語り継ぐのは怨嗟の増幅の為ではない。鎮魂と哀悼の為。忘れてはならない。合掌。
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くだらぬワイドショーの時間を減らして、過去の名ドラマや名バラエティの再放送などに切り替えてほしい。局は制作費を抑えられるし、出演者は感染リスクを減らせるし、国民も大いに喜ぶのだから「三方良し」。