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満洲国・興安街の住民達は、ソ連軍の不法侵攻後、退避を開始。しかし、避難中の昭和20年8月14日、ソ連の戦車部隊に包囲され、多くの人々が虐殺された。戦車は遺体も重傷者も踏み付けながら走った。千数百人いた避難民の内、生きて帰国できたのはわずか百余名であった。これが「葛根廟事件」である。
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日本の一部の人々は「日本はもう駄目」と過剰に言い立てる傾向がある。「日本死ね」などという汚い言葉も生まれたが、そのような姿勢が社会のためになるとは思えない。今日まで培われてきた叡智や美徳の積み重ねの中から前向きに学んでいくことこそ、ぬくもりのある社会の構築に繋がるのではないか。
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次の政権は中国のウイグル弾圧とどう向き合うつもりか。かつて覇権主義に走るナチスに対して、イギリス等は衝突回避のためヒトラーの要求を大幅に呑み、チェコのズデーテン地方のドイツへの割譲を認可。増長したナチスドイツは翌年、ポーランドへ侵攻し、第二次世界大戦が勃発した。宥和政策は危うい。
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令和4年度から高校で使用される新たな教科書の検定結果が公表された。国内外の近現代史を学ぶ新設の「歴史総合」では、日本にとって最大の人権問題であるはずの「拉致問題」の記述が12社中わずか5社にとどまった。日本の教育は本当にこれで良いのか。
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大東亜戦争について、日本の歴史教育では加害と責任ばかりが強調される。だが戦争とは相互的な「事件」の応酬によって拡大するものであり、一方が絶対的加害者という事など殆どない。戦勝国による一方的な東京裁判史観からの完全脱却こそ、令和日本の重要課題。東京裁判史観を減らすワクチンはないか。
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4月9日はパラオ・ペリリュー州では祝日。これは6年前の平成27年4月9日、天皇皇后両陛下(現・上皇上皇后両陛下)がペリリュー島をご訪問になったことを祝してのことです。日本人も共に祝いましょう。鎮魂の思いと合わせて。
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特攻隊員・渋谷健一には、幼い子供と妊娠中の妻がいた。彼は遺書にこう書いた。「父恋しと思わば空を視よ。大空に浮ぶ白雲に乗りて父は常に微笑みて迎う」。昭和20年6月11日、渋谷は特攻死。奇しくも同日、妻・光は男児を出産。周囲の者たちは「生まれ変わり」と驚嘆して号泣した。
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昭和19年10月25日、特攻隊「敷島隊」がフィリピンにて世界初となる特攻作戦を敢行。隊員の谷暢夫の弟である英夫さんは私の取材にこう語った。「陽気で優しい兄でしたが、敗戦後は『戦争協力者』『狂信的』『犬死に』等と言われるようになりました。遺族としては本当に悔しい思いをしました」。合掌。
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沖縄県石垣市の尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した事件から今日で10年。当時の菅直人・民主党政権の弱腰な対応が残した爪痕はいまだ大きい。総じて日本の安全保障は甘過ぎる。もちろん、尖閣の守りに日々尽力されている石垣海上保安部の皆様には、心から感謝申し上げます。
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評論家・江藤淳氏の自死から20年近く。最近では知らない層も増えているとのことなので、彼の憲法論の要点を改めて。「日本国憲法は憲法学を専攻したことのない25人のアメリカ人が起草」「6日6晩の特急作業で作成」「戦勝国が被占領国の憲法を起草することは国際法違反」。憲法論の土台として。
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終戦直前、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、満洲国に侵攻。当時、150万人以上いた在留邦人は日本に退避することになったが、ソ連軍兵士や中国人の暴民らから数え切れないほどの虐殺や略奪、強姦等を受けた。現在、ウクライナ国民の退避が続いているが、避難支援と監視体制の強化を。
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終戦前の昭和20年7月、沖縄の石垣島から台湾に疎開する島民を乗せた2隻の小型船が、米軍機の攻撃を受けて遭難。漂流者たちは尖閣列島の魚釣島に上陸しましたが、餓死者も出る惨劇となりました。犠牲者のご遺骨は、未だ島内に残されています。一刻も早く魚釣島で遺骨収集を行い、慰霊祭をすべきです。
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「占守島の戦い」は終戦後の昭和20年8月17日から始まった戦闘。千島列島の占守島に不法侵攻してきたソ連軍を日本軍が食い止めた戦いです。ソ連軍はそのまま南下して北海道の北半分を占領する計画でした。占守島で戦った方々のおかげで、日本は「分断国家」にならずに済んだのです。
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東京への空襲というと3月10日のものが有名ですが、5月25日にも大規模な空襲(山の手大空襲)がありました。500機近くのB29が約3300トンもの焼夷弾を投下。渋谷区の7割以上が焼き尽くされ、3600人あまりの方々が亡くなりました。この空襲のこともぜひ知ってほしいと思います。合掌。
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先の大戦を語る際、「軍部の独走」はよく指摘されます。無論、そういった面はあったのですが、合わせて考えなければならないのが、当時の政治家が足を引っ張り合って、政策や方針が遅々として決まらず、その内に事態がずるずると泥沼化していったという一面。現在のどこかの国とよく似ていますね。