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敗戦後、樋口季一郎陸軍中将の官邸も、進駐軍に接収されることになった。退去時、四女の智恵子が庭になっていたリンゴを取ろうとすると、樋口はこう言ったという。「それに手を付けちゃいけない。『日本人はリンゴの実まで取っていった』と言われることは武士道に反する。みっともないことをするな」。
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満洲国・興安街の住民はソ連軍の侵攻を受けて退避。だが、避難中の昭和20年8月14日、ソ連の戦車部隊に包囲され、多くの人々が虐殺された。ソ連軍は投降の意志を示した者たちをも一斉に殺戮。千数百名いた避難民の内、生きて日本に帰国できたのはわずか百余名であった。これを「葛根廟事件」という。
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戦争への最大の抑止力とは、軍事力の均衡である。今回のロシアによるウクライナ侵攻に対する「外交で解決できなかったのか」という問いには「軍事力の均衡が崩れていなければ、外交で解決できたかもしれない」と答える。
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「日本人によるユダヤ難民救出」と言えば杉原千畝が有名ですが、樋口季一郎のことも知ってほしいと思います。樋口は杉原より2年も前にユダヤ難民へのビザ発給に尽力した陸軍軍人。その後、占守島の戦いを指揮し、北海道をソ連による分割から守った人物でもあります。
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原発事故後、「福島は将来、癌や奇形児だらけになる」と叫んでいた人たちへの厳しい検証が必要だ。風評被害によって、どれだけ多くの人々が傷付けられ、社会が毀損されたのか。彼らは善意や警鐘と信じていたかもしれないが、専門外の素人の中途半端な正義感ほど手に負えない。
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石原慎太郎さんは特攻隊員とその御遺族の方々への感謝と鎮魂の思いを持ち続けた方でもありました。私が取材した特攻隊員の御遺族の方が「石原さんのような政治家がいてくれて有難い」と話していたのを思い出します。私も石原さんに対し、感謝と鎮魂の思いを寄せたいと思います。ご冥福をお祈りします。
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東京新聞の望月衣塑子記者が講師を務める学習会において、産経新聞だけが取材を拒否され、会場から退去を強いられるという事件が発生。これは「多様性」や「寛容」を謳う日頃の言説と乖離、背反していることは明らか。二重規範の極みであるが、それが本性であろう。随分と都合の良い多様性である。
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特攻隊員・渋谷健一には、幼い子供と身重の妻がいた。彼は遺書にこう書き記した。「父恋しと思わば空を視よ。大空に浮ぶ白雲に乗りて父は常に微笑みて迎う」。昭和20年6月11日、渋谷は特攻死。奇しくも同日、妻・光は男児を出産。周囲の者たちは「生まれ変わり」と驚嘆して号泣した。合掌。
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大東亜戦争における最大の失敗は「国際情勢の読み違え」。戦前の日本は米英から離れ、国内の「親独派」に引っ張られてナチスドイツと手を結んだ。現在、新疆ウイグル自治区の人権問題に関し、G7の中で日本の反応が最も鈍い。これ以上、国内の「親中派」に引っ張られたら、再び道を誤る。
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北方領土問題。ロシアは日本に「大戦の結果を受け入れろ」と言うが、終戦時に中立条約を破って侵攻したのはソ連軍。スターリンは北海道占領の野望まで持っていた。日本の第5方面軍の抵抗により北海道占領を断念したスターリンは択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島を次々と占領。国際法違反は明らか。
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樋口季一郎中将の功績を伝える銅像が、出身地である淡路島に建立されました。軍人の顕彰は一種のタブーとされてきましたが、是々非々で冷静に評価する社会にようやく成りつつあることを感じます。軍人を悪玉にまとめて非難するのではなく、もちろん美化することもなく、史実に寄り添いたいものです。
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いつも日本軍への批判を執拗に繰り返している評論家やメディア等が、日本赤軍についてはいささか甘い姿勢を滲ませてしまっているのは、日本の戦後社会の正体を浮かび上がらせているようで実に興味深い。
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韓国が「慰安婦像にひざまずいて謝罪する安倍首相」を模した像を設置。韓国側は「日本に反省を促す」と言うが、そこから生まれるのは怒りと諦念くらいのもの。ちなみに、安倍首相が本当にひざまずいたことがあるのは硫黄島。島に残されたままになっている御遺骨に対し、ひざまずいて頭を垂れました。
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今日は「勤労感謝の日」ですが、本来は「新嘗祭」。稲の収穫を祝い、翌年の豊作を祈願する日で、宮中恒例祭典の中でも最も重要なものとして位置付けられています。しかし、戦後、GHQの占領政策により「勤労感謝の日」という名に。私は「新嘗祭」に戻したほうが良いと思っています。
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「コロナ鬱」の症状を訴える方が減らないそうです。最も有効な処方箋は、ワイドショーからの情報を遮断することです。コロナウイルスよりもワイドショーウイルスのほうが怖い。
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パレスチナ取材中、とあるパレスチナ人にこう言われた事がある。「空爆の際、飛んできた破片で片目を負傷したら、あなた達はその目を手で覆うでしょう。でも、それでは駄目です。そういう時は、まだ負傷していないほうの目を覆いなさい。そうやってまだ無事な目を守るのです。それが戦場ですよ」
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今回のロシアによるウクライナ侵攻と、大東亜戦争時の日本を「侵略戦争」の一語で同一視する言説を散見するが、天然ガスや石油の豊富な資源大国と、各国から資源を止められた「持たざる国」を並べて語るのは、さすがに無理がある。歴史は丁寧に扱うべき。
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古来、日本人は「個」よりも「公」や「和」を大切にしてきた。西欧では「個の自由」がとりわけ重要視されるが、日本人の心の中には「行き過ぎた自由は身勝手」という概念が伝統的に深く根付いている。コロナ禍において我々が改めて立ち返るべきは、日本人のそんな心ではないだろうか。
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占守島の戦いがなければ、日本はドイツや朝鮮半島のような分断国家になっていた。しっかり語り継ぎたい。
知られざる激戦「日本を守った意義、後世に」 占守島の戦いから75年 sankei.com/premium/news/2… @Sankei_newsより