早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(リツイート順)

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敗戦後、樋口季一郎陸軍中将の官邸も、進駐軍に接収されることになった。退去時、四女の智恵子が庭になっていたリンゴを取ろうとすると、樋口はこう言ったという。「それに手を付けちゃいけない。『日本人はリンゴの実まで取っていった』と言われることは武士道に反する。みっともないことをするな」。
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6月6日は特攻隊員・宮川三郎の命日。宮川は出撃前日、ホタルを眺めながら食堂の女主人・鳥濱トメに言った。「俺、死んだらホタルになって帰ってくるよ」。翌日の夜、一匹のホタルが食堂内まで入ってきた。トメの娘が叫んだ。「お母さん、宮川さんが帰ってきたわよ!」。トメらは皆でむせび泣いた。
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ペリリュー守備隊長の中川州男大佐は、米軍の上陸戦が始まる前に、島民と在留邦人に対して他の島への疎開指示を徹底。その結果、同島では熾烈な戦闘となったにもかかわらず、民間人への被害は極力抑えられた。その事に関して、今も感謝の言葉を述べるペリリューの人々は少なくない。
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満洲国・興安街の住民はソ連軍の侵攻を受けて退避。だが、避難中の昭和20年8月14日、ソ連の戦車部隊に包囲され、多くの人々が虐殺された。ソ連軍は投降の意志を示した者たちをも一斉に殺戮。千数百名いた避難民の内、生きて日本に帰国できたのはわずか百余名であった。これを「葛根廟事件」という。
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「シベリア抑留」は広く知られるが、実は「モンゴル抑留」もあった。終戦後、1万人以上もの日本人が満洲からモンゴルに不法に連行され、過酷な生活環境の中で1500~3000人が絶命。現在、ウランバートル郊外には日本人抑留者慰霊施設が建立されている。
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戦争への最大の抑止力とは、軍事力の均衡である。今回のロシアによるウクライナ侵攻に対する「外交で解決できなかったのか」という問いには「軍事力の均衡が崩れていなければ、外交で解決できたかもしれない」と答える。
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「日本人によるユダヤ難民救出」と言えば杉原千畝が有名ですが、樋口季一郎のことも知ってほしいと思います。樋口は杉原より2年も前にユダヤ難民へのビザ発給に尽力した陸軍軍人。その後、占守島の戦いを指揮し、北海道をソ連による分割から守った人物でもあります。
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原発事故後、「福島は将来、癌や奇形児だらけになる」と叫んでいた人たちへの厳しい検証が必要だ。風評被害によって、どれだけ多くの人々が傷付けられ、社会が毀損されたのか。彼らは善意や警鐘と信じていたかもしれないが、専門外の素人の中途半端な正義感ほど手に負えない。
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石原慎太郎さんは特攻隊員とその御遺族の方々への感謝と鎮魂の思いを持ち続けた方でもありました。私が取材した特攻隊員の御遺族の方が「石原さんのような政治家がいてくれて有難い」と話していたのを思い出します。私も石原さんに対し、感謝と鎮魂の思いを寄せたいと思います。ご冥福をお祈りします。
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東京新聞の望月衣塑子記者が講師を務める学習会において、産経新聞だけが取材を拒否され、会場から退去を強いられるという事件が発生。これは「多様性」や「寛容」を謳う日頃の言説と乖離、背反していることは明らか。二重規範の極みであるが、それが本性であろう。随分と都合の良い多様性である。
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特攻隊員・渋谷健一には、幼い子供と身重の妻がいた。彼は遺書にこう書き記した。「父恋しと思わば空を視よ。大空に浮ぶ白雲に乗りて父は常に微笑みて迎う」。昭和20年6月11日、渋谷は特攻死。奇しくも同日、妻・光は男児を出産。周囲の者たちは「生まれ変わり」と驚嘆して号泣した。合掌。
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大東亜戦争における最大の失敗は「国際情勢の読み違え」。戦前の日本は米英から離れ、国内の「親独派」に引っ張られてナチスドイツと手を結んだ。現在、新疆ウイグル自治区の人権問題に関し、G7の中で日本の反応が最も鈍い。これ以上、国内の「親中派」に引っ張られたら、再び道を誤る。
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ペリリュー戦からの帰還兵の一人だった永井敬司さんは、2019年11月4日に御逝去。永井さんは激戦をこう振り返った。「日本を守るためですよ。内地で暮らす家族や女性、子供を守るため。私たちは太平洋の防波堤となるつもりでした。そのために自分の命を投げ出そうと。そんな思いで懸命に戦ったのです」
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北方領土問題。ロシアは日本に「大戦の結果を受け入れろ」と言うが、終戦時に中立条約を破って侵攻したのはソ連軍。スターリンは北海道占領の野望まで持っていた。日本の第5方面軍の抵抗により北海道占領を断念したスターリンは択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島を次々と占領。国際法違反は明らか。
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樋口季一郎中将の功績を伝える銅像が、出身地である淡路島に建立されました。軍人の顕彰は一種のタブーとされてきましたが、是々非々で冷静に評価する社会にようやく成りつつあることを感じます。軍人を悪玉にまとめて非難するのではなく、もちろん美化することもなく、史実に寄り添いたいものです。
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いつも日本軍への批判を執拗に繰り返している評論家やメディア等が、日本赤軍についてはいささか甘い姿勢を滲ませてしまっているのは、日本の戦後社会の正体を浮かび上がらせているようで実に興味深い。
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韓国が「慰安婦像にひざまずいて謝罪する安倍首相」を模した像を設置。韓国側は「日本に反省を促す」と言うが、そこから生まれるのは怒りと諦念くらいのもの。ちなみに、安倍首相が本当にひざまずいたことがあるのは硫黄島。島に残されたままになっている御遺骨に対し、ひざまずいて頭を垂れました。
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今日は「勤労感謝の日」ですが、本来は「新嘗祭」。稲の収穫を祝い、翌年の豊作を祈願する日で、宮中恒例祭典の中でも最も重要なものとして位置付けられています。しかし、戦後、GHQの占領政策により「勤労感謝の日」という名に。私は「新嘗祭」に戻したほうが良いと思っています。
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台湾にある「飛虎将軍廟」の祭神は、杉浦茂峰という日本兵。台南上空での航空戦の際、杉浦の乗った零戦は被弾。機体の降下先には集落があったが、彼は零戦を懸命に操作し、村への落下を回避した。結局、杉浦は米軍機の攻撃により絶命。この恩に報いようと集落の人々が建立したのが飛虎将軍廟。
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「コロナ鬱」の症状を訴える方が減らないそうです。最も有効な処方箋は、ワイドショーからの情報を遮断することです。コロナウイルスよりもワイドショーウイルスのほうが怖い。
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パレスチナ取材中、とあるパレスチナ人にこう言われた事がある。「空爆の際、飛んできた破片で片目を負傷したら、あなた達はその目を手で覆うでしょう。でも、それでは駄目です。そういう時は、まだ負傷していないほうの目を覆いなさい。そうやってまだ無事な目を守るのです。それが戦場ですよ」
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今回のロシアによるウクライナ侵攻と、大東亜戦争時の日本を「侵略戦争」の一語で同一視する言説を散見するが、天然ガスや石油の豊富な資源大国と、各国から資源を止められた「持たざる国」を並べて語るのは、さすがに無理がある。歴史は丁寧に扱うべき。
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古来、日本人は「個」よりも「公」や「和」を大切にしてきた。西欧では「個の自由」がとりわけ重要視されるが、日本人の心の中には「行き過ぎた自由は身勝手」という概念が伝統的に深く根付いている。コロナ禍において我々が改めて立ち返るべきは、日本人のそんな心ではないだろうか。
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昭和20年5月18日、第五十三振武隊は鹿児島県の知覧飛行場から特攻作戦に参加するため出撃。沖縄周辺の海上で敵艦船に突入した。写真は出撃20分前の「最後の食事」を写した一枚。母の手料理を思い出しながらの食事だったかもしれない。
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占守島の戦いがなければ、日本はドイツや朝鮮半島のような分断国家になっていた。しっかり語り継ぎたい。 知られざる激戦「日本を守った意義、後世に」 占守島の戦いから75年 sankei.com/premium/news/2… @Sankei_newsより