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かつて左派運動を「革命ごっこ」と看破したのは評論家の江藤淳。江藤は「楯の会」の批判もしたが、総じて「ごっこ」とは「他人に見られること」を意識したものであり、そういった意味で「わたくしごと」「子供じみた運動」と断じた。今節の趨勢を見ていると今も同じか。江藤がいれば何と喩えるだろう。
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「希望の党に行かずに信念を貫いて新党をつくった人たちは立派」という意見が広がっているようだが、それは違う。「希望の党に行くつもりだったが、先方から断られた結果、新党を立ち上げた」が正しい経緯のはず。筋など通っていない。彼らの並べる言葉が空虚に響くのは、そのためである。
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東京新聞の望月衣塑子記者が講師を務める学習会において、産経新聞だけが取材を拒否され、会場から退去を強いられるという事件が発生。これは「多様性」や「寛容」を謳う日頃の言説と乖離、背反していることは明らか。二重規範の極みであるが、それが本性であろう。随分と都合の良い多様性である。
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是々非々による政権批判は大いに結構。だが、過激な言葉の羅列による全面否定では、成熟した民主主義国家の根幹を成すはずの健全な論争は深まらない。ただのヤジでは筋が悪い。「罵倒」ではなく「冷静な精査」を。「相手の邪魔」よりも「相手を超える提案」を。
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評論家・江藤淳氏の自死から20年近く。最近では知らない層も増えているとのことなので、彼の憲法論の要点を改めて。「日本国憲法は憲法学を専攻したことのない25人のアメリカ人が起草」「6日6晩の特急作業で作成」「戦勝国が被占領国の憲法を起草することは国際法違反」。憲法論の土台として。
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故・山本夏彦氏の書いたものを改めて読んでいたら、こんな一文が目に留まった。「私は断言する、新聞はこの次の一大事の時にも国をあやまるだろう」。今週は「新聞週間」です。
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ドイツの作家、ルートヴィヒ・ベルネの言葉。「政府は帆であり、国民は風であり、国家は船であり、時代は海である」。私たちの船にも新たな帆が立つ。目の前は万里の荒波。帆を高くあげ、乗り越えるより他に道はなし。
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日頃から「先の大戦の失敗から真摯に学ぶこと」の重要性を説いていたはずの人々が、今回の選挙戦の敗因を「選挙のシステムがおかしい」「共闘していれば勝っていた」などと結論づけている構図は、なかなか興味深い。
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天皇皇后両陛下がフィリピンのドゥテルテ大統領とご会見。天皇陛下が「先の大戦では多くのフィリピンの人たちが犠牲になりました」と述べられると、大統領は「両国は川の流れのように過去を乗り越え、今日の協力関係を築いてきました」と応じたという。歴史に先例を求めつつ、「和解の力」を信じたい。
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韓国の反日晩餐会には嘆息。
【ジョーク】
世界を創造中の神様が言った。「日本という理想的な国を造ろう。豊かな自然に美しい四季、水も豊富にある」。天使が言った。「しかし、それでは不公平です。他国から不満が出ます」。すると神様は「確かに」と呟き、こう言った。「では、隣を韓国にしよう」
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これまでに50カ国ほどウロウロしてきましたが、その中で再認識したのは「日本の魅力」です。もちろん、日本にも改善すべき点はありますが、それでも帰するところ「日本は面白い」と思います。そして、そう思えるということは、先人たちのあまたの知恵や努力があってのことなわけです。素直に感謝です。
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千島列島の占守島などで見つかった元日本兵の御遺骨18体が、日本に帰されることになりました。戦後72年が経ち、ようやく祖国に帰れるわけです。しかし、いまだ海外には110万柱以上もの戦没者の御遺骨が残されていると言われています。遺骨収集事業は国にとって極めて重要な課題の一つです。
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「占守島の戦い」は終戦後の昭和20年8月17日から始まった戦闘。千島列島の占守島に不法侵攻してきたソ連軍を日本軍が食い止めた戦いです。ソ連軍はそのまま南下して北海道の北半分を占領する計画でした。占守島で戦った方々のおかげで、日本は「分断国家」にならずに済んだのです。
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今日は「勤労感謝の日」ですが、本来は「新嘗祭」。稲の収穫を祝い、翌年の豊作を祈願する日で、宮中恒例祭典の中でも最も重要なものとして位置付けられています。しかし、戦後、GHQの占領政策により「勤労感謝の日」という名に。私は「新嘗祭」に戻したほうが良いと思っています。
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このたび鎌倉市議会が小辻節三の顕彰を行いました。小辻は杉原千畝と並び、ユダヤ難民の保護のために尽力した人物。難民の日本での滞在日数を延長した小辻は「命のビザをつないだ男」と言われます。杉原の功績はもちろん素晴らしいものですが、他にも奔走した者たちがいたことを忘れてはいけません。
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「日本人によるユダヤ難民救出」と言えば杉原千畝が有名ですが、樋口季一郎のことも知ってほしいと思います。樋口は杉原より2年も前にユダヤ難民へのビザ発給に尽力した陸軍軍人。その後、占守島の戦いを指揮し、北海道をソ連による分割から守った人物でもあります。
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以前にウランバートルを訪れた際、とあるモンゴル人のご自宅で日本の大相撲中継を一緒にテレビ観戦したことがあった。そのモンゴル人はこう言った。「相撲を愛する日本人とモンゴル人はまさに兄弟」。今頃、その彼も心を痛めているだろう。親日派の多いモンゴル。両国の国民感情の悪化は避けたい。
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