早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(古い順)

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特攻隊員たちの達筆には心打たれる。翻って戦後社会に目を移すと、政党の党首を務めた政治家でさえこの有様。書は人なり。平和への覚悟の違いに天と地ほどの差があるようにも見える。
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仕事でホテル暮らしが続いているのだが、昨日、ロビーで「安倍は独裁者」と騒いでいるおばちゃんたちがいた。サダム・フセイン時代のイラクを訪れたことがある私としては『本当の独裁国ではそんなこと言えませんよ』と思う。安倍政権に自由を担保されている人たちが、安倍政権を独裁呼ばわりする喜劇。
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「Voice」(PHP研究所)に百田尚樹さんのインタビュー記事。ご自身の講演会が中止に追い込まれた経緯が語られている。「彼らは、自分たちと同じ意見の自由は認めるけれども、異なる意見の自由は認めない」。私がかつて暮らしたルーマニアは、自由な言論の封殺から共産主義の跋扈が始まった。
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大東亜戦争に関する「失敗学」の研究はもちろん重要。しかし、米軍から「パーフェクトゲーム」と称されたキスカ島撤退作戦や、日本を分断から救った占守島の戦いなど、個々の「成功例」にも多くの教訓が含まれる。そういった成功があったからこそ、現在の我々が享受できている恩恵も少なくない。
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終戦後のソ連軍の不法侵攻により激戦の地となった占守島で、日本人による慰霊祭が行われました。日本軍守備隊の池田末男(戦車第11連隊連隊長)は出撃時、「民族の防波堤になる」と語ったと言われています。結句、池田は戦死しましたが、彼らの戦いがなければ、日本は「分断国家」となっていました。
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昼食時にテレビをつけると、政治の専門家でもない芸能人が、憶測で勝手なことをベラベラと喋っている。スキャンダル報道もウンザリ。日本のお昼も不快な時間帯になったものだ。タモリさんがいた頃のまったりとしたお昼が懐かしい。
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「女性が輝く社会」を掲げた政治。だが、蓮舫議員や豊田真由子議員、上西小百合議員、稲田朋美議員、今井絵里子議員といった方々の行動が大きく足を引っ張っている。「女性だから」という理由で選挙の顔になったり、党内の出世が早くなるような風潮こそ、真にあるべき「女性が輝く社会」を妨げている。
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特攻隊員・渋谷健一には、幼子と身重の妻がいた。彼は遺書にこう書き記した。「父恋しと思わば空を視よ。大空に浮ぶ白雲に乗りて父は常に微笑て迎う」。昭和20年6月11日、渋谷は特攻死。奇しくも同日、妻・光は男児を出産。周囲の者たちは、「生まれ変わり」と驚嘆して号泣した。
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大牟田捕虜収容所第十七分所所長を務めた福原勲大尉は、戦後に捕虜虐待の容疑者とされ、C級戦犯として絞首刑の判決を受けた。刑場に向かう途中、彼は「大地を踏ませていただいて、ありがとうございます」と口にした。一方的な裁判によってBC級戦犯とされ、命を奪われた人の数は約千人に及ぶ。合掌。
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昭和20年8月13日、満州国の小山克にて、日本の民間人が乗った列車が小銃等を持った武装勢力に襲われた。女性は輪姦され、抵抗者は殺害。100人以上もの女性が崖から飛び降りて自決した。これが「小山克事件」。通州事件は知られるようになったが、中国人による虐殺事件は他にも多数ある。合掌。
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今まで多くの戦争体験者の方々に取材してきたが、「河野談話だけは本当に許せない」という話を何度も聞いた。一人の方は「私も悔しいが、死んでいった戦友たちのことを思うと本当に悔しい」と泣き崩れた。その方も数年前に永眠。最後まで「歴史が正しく継承されていない」と憂いていた。合掌。
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被爆者やその遺族の方々の中にも「核の抑止力は無視できない」「平和を守るためには憲法を改めた方が良い」と考える人は大勢いる。しかし、大手メディアではこういった声はなかなか取り上げられない。両方の(様々な)意見を公正に取り扱ってこそ、議論は少しずつ深まっていくはず。
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特攻へ赴く少年飛行兵の教官役だった藤井一陸軍中尉は「お前たちだけを死なせない。自分も後から必ず行く」が口癖だった。しかし、妻子のあった藤井に特攻命令はなかなか下らない。その事実を知った妻・福子は、夫の願いを叶えるために入水自殺。藤井の特攻はこうして叶った。合掌。
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戦時下の昭和17年、朝日新聞社ではなく文部省の主催により、夏の甲子園大会が開かれました。この大会は主催者の違いにより公式記録として認められていないため「幻の甲子園」と呼ばれています。優勝したのは徳島商業。球児たちは「この大会が終わったら戦争」との思いで懸命に白球を追いました。
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テロを肯定、礼賛する思想を決して許容してはいけない。強い抗議の声を。 伊藤博文を暗殺、韓国に安重根の銅像…中国寄贈(読売新聞) - Yahoo!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170810-… @YahooNewsTopics
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日本の夏は慰霊の季節。お盆(盂蘭盆会)に死者を供養する古くからの風習と8月15日の終戦の日が相まって、世界的にも珍しい独特の雰囲気に包まれます。少しでも御霊の慰めとなるよう、静かに鎮魂の気持ちを送りたいもの。そして御霊が微笑まれるような「安らかな国づくり」を目指さねばと思います。
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俺が死んだら何人泣くべ 特攻隊員(第23振武隊)前田敬の遺書。享年23。 合掌。
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終戦の詔書と言えば「堪ヘ難キヲ堪ヘ」という一節が有名ですが、以下の部分こそ今に通ずる文言。「道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レザラムコトヲ期スベシ(道義を大切に志操堅固にして、日本の光栄なる真髄を発揚し、世界の進歩発展に後れぬよう心に期すべし)」
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終戦後の8月17日深夜、ソ連軍は日本領千島列島の占守島に不法侵攻。ソ連は北海道の占領を目論んでいました。しかし、これを阻止したのが第91師団の指揮下にあった占守島の将兵たち。爆薬を抱えて敵戦車に飛び込むといった彼らの決死の戦いにより、日本は分断国家とならずに済んだのです。
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終戦後、ソ連軍は南樺太にも侵攻。追い詰められた大平炭坑病院の看護婦たち23名は、手首にメスを入れるなどして集団自決。その生き残りの一人である鳴海寿美さんは私の取材に対し「自決前に皆で歌を唄いました。皆、本当にいい人たちでした」と言って俯いた。彼女の手首には、深い傷跡が残っていた。
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徴用工問題の整理(外務省資料)①終戦前、朝鮮半島出身者は約200万人②その半数は徴用令の施行前に渡航③残りの7割は個別渡航と出生による自然増④残りの3割は自由契約にて渡来⑤国民徴用令による被徴用者はごく少数⑥国民徴用令は朝鮮半島出身者を含む日本国民全般が対象⑦所定の賃金を支給
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沖縄県の2大紙「琉球新報」と「沖縄タイムス」の両編集局長が、共産党機関紙「しんぶん赤旗」にインタビューの形で登場。こうなるとメディアに求められるべき「政治的中立」などあったものではない。この沖縄のケースはあまりに露骨だが、より巧妙に形成された構図は全国各地にありそう。
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ルーマニア共産党はまず新聞社を味方に付け、国民に耳当たりの良い言葉を並べ、他の野党を吸収した上で政権を奪取。その後、言論を封鎖し、強固な独裁政権を構築した。類似の構図は他の東欧諸国やアジアでも見られた。共産主義勢力が20世紀にいかなる手法を用いたのか。教訓はすでにある。 twitter.com/hyakutanaoki/s…
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昭和19年8月22日、沖縄から本土に疎開する児童(約800名)を含む約1800名の乗った貨物船「対馬丸」が、米潜水艦の魚雷攻撃によって撃沈。約1500人もの尊い命が奪われた。児童の死亡率は実に9割以上。多数の民間人が犠牲となったこの痛ましい事件は、戦時国際法違反に当たる。合掌。
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先日、「寄せ書きの入った日章旗」が元米兵から遺族に返還されたというニュースがありました。実は私も以前、フィリピンの骨董屋で寄せ書き入りの日章旗を発見。入手以降、いろいろと調べていますが、なかなか来歴など分からず、今も大切に保管しています。「歴史の重み」の詰まった日章旗です。