早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(古い順)

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神奈川県大磯町の妙大寺にある樋口季一郎の墓を参拝。杉原千畝より2年も前に満洲で多数のユダヤ人に「命のビザ」を出し、終戦直後の占守島の戦いではソ連軍の南下を食い止めて「北海道の分断」を防いだ樋口の功績は、もっと多くの方々に知ってほしい史実です。
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イスラエルのエルサレムにあるJNF(ユダヤ民族基金)が保管する「ゴールデンブック」。その第6巻に樋口季一郎を意味する「GENERAL HIGUCHI」の文字が。多くのユダヤ難民を救った樋口の功績は、今も色褪せない。杉原千畝だけでなく、樋口のことも合わせて知って欲しいと思います。
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イスラエル取材時にお会いすることができたクララ・シュバルツベルグさん。戦時中、大連に滞在していたクララさんは、樋口季一郎のビザによって救出された多くのユダヤ難民を目撃した。「日本人はあまりヒグチのことを知らない?日本人は学校で何を習っているのですか?」
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満洲で多くのユダヤ人を救出した「オトポール事件」を指揮した陸軍軍人・樋口季一郎の直筆の書。「真に徳のある者は孤独ではない」という意味。樋口は占守島の戦闘も指揮し、ソ連による北海道の分割を防いだが、自らの功績を語ることなく逝った。
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「占守島の戦い」は終戦後の昭和20年8月17日から始まった戦闘。千島列島の占守島に不法侵攻してきたソ連軍を日本軍が食い止めた戦いです。ソ連軍はそのまま南下して北海道の北半分を占領する計画でした。占守島で戦った方々のおかげで、日本は「分断国家」にならずに済んだのです。
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終戦後、ソ連軍は南樺太に侵攻。追い詰められた大平炭坑病院の看護婦たち23名は、手首にメスを入れるなどして集団自決。生き残りの一人である鳴海寿美さんは、私の取材に対し「自決前に皆で歌を唄いました。皆、本当にいい人たちでした」と言ってうつむいた。彼女の手首には、深い傷跡が残っていた。
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「シベリア抑留」は広く知られるが、実は「モンゴル抑留」もあった。終戦後、1万人以上もの日本人が満洲からモンゴルに不法に連行され、過酷な生活環境の中で1500~3000人が絶命。現在、ウランバートル郊外には日本人抑留者慰霊施設が建立されている。
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最初の神風特別攻撃隊である「敷島隊」は、フィリピンのマバラカット飛行場で編成された。現在、同地はフィリピンの人々の手によって維持、整備されている。「どうして日本の政治家は、命を賭けて祖国を守った人々の慰霊に来ないのですか?」
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フィリピンのマバラカット近くで「カミカゼ・ミュージアム」を運営するダニエル・ディソンさん。幼少時には、多くの日本兵に可愛がってもらったという。「ヤマカワという名の中尉が私のことを『自分の小さな弟によく似ている』と言って可愛がってくれました。よく手を繋いで一緒に散歩したんですよ」
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月刊『Hanada』(飛鳥新社)4月号に「NHK『731部隊の真実』に重大疑問」と題した論考を寄稿しました。「731部隊」に関しては、より冷静で多角的な議論が必要だと思っています。ご一読いただければ幸いです。 twitter.com/hanada_asuka/s…
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俺が死んだら何人泣くべ 特攻隊員(第23振武隊)前田敬の遺書。享年23。 合掌。
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本日は台湾の「二・二八事件」記念日。1947年、中国国民党の弾圧により2万人以上の台湾人が虐殺された。日本人の父と台湾人の母を持つ弁護士・坂井徳章は、そんな中で治安維持に奔走。多くの台湾人の命を救ったが、中国側に逮捕され、拷問の末、極刑に。銃殺直前「台湾人、万歳」と叫んだという。
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台湾南部の農業の発展のため、八田與一が作った烏山頭ダム。台湾では「最も尊敬すべき日本人」とも称され、その功績は教科書にも記載されている。そんな八田も1942年、乗っていた客船が米軍の攻撃に遭い死亡。その後、八田の妻は、かつて夫が作ったダムに身を投げて後を追った。合掌。
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かつて「C級戦犯」としてフィリピンのモンテンルパ刑務所に収監された経験を持つ宮本正二さん。「11人の現地住民を殺害した」という全く身に覚えのない容疑だった。戦友の一人は「死にたくない」と絶叫し、刑場の露と消えたという。
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大牟田捕虜収容所第十七分所所長を務めた福原勲大尉は、戦後に捕虜虐待の容疑者とされ、C級戦犯として絞首刑の判決を受けた。刑場に向かう途中、彼は「大地を踏ませていただいて、ありがとうございます」と口にした。一方的な裁判によってBC級戦犯とされ、命を奪われた人の数は約千人に及ぶ。合掌。
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特攻隊員の方々の遺書より。享年は左の前原軍治曹長が24、右の小野田務少尉が19。内容はもちろんだが、戦前の青年の達筆さには心打たれる。
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特攻隊員たちが遺した川柳。 生きるのは 良いものと気が付く 三日前 明日の晩 化けて出るぞと 友脅し 痛かろう いや痛くないと 議論なり アメリカと 戦う奴が ジャズを聞き 犬に芸 教えおおせて 友は征き
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姫路城に隣接する兵庫縣姫路護國神社。戊辰の役以降の国難に殉ぜられた 兵庫県西南部出身の「みたま」5万6988柱命がご祭神となっています。姫路城と合わせて、こちらまで足を運ぶ方が増えるといいなと思います。
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特攻隊員・渋谷健一には、幼い子供と身重の妻がいた。彼は遺書にこう書き記した。「父恋しと思わば空を視よ。大空に浮ぶ白雲に乗りて父は常に微笑みて迎う」。昭和20年6月11日、渋谷は特攻死。奇しくも同日、妻・光は男児を出産。周囲の者たちは「生まれ変わり」と驚嘆して号泣した。合掌。
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特攻へ赴く少年飛行兵の教官役だった藤井一陸軍中尉は「お前たちだけを死なせない。自分も後から必ず行く」が口癖だった。しかし、妻子のあった藤井に特攻命令はなかなか出ない。その事実を知った妻・福子は、夫の願いを叶えるために入水自殺。藤井の特攻はこうして叶った。合掌。
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昭和20年8月13日、満洲国の小山克にて、日本の民間人が乗った列車が小銃等を持った武装勢力に襲われた。女性は輪姦され、抵抗者は殺害。100人以上もの女性が崖から飛び降りて自決した。これが「小山克事件」。通州事件は知られるようになってきたが、中国人による虐殺事件は他にもある。合掌。
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日本海軍には多くの隠語があり、「結婚する」を「マリる」、「鼻の下を伸ばす」を「ロング」、「梅毒」を「プラム」などと称した。70年以上前の軍人さんといえども、今の若者とさして変わらない表情も持っていた。そんな彼らが身命を賭して戦い、斃れていったのが先の大戦の素顔。合掌。
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これまでに50カ国ほどウロウロしてきましたが、その中で再認識したのは「日本の魅力」です。もちろん、日本にも改善すべき点はありますが、それでも帰するところ「日本は面白い」と思います。そして、そう思えるということは、先人たちのあまたの知恵や努力があってのことなわけです。素直に感謝です。
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かつて満洲にて多数のユダヤ人を救った陸軍中将・樋口季一郎は、自身の遺稿集に「 世の中には絶対の善もなく、絶対の悪もない。善悪は相関的なものである」と記した。このような考え方を「善悪不二」と言う。心の片隅に置いておきたい言葉。
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【取材余話】サイパン島の通称「バンザイ・クリフ」。米軍に追い詰められた約1万人もの日本人が、この岬から身を投げて自決した。紺碧の海が真っ赤に染まったという。この海の遥か彼方が、祖国・日本に当たる方角。ここに大きな意味を感じる。(取材日2006.11)