早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(古い順)

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大牟田捕虜収容所第十七分所所長を務めた福原勲大尉は戦後、捕虜虐待の容疑者と一方的に見なされ、C級戦犯として絞首刑の判決を受けた。彼の最期の言葉は「大地を踏ませていただいて、ありがとうございます」。杜撰な裁判によってBC級戦犯とされ、命を奪われた人の数は約千人に及ぶ。合掌。
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天皇、皇后両陛下が沖縄をご訪問。国立沖縄戦没者墓苑にご拝礼されました。これは令和になって初めてのことでした。県平和祈念資料館を見学された際には「本当に痛ましい」と呟かれたそうです。慰霊と鎮魂のため、同地を訪れる人が増えることを望みます。
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10月24日、戦艦「武蔵」はフィリピンのレイテ沖で米軍と交戦。魚雷の連続攻撃に晒された。艦長の猪口敏平少将は遺書等を副長の加藤憲吉大佐に手渡した。加藤は最期まで運命を共にすることを願い出たが、猪口はそれを許さなかった。猪口は艦長休憩室に入り、鍵を掛けた。その後、武蔵は沈没した。合掌。
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昭和19年10月25日、特攻隊「敷島隊」がフィリピンにて世界初となる特攻作戦を敢行。隊員の谷暢夫の弟である英夫さんは私の取材にこう語った。「陽気で優しい兄でしたが、敗戦後は『戦争協力者』『狂信的』『犬死に』等と言われるようになりました。遺族としては本当に悔しい思いをしました」。合掌。
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最近では中核派を知らない若者も増えていると聞くが、「戦争の歴史」と同じく、しっかりと語り継ぐべきは「左翼の暴力史」。世界の近現代史を見れば、戦争よりも共産主義によって、より多くの人々が犠牲になっていることが分かる。これは義務教育で丁寧に教えるべき案件。
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明治期の「富国強兵・殖産興業」には肯定的なのに、令和の「富国強兵」には随分と強いアレルギー反応を示す人たちがいる。今のままでは「貧国弱兵」に堕するが、それで良いのか。
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日本政府による経済制裁が効いてきているようだ。ロシアへではなく、日本国民への。
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11月3日は文化の日ですが、戦前は「明治節」。明治天皇の誕生日を祝う日でした。しかし、大東亜戦争の終結後、GHQの一方的な勧告により、名称の変更を強いられました。占領下において祝日まで変えられたわけです。私は歴史的意味に沿った本来のあるべき名称に戻すべきだと思います。
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私は2年ほどルーマニアに住んでいたことがありますが、選挙権などの参政権はもちろん有していなかったし、欲しいとも思いませんでした。ルーマニアの事はルーマニア人が決めるのが当然だと思っていたからです。
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横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから今日で45年。13歳の時に拉致されためぐみさんは現在、58歳になっています。以下は母親の早紀江さんの言葉。「表現のしようがない。なんで生きているんだろうと。解決ができないままで終わってしまうのかなと考える」「むなしいですね」。国会の最優先課題に!
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「勤労感謝の日」の本来の姿は「新嘗祭」。稲の収穫を祝い、翌年の豊作を祈願する日で、宮中恒例祭典の中でも最も重要なものとして位置付けられています。しかし、戦後、GHQの占領政策により「勤労感謝の日」という名に変えられました。私は「新嘗祭」に戻したほうが良いと思っています。
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今から78年前の昭和19年11月24日、ペリリュー島の守備隊長・中川州男大佐は、集団司令部に向けて「サクラサクラサクラ」と打電。玉砕の意を告げた。その後、中川大佐は地下壕内にて自決。この戦いにおける日本人犠牲者は1万人以上。未だ2200柱以上のご遺骨が島に眠る。合掌。
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ペリリュー守備隊長の中川州男大佐は、米軍の上陸戦が始まる前に、島民と在留邦人に対して他の島への疎開指示を徹底。その結果、同島では熾烈な戦闘となったにもかかわらず、民間人への被害は極力抑えられた。その事に関して、今も感謝の言葉を述べるペリリューの人々は少なくない。
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パラオの故クニオ・ナカムラ元大統領には現地で話を聞いた。彼の父は伊勢出身の船大工で、母はペリリュー島の出身。米軍の上陸作戦の直前、ナカムラ家を含むペリリューの島民は、日本軍の命令によって他の島に疎開。「日本の疎開指示がなかったら、私は今ここにいない」と笑った表情が忘れられない。
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中国各地で起きているデモ。「マスクなしでワールドカップを楽しむ海外の映像」がその要因の一つになっているという説があるが、あながち間違いではないかもしれない。かつてルーマニアで起きた共産党打倒革命は「ジーンズを履いて楽しそうにハンバーガーを食べる海外の映像」が発端とも言われている。
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かつて南米などでは、サッカーが下手な人のことを「日本人のようだ」と表す言い方がありました。そういった表現も、もう無くなるでしょう。多くの方々の努力と実績の積み重ねによる賜物だと思います。粘り強く最後まで諦めずに戦う人のことを「日本人のようだ」と言う表現が定着したら嬉しいですね。
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米NPO、旧日本兵の日章旗240枚を遺族会に返還 sankei.com/article/202212… @Sankei_newsより
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映画「パール・ハーバー」を私はクロアチアの首都ザグレブの映画館で観た。上映後の館内では、私への視線が集中したが、一人の男性が「この映画をどう思った?」と聞いてきたので「面白かったよ。いいコメディだったね」と答えたら、周囲からも笑い声が上がるほどウケた。今夜は良い試合を!
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真珠湾攻撃と言えば、大規模な航空部隊による戦闘が想起されるでしょうが、暗い海中を進んで魚雷を発射する特殊潜航艇で戦った方々もいました。戦死した9名は「軍神」とされましたが、敗戦後は「戦争協力者」等と評価が一変。まさかの「悪者扱い」に遺族は涙を流しました。合掌。
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スターリンは50万人もの日本人将兵を捕虜とする命令を極秘に発令。結果、57万人以上もの日本人がシベリアなどに強制連行され、多くの方々が無念の思いを抱えたまま絶命されました。この明確な国際法違反は、今に到るまで全く裁かれていない。 映画『ラーゲリより愛を込めて』lageri-movie.jp
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元抑留者の林英夫さん。「私たちは日々『日本に絶対に帰ろう』と励まし合って過ごしていましたが、それを叶えることができずに亡くなっていった戦友たちが可哀想でなりません。ぜひ多くの皆様に抑留の事実を知っていただき、慰霊の気持ちを持っていただければと心からそう思っています」
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特攻隊員だった富沢幸光が両親に宛てた遺書。「お正月も来ました。幸光は靖國で二十四歳を迎える事にしました。靖國神社の餅は大きいですからね。(略)正月になったら軍服の前に沢山御馳走をあげて下さい。雑煮餅が一番好きです。ストーブを囲んで幸光の想い出話をするのも間近でしょう」。合掌。
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ソ連軍による終戦後の不法侵攻に対し、占守島で戦われた元少年戦車兵の小田英孝さんが、昨年9月に亡くなられていたことを知りました。昨年6月にお会いした際にはお元気そうでしたが、残念でなりません。日本を分断から守ってくれた元兵士の笑顔が胸に残ります。心からの感謝とご冥福をお祈り致します。
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私がかつて暮らしていたルーマニアは、ウクライナと国境を接している。ルーマニア人の友人らと連絡を取ると「メディアは戦争報道一色」「戦火拡大に対する国民の不安は極めて深刻」とのこと。日本の国会で「10年以上前のヤジ」や「総理のお土産」が議論されていることは、恥ずかしくて言えない。
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本日は台湾の「二・二八事件」記念日。1947年、中国国民党の弾圧により2万人以上の台湾人が虐殺された。日本人の父と台湾人の母を持つ弁護士・坂井徳章は、そんな中で治安維持に奔走。多くの台湾人の命を救ったが、中国側に逮捕され、拷問の末、極刑に。銃殺直前「台湾人、万歳」と叫んだ。合掌。