早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(古い順)

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戦時中、祖母の家には自決用の青酸カリが置かれていたという。もしそれが使われていれば、私は今ここにいない。自分の存在のきわどさに驚かされる。そしてそれは多くの日本人も総じて同様だろう。あの日あの町に行っていたら。少し銃弾がずれていたら。日本人の生。それは奇蹟そのものである。なのに。
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「文藝春秋」(9月号)に寄稿した「証言・ソ連を北海道から撃退せり」の一部が文春オンラインに転載されました。占守島の戦いについての貴重な肉声です。 玉音放送2日後、北海道をソ連兵9000人が奇襲した「知られざる地上戦」元日本兵が証言 #早坂隆 #文藝春秋 #文春オンライン bunshun.jp/articles/-/564…
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8月15日を過ぎても、実は戦いは終わらなかった。ソ連は樺太や占守島などへ不法侵攻。満洲ではソ連軍兵士や中国人暴民らが日本人への殺戮や略奪、強姦などを繰り返した。その惨劇は「満洲大虐殺」と言えるほどのものであった。シベリア抑留の悲劇もここから始まっていく。合掌。
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終戦後、ソ連軍は南樺太にも侵攻。追い詰められた大平炭坑病院の看護婦たち23名は、手首にメスを入れるなどして集団自決。生き残りの一人である鳴海寿美さんは私の取材に対し「自決前に皆で歌を唄いました。皆、本当にいい人たちでした」と言ってうつむいた。彼女の手首には、深い傷跡が残っていた。
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終戦後の昭和20年8月17日深夜、ソ連軍は千島列島の占守島に攻撃を開始。武装解除中だった現地日本軍は徹底抗戦し、ソ連軍の侵攻を食い止めました。ソ連軍はそのまま南下して北海道の北半分を占領する計画でした。占守島で戦った方々のおかげで、日本は「分断国家」にならずに済んだのです。
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占守島の戦いでの池田末男大佐の言葉。「もはや降魔の剣を振るう他はない。諸子は今、赤穂浪士となり恥を忍んでも将来に仇を報ぜんとするか、或いは白虎隊となり玉砕をもって民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか」。この玉砕覚悟の戦闘によって、ソ連の北海道占領の野望は挫かれた。
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北方領土問題。ロシアは日本に「大戦の結果を受け入れろ」というが、終戦時に中立条約を破って侵攻したのはソ連軍。スターリンは北海道占領の野望まで持っていた。日本の第5方面軍の抵抗により北海道占領を断念したスターリンは択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島を次々と占領。国際法違反は明らか。
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日ソ中立条約を破棄したソ連は南樺太にも侵攻。真岡郵便局で働く女子職員には疎開指示が出たが、彼女達は「職務を全うしたい」と通信業務を続行。彼女達は最後、本土に向けて「皆さんこれが最後です。さよなら、さよなら」との言葉を残し、服毒による自決を図った。結果、9名の若き命が散った。合掌。
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終戦後、満洲在住の日本人たちは大変な惨苦を味わった。木下梅子さんはこう記す。「朝鮮人や満人(満洲人)が大勢ガラスを割って、大声を上げながら家の中に侵入してきた。そして彼らは有無を言わさず、運送屋のように荷物(家財道具)をどんどん運んで行く。抵抗すれば殺される」。
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8月20日は樋口季一郎陸軍中将の誕生日。樋口は多くのユダヤ難民を救出し、占守島の戦いによって北海道をソ連の分割から守った人物です。以前は知る人ぞ知るという存在でしたが、近年では関心を持つ方が増えてきました。樋口がドラマや映画になったら、この国の雰囲気も変わるのではと思っています。
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イスラエル在住のクララ・シュバルツベルグさんは、戦時中、満洲の大連で生活。樋口季一郎のビザによって救出された多くのユダヤ難民を目撃した。「ヒグチは偉大な人物です。日本人はヒグチのことをあまり知らないのですか?それは本当ですか?日本人は学校で何を習っているのですか?」
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多くのユダヤ難民を救った陸軍中将・樋口季一郎の名前は、イスラエルのエルサレムにあるJNF(ユダヤ民族基金)が保管する「ゴールデンブック」にも記されています。下記の写真は、私が現地で実際に確認した実物です。「GENERAL HIGUCHI」の文字が読めます。いまだに実在を疑う声があることは残念です。
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陸軍中将・樋口季一郎の直筆の書。「真に徳のある者は孤独ではない」という意味。樋口はまた「善悪不二」という言葉も大切にしていた。樋口は遺稿の中でこう綴っている。「世の中には絶対の善もなく、絶対の悪もない。善悪は相関的なものである」。
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「三船殉難事件」とは、終戦後の昭和20年8月22日、樺太から北海道へ引き揚げる人々を乗せた3隻の民間船が、ソ連の潜水艦による魚雷攻撃に晒され、約1700名もの方々が犠牲となった虐殺事件。潜水艦は海面に浮上し、無抵抗の船に機銃掃射まで行った。この潜水艦の艦長はロシアで「英雄」とされている。
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8月23日(火曜)20時から、ジャーナリスト有本香さんのネット番組【有本 香Channel】に出演します。樋口季一郎陸軍中将のことなどを話す予定です。ぜひご覧ください。 有本 香Channel ch.nicovideo.jp/arimotokaori #nicoch
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77年前の今日(8月23日)、ソ連の最高指導者であるスターリンは、50万人もの日本人将兵を捕虜とする命令を極秘に発令。結果、57万人以上もの日本人がシベリアなどに強制連行され、多くの方々が無念の思いを抱えたまま絶命されました。この明確な国際法違反は、今に到るまで全く裁かれていない。
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大変お世話になりました。私こそ学びの多い、かつ楽しい時間となりました。ありがとうございました。ご視聴いただいた皆様にも心より御礼申し上げます。 twitter.com/arimoto_kaori/…
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元抑留者の林英夫さん。「私たちは日々『日本に絶対に帰ろう』と励まし合って過ごしていましたが、それを叶えることができずに亡くなっていった戦友たちが可哀想でなりません。ぜひ多くの皆様に抑留の事実を知っていただき、慰霊の気持ちを持っていただければと心からそう思っています」
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実は抑留先はシベリアだけではなかった。終戦後、1万人以上もの日本人が満洲からモンゴルに不法に連行され、過酷な生活環境の中で1500~3000人が絶命。現在、ウランバートル郊外には日本人抑留者慰霊施設が建立されている。こうした埋もれた史実も丁寧に語り継ぎたい。合掌。
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ソ連による抑留では、実はウクライナも連行先の一つ。ハリコフ(ハルキウ)にも収容所があり、現在、ロシア軍によって破壊されている建物の一部も日本人抑留者が建設したものです。ウクライナの人々は日本人に同情的で食糧の差し入れもあったとか。死亡率が他の地より低かったという記録もあります。
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かつて「C級戦犯」としてフィリピンのモンテンルパ刑務所に収監された経験を持つ宮本正二さん。「11人の現地住民を殺害した」という全く身に覚えのない容疑だった。戦友の一人は「死にたくない」と絶叫し、刑場の露と消えたという。
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月刊「Hanada」10月号をご献本いただきました。心より御礼申し上げます。私はどんな政治家であれ「政策」への批判や検証はあって然るべきだと考えますが、現在、一部で見られる「死者に鞭打つ」ような言説には、哀しい感情と恐怖さえ覚えております。故人を穏やかに送りたいものです。#月刊Hanada
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今は亡き祖父母の部屋の押し入れを整理していたら、37年前の私が書いたらしきハガキと再会。汚い字、後に物書きになるとは思えぬ拙い文章。こんなものを大事に取っておいてくれたのか。昭和60年から祖父母の手を経て令和4年に届いた言葉たち。
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神奈川県大磯町の妙大寺にある樋口季一郎陸軍中将の墓を参拝。杉原千畝より2年も前に満洲で多数のユダヤ人に「命のビザ」の発給に奔走し、占守島の戦いでソ連軍の南下を食い止めて「北海道の分断」を防いだ樋口の功績は、もっと多くの方々に知ってほしい史実です。
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夏休み明けは、一年で最も子どもの自殺が多い時期。学校なんて仮病でズル休みしても良いし、行ったフリして海や山を見に行っても良い。むしろそうしろと言いたい。僕もそんな子どもだったけど、今日までノラリクラリと生きてきたら、思ったより良い事あったよ。本当だよ。