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国連人権高等弁務官事務所が中国新疆ウイグル自治区に関し「深刻な人権侵害」と発表。収容所内では拷問や虐待があり、「常に監視体制に置かれる」「手枷足枷をはめられる」「食料が十分に与えられない」等の事例が報告された。とんでもないニュースだが、日本でのテレビ等の扱いが小さいのが気になる。
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陸軍軍人・樋口季一郎は大正12年、朝鮮軍参謀に就任。在任は約1年の予定だったが、樋口は官舎の庭に梅や栗の苗木を植えた。家族が「1年しか居ないのに苗木を植えるなんて」と言うと、樋口は嬉しそうにこう答えたという。「10年後にこの家に入る人が喜ぶぞ」。
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敗戦後、樋口季一郎陸軍中将の官邸も、進駐軍に接収されることになった。退去時、四女の智恵子が庭になっていたリンゴを取ろうとすると、樋口はこう言ったという。「それに手を付けちゃいけない。『日本人はリンゴの実まで取っていった』と言われることは武士道に反する。みっともないことをするな」。
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幕末に来日したドイツの考古学者、シュリーマンは船に乗った際、正規料金より多い額を船頭に渡した。中国(清国)では、料金以上の額を常に後から請求されたためである。だが、日本の船頭は「規定の料金と違いますよ」と言って余分な額を返却。シュリーマンは感動した。「日本人の心」を忘れずに。
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「住民税非課税世帯に5万円程度の給付案」とのことだが、人間を「強者」と「弱者」でとらえる物差しの他に、「頑張っている者」と「頑張っていない者」という尺度も丁寧に見てほしい。頑張っている者が馬鹿を見るような社会は活力が失われる。間違っている。
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「正論」での対談以来、ご無沙汰しております。「戦没者の遺骨収集はオールジャパンで取り組むべき」という主張に賛成です。1体でも多くのご遺骨が帰れますように。
@kennoguchi0821 twitter.com/kennoguchi0821…
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幕末に来日したヒュースケンは、こう記している。「この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった(略)」。日本の良さを大切に。
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ロシアによるウクライナ侵攻の土台にあるのは「プーチンの歴史観」。そう考えると次に懸念すべきは「習近平の歴史観」だろう。習近平はこう語っている。「中華民族の偉大な復興の実現が、近代以降の中華民族の最も偉大な夢」「台湾統一は歴史的任務」。固有名詞以外、両者は同じ事を言っています。
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最近「賢いフリ」をする人が増えているように感じる。しかし、「賢いフリ」をする人よりも、「阿呆のフリ」のできる人のほうが、人として上等のように思う(もちろん私はただの阿呆です)。
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このたび歴史学者の久野潤氏が代表幹事を務める顕彰史研究会の顧問を引き受けることになりました。大東亜戦争にまつわる英霊の顕彰や慰霊はもちろん、国史上の偉人についても広く学術的研究を行うという同研究会の設立趣旨に賛同し、今後、微力ながら協力させていただきます。
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パラオのペリリュー島で、地中に埋もれたままになっている旧日本軍の戦車の発掘調査が初めて行われています。戦車の内部には、戦没者のご遺骨が残されている可能性が高いとみられています。暗く狭く蒸し暑い場所から青空のもとに出し、そして祖国に故郷にと還してあげたいものです。
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「美しい国」を目指した安倍晋三元首相。そのお別れの日、東京の街には長い長い列が生まれました。その列はとてもとても美しいものでした。
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オトポール事件で多くのユダヤ難民を救い、占守島の戦いによって日本を分断から護った樋口季一郎陸軍中将は淡路島の生まれ。このたび樋口の孫であるピアニストの紀美子さんが、同島でのコンサートに招かれ、生前の樋口が好きだったショパンの楽曲等を披露しました。天の樋口もさぞ喜んだことでしょう。
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今日は北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの誕生日。拉致当時13歳だっためぐみさんは58歳に。長い年月を思うとやり切れません。それから若い人はあまり知らないそうなので書きますが、小泉訪朝以前は一部の政治家やメディアが「北朝鮮が拉致などする筈がない」と主張していました。嘘のような本当の話。
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「Jアラート」ではなく、はっきりと「空襲警報」と言えば良い。
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昭和19年8月に起きた対馬丸事件の生存者で引率教師だった糸数裕子さんが97歳で亡くなりました。沖縄から本土に向かう学童疎開船「対馬丸」は米潜水艦の魚雷によって撃沈。子供など1500人近くが絶命しました。「先生、助けて」の声に苦しんだ糸数さんの戦後。天国で教え子たちと会えたでしょう。合掌。
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今日は樋口季一郎中将の命日。満洲国で多くのユダヤ難民を救出し、終戦後には占守島の戦いによってソ連の北海道占領を防いだ樋口は、昭和45年10月11日、老衰のため亡くなりました。享年82。晩年の樋口は食事のたび、妻の静子に「ママ、ありがとう」と手を合わせていたそうです。
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樋口季一郎中将の功績を伝える銅像が、出身地である淡路島に建立されました。軍人の顕彰は一種のタブーとされてきましたが、是々非々で冷静に評価する社会にようやく成りつつあることを感じます。軍人を悪玉にまとめて非難するのではなく、もちろん美化することもなく、史実に寄り添いたいものです。
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かつて「私は断言する、新聞はこの次の一大事の時にも国をあやまるだろう」と書いたのは随筆家の山本夏彦。昨今の活動家のような記者たちの言動を見るにつけ、この言葉の重みが改めて迫ってくる。あるいは、国をあやまるのはワイドショーかもしれないが。
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多くのユダヤ難民を救出した樋口季一郎中将の銅像が出身地である淡路島に建立されましたが、このことはイスラエルのテレビでも大々的に紹介されました。除幕式の様子や樋口の写真などを使い、かなり丁寧に報じられました。それに引き替え、日本のテレビメディアは何をしているのでしょうか。
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専門家でもない人がコメントするかたちの「ワイドショー」という番組スタイルは、もう限界なのでは。ちなみに、こういったスタイルの番組は海外にはほとんどありません。日本でも夜のBS放送などには面白い番組があるので、やればできるはずだと思います。虚報を繰り返す番組は要りません。
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先の大戦を語る際、「軍部の独走」はよく指摘されます。無論、そういった面はあったのですが、合わせて考えなければならないのが、当時の政治家が足を引っ張り合って、政策や方針が遅々として決まらず、その内に事態がずるずると泥沼化していったという一面。現在のどこかの国とよく似ていますね。