早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(古い順)

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特攻隊員の千田孝正伍長は「ほがらか隊」の一員だった。第72振武隊は自らを「ほがらか隊」と称した。子犬を抱いているのは荒木幸雄伍長、17歳。その写真右にいるのが千田伍長である。彼らは昭和20年5月27日、鹿児島県の万世飛行場から出撃。沖縄本島中部に広がる金武湾の東方において特攻、散華した。
977
日本降伏後の連合国軍(実質的にはアメリカ)による占領政策は比較的緩やかだったとよく言われるが、一概には言い切らない方がよい。実際には多数の強姦事件等があったのも事実。一説にはその被害者数は数千人にも及ぶとされるが、これらの事件は厳しいメディア規制によって報道されなかった。
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若き特攻隊員たち。彼らの存在がより近しく感じられるような気がして、胸を衝かれました。今までの想像以上に凛々しくもあり、幼くも感じられました。彼らの話し声が聞こえてくるようです。改めまして御霊への哀悼の誠を捧げたいと思います。 twitter.com/alpina2727/sta…
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17歳の特攻兵である荒木幸雄伍長は、基地の周囲をチョロチョロと歩き回っていた子犬を可愛がっていた。小さな子犬に彼が付けた名前は「チロ」。荒木伍長は「チロ、大きくなれよ」と声をかけ、自身は特攻作戦を遂行するため出撃した。合掌。
980
終戦直前、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に宣戦布告。満洲国への侵攻を開始した。当時、150万人以上いた在留邦人は日本に引き揚げることになったが、その途中、ソ連軍兵士や中国人の暴民らから数え切れないほどの殺戮や略奪、強姦などを受けた。「満洲大虐殺」と私は名付けたい。
981
ソ連の最高指導者であるスターリンは、50万人もの日本人将兵を捕虜とする命令(第9898号決定)を極秘に発令。結果、57万人以上もの日本人がシベリアなどの地に強制連行され、多くの方々が無念の思いを抱えたまま絶命されました。この明確な国際法違反は、今に到るまで全く裁かれていない。
982
取材でお世話になった多くの元日本軍兵士の方々が、ここ数年で亡くなられた。皆さん「平和の大切さ」を語ってくれたが、同時に「戦後の歴史教育の偏り」を嘆く声もとても多かった。ある方は「日本軍だけが悪者にされて悔しい」と下を向いた。ある方は「亡くなった戦友に申し訳ない」と号泣された。
983
ソ連によるシベリア抑留では、実はウクライナも抑留先の一つ。現在、激戦地となっているハリコフにも収容所があり、今、破壊されている建物や道路の一部も日本人抑留者が建設したものです。ウクライナの民衆は抑留者に同情的で食糧の差し入れもあったとか。死亡率が最も低かったという記録もあります。
984
日ソ中立条約を破棄したソ連は南樺太にも侵攻。真岡郵便局で働く女子職員には疎開指示が出たが、彼女達は「職務を全うしたい」と通信業務を続行。彼女達は最後、本土に向けて「皆さんこれが最後です。さよなら、さよなら」との言葉を残し、服毒による自決を図った。結果、9名の若き命が散った。合掌。
985
ロシアによるウクライナ侵攻後、私が最も驚かされたことの一つが、日本国内で「降伏」をすぐに口にしたコメンテーターがいたことである。歴史への無知が浅はかな主張を導き出してしまう実例を見た気がした。日本はやはり戦史や軍事学の基礎をしっかり学ぶようにしなければならない。今のままでは危険。
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日本という国は、政府が自国民に経済制裁している国なのかもしれない。
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知覧の特攻基地の近くで食堂を営んでいた鳥濱トメさんは、多くの特攻隊員から「お母さん」「おばちゃん」と親しまれた存在だった。遺族には出撃前の様子を綴った手紙を送り、戦後も隊員たちの供養を続けた。トメさんは平成4年に89歳で逝去。トメさんと特攻隊員たちの笑顔が心を揺さぶる。
988
特攻隊員の宮川三郎は出撃前日、飛び交うホタルを眺めながら食堂の女主人・鳥濱トメに言った。「俺、死んだらホタルになって帰ってくるよ」。翌日の夜、一匹のホタルが食堂内まで入ってきた。トメの娘が叫んだ。「お母さん、宮川さんが帰ってきたわよ!」。トメや居合わせた戦友らは皆でむせび泣いた。
989
上皇上皇后両陛下(当時は天皇皇后両陛下)のパラオご訪問を私は同行取材した。陛下はその際「先の戦争で亡くなった全ての人々を追悼」と語られた。陛下は常に国の違いを超えて哀悼の意を捧げられる。それが陛下の深いお気持ちなのであろう。その思いは現在進行中の戦争にも向けられているに違いない。
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以前に書いた記事ですが、今こそ読んでいただきたい内容です。 「ギャーという悲鳴、ブスブスッと銃弾が体に食い込む音が…」日本人1000人をソ連戦車部隊が殺害“葛根廟事件”に巻き込まれた少年の証言 終戦前日の「葛根廟事件」#1 #葛根廟事件 #早坂隆 #文春オンライン bunshun.jp/articles/-/452…
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4月7日は戦艦大和の命日。当時、世界一の性能を誇った大和は、沖縄防衛のため「水上特攻」を試み、坊ノ岬沖にて撃沈。乗員3332人の内、生存者はわずか276人であった。臼淵磐哨戒長の言葉。「敗れて目覚める(略)俺たちはその先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか」。
992
パラオのペリリュー州では、4月9日が祝日になっている。これは2015年4月9日に天皇皇后両陛下(現・上皇上皇后両陛下)がペリリュー島を訪問したことを受けて制定されたもの。「天皇皇后両陛下ご訪問の日」である。日本人とパラオ人、一緒に祝福しましょう。
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ペリリュー戦を戦い抜いた元兵士の永井敬司さん。「桜が散る季節になると、どうにもたまらない気持ちになるんです。それは玉砕の時の『サクラ、サクラ、サクラ』という言葉と、戦友たちが散っていった場面がどうしても重なって思い出されるから。私にとって春というのはとても悲しい季節なんですよ」。
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大戦終結後、ソ連は北海道の北半分の占領を画策して千島列島への侵攻を開始。日本軍は占守島で迎撃し、大打撃を与えてこれを食い止めた。もしそこで戦わなければ、北海道は占領され、より多くの人命が失われたであろう。占守島の戦いがあったから、日本は分断国家にならずに済んだのである。
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昭和20年5月18日、第五十三振武隊は鹿児島県の知覧飛行場から特攻作戦に参加するため出撃。沖縄周辺の海上で敵艦船に突入した。写真は出撃20分前の「最後の食事」を写した一枚。母の手料理を思い出しながらの食事だったかもしれない。合掌。
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イギリスのインデペンデント紙が「プーチン政権が約10万人ものウクライナ人を強制的にシベリアなどへ移住させている」と報道。これはまさに「シベリア抑留」。日本こそ毅然と声を上げるべき。 Putin ‘resettling Ukrainians 5,500 miles away in Russia’s far east independent.co.uk/news/world/eur…
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特攻隊である第五十三振武隊の隊員たちが、出撃前に撮った一枚の写真。自分はこんなに笑ったことがあっただろうか。この笑顔の意味をずっと考えています。
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特攻で散った方々は、現在の日本をどのような思いで見ているでしょうか。御霊の笑顔が曇るような国にはしたくないものです。 twitter.com/dig_nonfiction…
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ウクライナと国境を接するルーマニア。現地で暮らすルーマニア人の友人に「大丈夫?」とメールしたら「次は日本かもしれないね。気をつけて」と返されてしまった。
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北海道の北半分の領有を狙って千島列島に侵攻してきたソ連軍を「占守島の戦い」で阻止していなければ、日本は朝鮮半島のような分断国家になっていたはずです。そのことを考えれば、安易な降伏論や非武装論の危険性は証明されると思うのですが、世の中には奇怪なコメンテーターや政治家がいるものです。