早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(古い順)

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「ガンダム」や「進撃の巨人」などを通じて「戦争に一方的な悪者などいない」という認識を深めてきた多くの日本人(私を含む)だが、これだけプーチンの「アメリカのB級映画に出てくるような悪の親玉感」が強いと、何がリアルで何がトンデモかわからなくなる。それが戦争か。
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日本軍の特攻作戦を「強制」という言葉だけで片付けようとする言論はいまだ根深い。「犬死」とも称される。しかし今、祖国防衛のため、決死の覚悟で他国からウクライナに戻っているウクライナ人はどうであろう。彼らは「強制」で動いているのか。彼らが戦死したら「犬死」か。私はそうは思わない。
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かつてソ連軍は日本人に何をしたか。昭和20年8月14日、満洲国・興安街から退避していた一般住民をソ連の戦車部隊が包囲。無差別攻撃により多くの人々が虐殺された。戦車は遺体も重傷者も踏み付けながら走った。千数百人いた避難民の内、日本に帰国できたのはわずか百余名。これを葛根廟事件という。
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戦争への最大の抑止力とは、軍事力の均衡である。今回のロシアによるウクライナ侵攻に対する「外交で解決できなかったのか」という問いには「軍事力の均衡が崩れていなければ、外交で解決できたかもしれない」と答える。
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ソ連によるシベリア抑留では、実はウクライナも抑留先の一つ。現在、激戦地となっているハリコフにも収容所があり、今、破壊されている建物や道路の一部も日本人抑留者が建設したものです。ウクライナの民衆は抑留者に同情的で食糧の差し入れもあったとか。死亡率が最も低かったという記録もあります。
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ソ連の最高指導者であったスターリンは、50万人の日本人将兵を捕虜とする命令を極秘に発令。結果、57万人以上もの日本人がシベリアなどの地に強制連行され、多くの方々が無念の思いを抱えたまま絶命されました。この明確な国際法違反は、今に到るまで全く裁かれていない。
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昭和20年3月10日の東京大空襲は、民間人を標的とした無差別爆撃で国際法違反。しかし、後の東京裁判では全くの不問に付された。空襲の指揮官だったカーチス・ルメイは後にこう語っている。「もし、われわれが負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸い、私は勝者の方に属していた」
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東京大空襲。当時、16歳だった築山実さんは子供が火だるまになった光景をこう綴る。「防空頭巾に火が燃え付いたのと『熱いよ、苦しいよ、助けて』というのと同時のようであった。子供は何秒か暴れていたが、ガソリンでも全身に掛けられたようにパッと燃えあがり、身体全体けいれんしていた〉。合掌。
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北方領土問題。ロシアは日本に「大戦の結果を受け入れろ」と言うが、終戦時に中立条約を破って侵攻したのはソ連軍。スターリンは北海道占領の野望まで持っていた。日本の第5方面軍の抵抗により北海道占領を断念したスターリンは択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島を次々と占領。国際法違反は明らか。
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東日本大震災の時、最も助けてくれたのが台湾だった。「一番苦しい時に助け合うのが本当の友人」と。その台湾が今、中国からの圧力により、いよいよ苦しんでいる。日本は「本当の友人」としていかに行動すべきか。「恩返し」という美しき日本語。忘れたら日本でなくなる。
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占守島の戦いでの池田末男大佐の言葉。「もはや降魔の剣を振るう他はない。諸子は今、赤穂浪士となり恥を忍んでも将来に仇を報ぜんとするか、或いは白虎隊となり玉砕をもって民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか」。この玉砕覚悟の戦闘によって、ソ連の北海道占領の野望は挫かれた。
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今回のロシアによるウクライナ侵攻と、大東亜戦争時の日本を「侵略戦争」の一語で同一視する言説を散見するが、天然ガスや石油の豊富な資源大国と、各国から資源を止められた「持たざる国」を並べて語るのは、さすがに無理がある。歴史は丁寧に扱うべき。
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終戦直前、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、満洲国に侵攻。当時、150万人以上いた在留邦人は日本に退避することになったが、ソ連軍兵士や中国人の暴民らから数え切れないほどの虐殺や略奪、強姦等を受けた。現在、ウクライナ国民の退避が続いているが、避難支援と監視体制の強化を。
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パレスチナ取材中、とあるパレスチナ人にこう言われた事がある。「空爆の際、飛んできた破片で片目を負傷したら、あなた達はその目を手で覆うでしょう。でも、それでは駄目です。そういう時は、まだ負傷していないほうの目を覆いなさい。そうやってまだ無事な目を守るのです。それが戦場ですよ」
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昭和20年3月13日の深夜から14日の未明にかけて、大阪が米軍による大空襲に見舞われました。ナパーム弾やクラスター焼夷弾が使用され、難波や心斎橋も激しい炎に包まれました。一夜にして約四千人もの命が奪われたと言われます。東京大空襲に隠れてしまいがちですが、しっかりと語り継ぐべき史実です。
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終戦後、樺太から北海道へ引き揚げる人々を乗せた3隻の民間船がソ連の潜水艦による魚雷攻撃に晒され、実に約1700名もの方々が犠牲となった(三船殉難事件)。潜水艦は海面に浮上し、無抵抗の船に機銃掃射まで行った。この潜水艦の艦長は現在、ロシアにおいて「英雄」とされている。
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文春オンラインにて、拙著『指揮官の決断 満州とアッツの将軍 樋口季一郎』の一部を抜粋した特別記事が公開されました。 “他人事”ではないロシア軍によるウクライナ侵攻…いまこそ知るべき、終戦後の日本軍を襲ったソ連軍の「傍若無人」な侵攻とは? #文春オンライン bunshun.jp/articles/-/525…
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終戦後、ソ連軍は南樺太にも侵攻。追いつめられた日本人看護婦23名は、強姦よりも自決の道を選び、それぞれ手首にメスを入れた。生存者の一人である鳴海寿美さんは私の取材に対し「自決前に皆で歌を唄いました。皆、本当にいい人たちでした」と言ってうつむいた。彼女の手首には深い傷跡が残っていた。
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大東亜戦争時におけるソ連軍の満洲国への侵攻と虐殺は国際法違反だが、そのような事態を招いた背景の一つには関東軍の縮小があった。太平洋戦線で苦戦の続いた日本は、満洲守備の関東軍の多くを南方へと転戦させていた。それによって生じた軍事力の不均衡が、ソ連軍による満洲での蛮行に繋がった。
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真珠湾攻撃と言えば大規模な航空部隊による戦闘が想起されるでしょうが、暗い海中を進んで魚雷を発射する特殊潜航艇で戦った方々もいました。戦死した9名は「軍神」とされましたが、敗戦後は「戦争協力者」等と評価が一変。まさかの「悪者扱い」に遺族たちは涙を流しました。合掌。
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「岐阜新聞」に樋口季一郎中将に関する記事が出ました。占守島の戦いの教訓からウクライナ侵攻を読み解こうとする内容です。良い記事だと思います。 「終戦直後」ソ連侵攻に立ち向かう 占守島の自衛戦決断した旧陸軍軍人|岐阜新聞Web gifu-np.co.jp/articles/-/530…
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「占守島の戦い」は終戦後の昭和20年8月17日から始まった戦闘。千島列島の占守島に不法侵攻してきたソ連軍を日本軍が食い止めた戦いです。ソ連軍はそのまま南下して北海道の北半分を占領する計画でした。占守島で戦った方々のおかげで、日本は「分断国家」にならずに済んだのです。
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パラオ・ペリリュー戦からの帰還兵である永井敬司さんから聞いた言葉。「日本を守るためですよ。内地で暮らす家族や女性、子供を守るため。私たちは太平洋の防波堤となるつもりでした。そのために自分の命を投げ出そうと。そんな思いで懸命に戦ったのです」。永井さんは2019年11月4日に御逝去。合掌。
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戦時中、多くの特攻隊員が、美しくも潔く散ってゆく桜の儚さに自身の命を重ね合わせました。そんな方々の存在があって、今年の春もあります。
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18歳の遺詠です。