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戦争体験者の方々への取材が、いよいよ難しくなってきています。以前に取材させていただいた方々の訃報も増えました。本当に寂しい限りです。戦前戦中を生きた方々への取材は、あと数年がラストチャンスだと思うので、少しでも活字として記録しておくため、全力を尽くしたいと思います。
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パラオ・ペリリュー島の戦いの生存者であった土田喜代一さんが今週、逝去されました。土田さんとは取材を通じて知り合い、天皇皇后両陛下がパラオをご訪問された際にも、現地でお会いしました。現在、パラオについての原稿を改めてまとめている中で触れた訃報でした。ご冥福をお祈りいたします。
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文春オンラインに「ユダヤ難民を救った『もう一人の日本人』を知っていますか?」と題した記事を寄稿しました。陸軍中将・樋口季一郎について解説していますので、是非ご一読ください。
ユダヤ難民を救った「もう一人の日本人」を知っていますか? #樋口季一郎 #文藝春秋 bunshun.jp/articles/-/8962
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「日本人によるユダヤ難民救出」と言えば杉原千畝が有名ですが、樋口季一郎のことも知ってほしいと思います。樋口は杉原より2年も前にユダヤ難民へのビザ発給に尽力した陸軍軍人。その後、占守島の戦いを指揮し、北海道をソ連による分割から守った人物でもあります。
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日本を続けざまに襲った台風と地震のニュースを知ったルーマニアの友人から心配のメール。彼の言葉を被災地の皆様に伝えたいと思います。「今、日本の皆様の幸福を教会で祈ってきました。宗教は違っても私たちは同じ仲間、友人だと思うから。ドラキュラの国から、太陽の国の皆様へ愛を込めて」
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終戦後の8月17日深夜、ソ連軍は日本領千島列島の占守島に不法侵攻。ソ連は北海道の占領を目論んでいました。しかし、これを阻止したのが第91師団の指揮下にあった占守島の将兵たち。爆薬を抱えて敵戦車に飛び込むといった彼らの決死の戦いにより、日本は分断国家とならずに済んだのです。
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終戦後、ソ連軍は南樺太に侵攻。追い詰められた大平炭坑病院の看護婦たち23名は、手首にメスを入れるなどして集団自決。生き残りの一人である鳴海寿美さんは、私の取材に対し「自決前に皆で歌を唄いました。皆、本当にいい人たちでした」と言ってうつむいた。彼女の手首には、深い傷跡が残っていた。
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特攻隊員・渋谷健一には、幼い子供と身重の妻がいた。彼は遺書にこう書き記した。「父恋しと思わば空を視よ。大空に浮ぶ白雲に乗りて父は常に微笑みて迎う」。昭和20年6月11日、渋谷は特攻死。奇しくも同日、妻・光は男児を出産。周囲の者たちは「生まれ変わり」と驚嘆して号泣した。合掌。
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太平洋の楽園・パラオには、日本統治時代の影響から現地語に日本語が混在しています。「ヨロシク」「ダイジョウブ」「デンワ(電話)」などなど。ビールを飲むことは「ツカレナオス(疲れ治す)」と言います。『世界の路地裏を歩いて見つけた「憧れのニッポン」』(PHP新書)より
#憧れのニッポン
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イスラエル在住のクララさんは、戦時中、大連に滞在。樋口季一郎のビザによって救出された多くのユダヤ難民を目撃した。「日本人はあまりヒグチのことを知らない?日本人は学校で何を習っているのですか?」『世界の路地裏を歩いて見つけた「憧れのニッポン」』(PHP新書)より
#憧れのニッポン
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皆さんも海外で「日本に憧れる人々」と出会った経験、沢山あると思います。ぜひ教えてください。拡散していきましょう。「日本死ね」なんて言っていても、いい事ないですし。
#憧れのニッポン
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【ジョーク】
中国人が日本人に言った。
「自分の意見を絶対に正しいと思っている人間は愚かだ」
それを聞いた日本人が尋ねた。
「なるほど。だが、あなたのその意見は本当に正しいのだろうか?」
中国人は言った。
「もちろん、絶対に正しい」