早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(新しい順)

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昭和20年8月13日、満洲国の小山克にて、日本の民間人が乗った列車が小銃等を持った武装勢力に襲われた。女性は輪姦され、抵抗者は次々に殺害された。さらに、100人以上もの女性が崖から飛び降りて自決した。ほとんど知られていないが、これを「小山克事件」という。合掌。
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日本海軍には多くの隠語があり、「結婚する」を「マリる」、「鼻の下を伸ばす」を「ロング」、「梅毒」を「プラム」などと称した。70年以上前の軍人さんといえども、今の若者とさして変わらない表情も持っていた。そんな彼らが身命を賭して戦い、斃れていったのが先の大戦の素顔。合掌。
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ペリリュー守備隊長の中川州男大佐は、米軍の上陸戦が始まる前に、島民と在留邦人に対して他の島への疎開指示を徹底。その結果、同島では熾烈な戦闘となったにもかかわらず、民間人への被害は極力抑えられた。その事に関して、今も感謝の言葉を述べるペリリューの人々は少なくない。
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台湾南部の農業の発展のため、八田與一が作った烏山頭ダム。台湾では「最も尊敬すべき日本人」とも称され、その功績は教科書にも記載されている。そんな八田も1942年、乗っていた客船が米軍の攻撃に遭い死亡。その後、八田の妻は、かつて夫がつくったダムに身を投げて後を追った。合掌。
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8月12日、BS日テレ「深層NEWS」に出演します。テーマは「ペリリューの戦い」です。22:00〜の予定です。宜しくお願いします。 twitter.com/maru2018yomi/s…
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【ジョーク】  日本人と韓国人が殴り合いの喧嘩をしていた。駆け付けた警察官に対し、韓国人がこう叫んだ。 「とにかく、ひどい話なんですよ!」  警察官が聞いた。 「いったい何が喧嘩の原因なんだ?」  韓国人が答えた。 「この日本人が私に殴り返してきたのが喧嘩の原因です」
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あいちトリエンナーレでは、特攻隊を侮辱するような展示もあったとの事。以下、特攻隊員たちの遺詠などを紹介します。 生きるのは 良いものと気が付く 三日前 犬に芸 教えおおせて 友は征き 咲くもよし 散るはなほよし わかざくら 即菩提 即煩悩の きさら月 芸術とは何でしょうか。合掌。
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河野太郎外務大臣が、日本の外務大臣として初となるパラオ訪問。レメンゲサウ大統領と会談し、先の大戦時の日本人の遺骨収集について、今後も緊密に連携していく事で一致しました。パラオには未だ2200柱ものご遺骨が残されたままになっていますが、この会談を機に収集活動が活発化する事を望みます。 twitter.com/konotarogomame…
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フィリピンで「カミカゼ・ミュージアム」を運営するダニエル・ディソンさん。幼少時、多くの日本兵と親しくなり、餅や芋をもらったという。「ヤマカワという名の中尉が私のことを『自分の小さな弟によく似ている』と言って可愛がってくれました。よく手を繋いで一緒に散歩したんですよ」
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戦後74年。日本は昭和天皇の写真を燃やす動画を芸術として公に展示しようとする国になりました。未来の日本人のために命を落とした御霊は、どう思われていることでしょう。御霊に対して申し訳ない思いに堪えませんが、これから終戦の日に向けて鎮魂の念を大事にしていきましょう。その思いこそ芸術。
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俺が死んだら何人泣くべ 特攻隊員(第23振武隊)前田敬の遺書。享年23。 合掌。
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特攻隊員の方々の遺書より。享年は左の前原軍治曹長が24、右の小野田務少尉が19。内容はもちろんだが、戦前の青年の達筆さには心打たれる。
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最初の神風特別攻撃隊「敷島隊」は、フィリピンのマバラカット飛行場で編成された。現在、同地はフィリピンの人々の手によって維持されている。「どうして日本の政治家は、命を賭けて祖国を守った人々の慰霊に来ないのですか?」
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パラオ・ペリリュー島の守備隊長だった中川州男大佐は、米軍の上陸作戦が始まる前に島民たちに疎開を指示。結果、島民への被害を防ぐことができた。今もペリリューの人々はその恩義を忘れていない。中川大佐はその後、「サクラ、サクラ、サクラ」という玉砕を告げる電報の末、自決。享年46。合掌。
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樋口季一郎は杉原千畝より前に「ユダヤ人救出劇」を実現させた陸軍中将。占守島の戦いを指揮し、北海道をソ連の分断から守った人物でもある。かつては「知る人ぞ知る」という存在だったが、最近は関心を持つ人が着実に増えている。男前でダンスも上手だったとか。より多くの日本人に知ってほしい人物。
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「ユダヤ難民を救った」「北海道を分断から守った」陸軍中将・樋口季一郎に関する記念館が、北海道に開設される予定です。埋もれた存在だった樋口に焦点が当たるようになり、非常に嬉しく感じています。私も微力ながら協力できればと思っております。 - hokkaido-np.co.jp/article/327706 @googlenewsより
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終戦後の8月17日深夜、ソ連軍は日本領千島列島の占守島に不法侵攻。ソ連は北海道の占領を目論んでいました。しかし、これを阻止したのが第91師団の指揮下にあった占守島の将兵たち。爆薬を抱えて敵戦車に飛び込むといった彼らの決死の戦いにより、日本は分断国家とならずに済んだのです。
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茨城県水戸市の茨城県護国神社に建つ「ペリリュー島守備部隊鎮魂碑」。ペリリュー戦における日本側の戦死者は10022名。両陛下のパラオご訪問以降、ペリリュー戦に関心を持つ方は増えているが、この地を訪れる人はまだまだ少ない。まずはその存在を知ってほしい。合掌。
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ペリリューの戦いは、多くの方々に知っていただきたい史実です。拙著「ペリリュー玉砕」は指揮官の中川州男大佐が主人公になっていますが、実は本当の主人公は永井さんをはじめとする元兵士の方々だと思っています。そして、あの島で亡くなられた全ての方々に、改めて哀悼の誠を捧げたいと思います。
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ペリリュー戦の生き残りの一人である永井敬司さん(97歳)はこう語る。「日本を守るためですよ。内地で暮らす家族や女性、子供を守るため。私たちは太平洋の防波堤となるつもりでした。そのために自分の命を投げ出そうと。そんな思いで懸命に戦ったのです」
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戦争体験者の方々への取材が、いよいよ難しくなってきています。以前に取材させていただいた方々の訃報も増えました。本当に寂しい限りです。戦前戦中を生きた方々への取材は、あと数年がラストチャンスだと思うので、少しでも活字として記録しておくため、全力を尽くしたいと思います。
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パラオ・ペリリュー島には、かつて日本軍が使用した地下壕が今も多く残る。壕内には腐食した水筒や飯盒などが点々と転がる。同島で戦死した約1万人の日本兵の内、およそ2200柱が未収集。彼らは今日も祖国から迎えが来るのを待っている。
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ペリリュー戦の指揮官だった中川州男大佐は、熊本県玉名郡の出身。米軍の上陸前に住民を疎開させ、被害の拡大を抑えた。将兵にはバンザイ突撃を禁止。地下壕を駆使した抗戦により、米第一海兵師団に「史上最大の損害率」を与えた。熊本市の立田山に立つ彼の墓は、震災の復興途中の故郷を今日も見守る。
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最新刊『ペリリュー玉砕 南洋のサムライ・中川州男の戦い』(文春新書)刊行。パラオ・ペリリュー島の指揮官だった中川州男大佐の評伝です。「サクラ、サクラ、サクラ」の言葉の背景を探ります。 ペリリュー玉砕 南洋のサムライ・中川州男の戦い 早坂隆 amazon.co.jp/dp/4166612220/… @AmazonJPより
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世界は現在、日本酒(SAKE)ブーム。「南部美人」は「サザンビューティー」の名で、世界30カ国ほどで親しまれている。蔵元の久慈浩介さんが大事にしているのが「和醸良酒」という言葉。「和が良い酒を造る」という「日本人らしさ」が、世界の人々を魅了する一滴を生み出している。