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1919年、第一次世界大戦後に開かれたパリ講和会議において、日本は世界の先進国で初めて「人種差別の撤廃」を明確に主張。結局、この提案はアメリカやイギリスの反対によって否決されましたが、そんな日本が中国への人権決議一つ骨抜きでしか出せない国になってしまったのかと思うとあまりに情けない。
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「権力の暴走」以上に恐いのが「メディアの暴走」。これは昭和史の教訓でもある。メディアの仕事は反権力に凝り固まることではなく、偏見なく事実を伝えること。権力の監視は必要だが、そればかりに執着すれば目が曇る。
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「コロナ禍」から「コロナ対策禍」になりつつある。
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私の友人の新聞記者たちは、とても丁寧に取材するし、今の偏った新聞業界を変えたいと思って頑張っている人ばかり。しかし、過激な極左思想に凝り固まった記者たちの異様な行動により、新聞メディアへの不信は加速する一方。活動家のような記者など要らない。
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大切なのは史実の追求。だが新発掘の史実をいくら提示しても絶対に認めない人たちがいる。数学でも物理でも全ての学問は新発見があれば修正されていくが、歴史だけは東京裁判史観や南京大虐殺肯定論から一歩たりとも動かしてはならないという。9条を一文字も変えてはいけないとする護憲派の姿と似る。
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終戦直前、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に宣戦布告。満洲国への侵攻を開始した。当時、150万人以上いた在留邦人は日本に引き揚げることになったが、その途中、ソ連軍兵士や中国人の暴民らから数え切れないほどの殺戮や略奪、強姦などを受けた。「満洲大虐殺」と私は名付けたい。
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とりわけ第6波に関して言えば、もはや「コロナ禍」というより「メディア禍」。
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私は南京で100人以上の方に取材しましたが、最初は大虐殺を語っていた人でも、何日も会って仲良くなり、公の場所ではなく自宅などで話を聞くと「本当は我が国の歴史なんて嘘だらけ」といった話が山ほど。「でも日本の新聞が認めているんだろ?」とも。これがこの問題の核心。
news.yahoo.co.jp/articles/32af3…
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横田めぐみさんは拉致された当時13歳でしたが、私の娘が今、13歳。めぐみさんはもちろん御両親の心痛を思うとやり切れません。それから若い人はあまり知らないそうなので書きますが、小泉訪朝以前は一部の政治家やメディアが「北朝鮮が拉致などする筈がない」と主張していました。嘘のような本当の話。
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米軍の原爆投下や、ソ連のシベリア抑留などが東京裁判で裁かれなかった点はよく指摘される通りですが、同時に見逃してはいけないのは、日本を「侵略国」として裁いているその最中に、欧米各国が(日本を追い出した後の)アジアへ再侵略を果たしている点です。彼らに正義などあったはずがありません。
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慰安婦問題を巡ってソウルの日本大使館前で催されている抗議デモを以前に取材した時、日本から来た市民団体の数名の女性が土下座しているのを見た。本人達は良い事をしているつもりなのだろうが、こういう人達が両国関係をこじらせ泥沼化させていると思った。近年、その思いは正しかったと強く感じる。
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ルーマニア在住時、友人から「日本の皇室は世界最古の男系継承だろ? その伝統を大切にね」と言われた事がある。外国人のほうが日本の皇室の価値を分かっている場合もある。ちなみにルーマニアの王政は共産党によって廃止され、退位を強いられたミハイ1世は国外退去となった。
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いくらウイルスが弱毒化しても、政治やメディアが強毒化していたら、国民の暮らしは破壊され続ける。
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少数派の意見にも耳を傾けるのは大事なこと。しかし、日本の場合、いくらなんでもノイジーマイノリティの意見を聞きすぎている。ノイジーマイノリティが社会をどんどん窮屈にしている。「多数派が間違っていて少数派が正しい」という前提などない。
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とある特攻隊員の御遺族の方は、終戦後、某全国紙の記者から「反省の言葉」を求められたそうです。中国に出征した元兵士の方は、愛する孫から「おじいちゃんは何人の中国人を虐殺したの?」と聞かれ、涙が止まらなかったそうです。戦後の自称「平和教育」とは、残酷で、薄っぺらで、偏ったものでした。
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取材でお世話になった多くの元日本軍兵士の方々が、ここ数年で亡くなられた。皆さん「平和の大切さ」を語ってくれたが、同時に「戦後の歴史教育の偏り」を嘆く声もとても多かった。ある方は「日本軍だけが悪者にされて悔しい」と下を向いた。ある方は「亡くなった戦友に申し訳ない」と号泣された。
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日本軍を美化したいとは思いません。史実に基づいて是々非々でとらえることが重要です。軍人の中にも色々な人がいたわけです。そこを丁寧に見たい。その上で、日本軍が米軍やソ連軍などと比べて、特別に軍紀違反が多かったり、残虐だったり、非人道的だったとは全く思いません。歴史を公正に見よう。
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杉原千畝に比べて樋口季一郎の知名度が低いのは、杉原が外交官だったのに対し、樋口が陸軍軍人だったからだと思います。しかし、外交官だろうが軍人だろうが、その生涯は史実に沿って公平に評価すべきです。歴史を都合よくトリミング(切り抜き)してはいけません。偏り無く史実を継承しましょう。
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「占守島の戦い」は終戦後の昭和20年8月17日から始まった戦闘。千島列島の占守島に不法侵攻してきたソ連軍を日本軍が食い止めた戦いです。ソ連軍はそのまま南下して北海道の北半分を占領する計画でした。占守島で戦った方々のおかげで、日本は「分断国家」にならずに済んだのです。
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樋口季一郎のユダヤ人救出劇に対し、関東軍参謀長だった東條英機は、「当然の人道上の配慮」として黙認。満鉄総裁の松岡洋右は、無料の特別列車を運行させました。歴史とは史実に基づいて常に是々非々で語られるべきであり、東條や松岡のこうした功績もしっかりと語り継ぐべきだと思います。 twitter.com/katsuyatakasu/…
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