早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(新しい順)

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百田尚樹さん『日本国紀』読了。新版になり、樋口季一郎に関する記述がより充実していたことが嬉しい。主要参考文献の中に拙著もあって恐悦。
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喫茶店でおじいちゃんが「ファイザーなんて昔は欠陥マンションを建てていたんだがね」と話していたが、それはたぶんヒューザー。
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アメリカ国防総省は「中国が2030年までに少なくとも1000発の核弾頭の保有を目指している可能性がある」とする年次報告書を今月初旬に公表。そのペースはアメリカの従来の予測を上回るものだと報告しています。その上で「同盟国の連携が重要」とされていますが、日本の危機感は弱過ぎるように思います。
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今から77年前の昭和19年11月24日、ペリリュー島の守備隊長・中川州男大佐は、集団司令部に向けて「サクラサクラサクラ」と打電。玉砕の意を告げた。その後、中川大佐は地下壕内にて自決。この戦いにおける日本人犠牲者は1万人以上。未だ2200柱以上のご遺骨が島に眠る。合掌。
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「勤労感謝の日」の本来の姿は「新嘗祭」。稲の収穫を祝い、翌年の豊作を祈願する日で、宮中恒例祭典の中でも最も重要なものとして位置付けられています。しかし、戦後、GHQの占領政策により「勤労感謝の日」という名に変えられました。私は「新嘗祭」に戻したほうが良いと思っています。
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私は2年ほどルーマニアに住んでいたことがありますが、選挙権などの参政権はもちろん有していなかったし、欲しいとも思いませんでした。ルーマニアの事はルーマニア人が決めるのが当然だと思っていたからです。
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自衛隊殉職隊員追悼式が開催されました。10年程前、取材で某駐屯地を訪れた際、多くの殉職者の存在を教えていただきました。今年度、事故等で亡くなられた方々は18名。以下、遺族代表の言葉です。「自衛官が有事に備え、命の危険を顧みず訓練や任務についていることを多くの国民にご理解いただきたい」
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中国人女子テニス選手が元副首相から性的暴行を受けたと告白してから消息不明になっている件につき、米国は深い懸念を表明。他の人権侵害も含め、北京五輪に影響が出るのは間違いない。だが、日本の反応は極めて鈍い。東京五輪の中止を強硬に主張した「人権派」は、北京五輪にこそ声を上げるべきでは?
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横田めぐみさんは拉致された当時13歳でしたが、私の娘が今13歳。めぐみさんはもちろん御両親の心痛を思うとやり切れません。それから若い人はあまり知らないそうなので書きますが、小泉訪朝以前は一部の政治家やメディアが「北朝鮮が拉致などする筈がない」と主張していました。嘘のような本当の話。
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横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから、今日で44年。拉致当時13歳だっためぐみさんは、現在57歳ということになります。今日は私もブルーリボンを付けて外出。ブルーリボンは北朝鮮にいる拉致被害者と家族を結ぶ「青い空」と、日本と北朝鮮を隔てる「日本海の青」を表しています。
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高度に擬態するローソン(小田原駅前)
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山本五十六も良いですが、樋口季一郎もぜひ映像化してほしい。多くのユダヤ難民を救った「オトポール事件」や、ソ連軍の侵攻を食い止めて北海道の分断を阻止した「占守島の戦い」を主導した陸軍中将。誰か手を挙げてくれないだろうか。 twitter.com/YahooNewsTopic…
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94歳の元海軍の方に取材。昭和史の生き証人。人生の大先輩。学ぶことが山ほどある。埋もれさせてはいけない。しっかり活字にして、多くの方々に伝えたい。「日本は大丈夫かね」の言葉が重い。
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旧ソ連の抑留死、新たに15人特定 sankei.com/article/202111… @Sankei_newsより
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11月3日は文化の日ですが、戦前は「明治節」。明治天皇の誕生日を祝す日でした。しかし、大東亜戦争の終結後、GHQの一方的な勧告により、名称が変更されました。占領下において祝日まで変えられたわけです。しかし、私は歴史的意味に沿った本来のあるべき姿に戻すべきだと思います。
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今回の衆院選を通じて、安全保障に関する議論には総じて物足りなさを感じている。自民党総裁選の時のほうが、よほど議論が深化していたように思う。ところが、野党が論戦に加わった途端、議論が一気に後退した。この現象と同様のことが、国会でも起きているのだと考える。日本の大いなる問題点である。
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保守でもリベラルでも考え方は様々あって良いと思うが、どんなに控えめに言っても、金品の授受を伴う複数の女性との交際スキャンダルで県知事を辞職した者や、詐欺罪で逮捕されて有罪判決を受けた者が「まっとう」とはどうしても思えない。大切なのは良識と道徳。有権者の「まっとう」に期待したい。
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「戦争の記憶」と同じく、しっかりと語り継ぐべきは「共産主義の歴史」。私が住んでいたルーマニアはもちろん、他の東欧諸国、ソ連、中国、カンボジア等々、多くの国々において、戦争よりも共産主義によって人々の命が奪われてきた。これは義務教育で丁寧に教えるべき案件。過ちを繰り返さないために。
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独裁体制を敷いたルーマニア共産党も元々は小さな政党でした。しかし同党は他の左派政党と協力(共闘)しながら勢力を拡大。その後、協力関係にあった他党を強引に吸収して独裁政権を構築しました。共産党は以降、反対者への弾圧を開始。そんなルーマニア共産党と友好関係にあったのが日本共産党です。
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独裁体制を敷いたルーマニア共産党も元々は小さな政党でした。しかし同党は他の左派政党と協力(共闘)しながら勢力を拡大。その後、協力関係にあった他党を強引に吸収して独裁政権を構築しました。共産党は以降、反対者への弾圧を開始。そんなルーマニア共産党と友好関係にあったのが日本共産党です。
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かつてのルーマニアでは、多数の子供たちがマンホール内での生活を余儀なくされていました。私は彼らが暮らす地下世界への取材を2年に渡って継続する中で、共産主義の欺瞞と恐ろしさを日々痛感しました。そして『日本をこんな国にしてはいけない』と心から思いました。その思いは今も変わりません。
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なかなか報道されませんが、こういった大切な慰霊祭が粛々と行われています。鎮魂の思いを寄せる人が増えることを願います。 twitter.com/mic_japan/stat…
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多数のユダヤ難民を救出した「オトポール事件」を主導し、ソ連軍の北海道侵攻を阻止した「占守島の戦い」を指揮した陸軍中将・樋口季一郎は「善悪不二」という言葉を大切にしていました。樋口は遺稿の中でこう綴っています。「世の中には絶対の善もなく、絶対の悪もない。善悪は相関的なものである」。
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今日は樋口季一郎の命日。満洲国で多くのユダヤ難民を救出し、終戦後には占守島の戦いによってソ連の北海道占領を防いだ樋口は、昭和45年10月11日、老衰のため亡くなりました。享年82。晩年の樋口は食事のたび、妻の静子に「ママ、ありがとう」と手を合わせていたそうです。
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夜の京都駅にオバケがいた。