早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(いいね順)

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喫茶店でおじいちゃんが「ファイザーなんて昔は欠陥マンションを建てていたんだがね」と話していたが、それはたぶんヒューザー。
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終戦直前、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に宣戦布告。満洲国への侵攻を開始した。当時、150万人以上いた在留邦人は日本に引き揚げることになったが、その途中、ソ連軍兵士や中国人の暴民らから数え切れないほどの殺戮や略奪、強姦などを受けた。「満洲大虐殺」と私は名付けたい。
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最初の神風特別攻撃隊「敷島隊」は、フィリピンのマバラカット飛行場で編成された。現在、同地はフィリピンの人々の手によって維持されている。「どうして日本の政治家は、命を賭けて祖国を守った人々の慰霊に来ないのですか?」
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ロシアのウクライナ侵攻について「話し合いでなんとかできなかったのか」と主張する方々が散見されるが、そのような声には「軍事力の均衡が崩れていなければ、話し合いで解決できたかもしれない」と答えたい。
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8月20日は樋口季一郎陸軍中将の誕生日。樋口は多くのユダヤ難民を救出し、占守島の戦いによって北海道をソ連の分割から守った人物です。以前は知る人ぞ知るという存在でしたが、近年では関心を持つ方が増えてきました。樋口がドラマや映画になったら、この国の雰囲気も変わるのではと思っています。
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2月7日は北方領土の日。ロシアは日本に「大戦の結果を受け入れろ」と言うが、中立条約を破って侵攻したのはソ連軍。スターリンは北海道占領の野望まで持っていた。日本の第5方面軍の抵抗により北海道占領を断念したスターリンは択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島を占領。国際法違反は明らか。
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ソ連の最高指導者であるスターリンは、50万人もの日本人将兵を捕虜とする命令を極秘に発令。結果、57万人以上もの日本人がシベリアなどの地に強制連行され、多くの方々が無念の思いを抱えたまま絶命されました。この明確な国際法違反は、今に到るまで全く裁かれていない。
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17歳の特攻兵である荒木幸雄伍長は、基地の周囲をチョロチョロと歩き回っていた子犬を可愛がっていた。小さな子犬に彼が付けた名前は「チロ」。荒木伍長は「チロ、大きくなれよ」と声をかけ、自身は特攻作戦を遂行するため出撃した。合掌。
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ルーマニア人の親友からのメール。「ドラクエの音楽、ドローンの地球、天皇の挨拶、すべてが凄すぎて感動の連続だった。オリンピックの開催国が日本で本当に良かった!」。選手の爽やかな笑顔が印象的な開会式でした。世界中に勇気や希望を与えたと思います。みんなが勇者でしたね。
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私の友人の新聞記者たちは、とても丁寧に取材するし、今の偏った新聞業界を変えたいと思って頑張っている人ばかり。しかし、過激な極左思想に凝り固まった記者たちの異様な行動により、新聞メディアへの不信は加速する一方。活動家のような記者など要らない。
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杉原千畝に比べて樋口季一郎の知名度が低いのは、杉原が外交官だったのに対し、樋口が陸軍軍人だったからだと思います。しかし、外交官だろうが軍人だろうが、その生涯は史実に沿って公平に評価すべきです。歴史を都合よくトリミング(切り抜き)してはいけません。偏り無く史実を継承しましょう。
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77年前の今日(8月23日)、ソ連の最高指導者であるスターリンは、50万人もの日本人将兵を捕虜とする命令を極秘に発令。結果、57万人以上もの日本人がシベリアなどに強制連行され、多くの方々が無念の思いを抱えたまま絶命されました。この明確な国際法違反は、今に到るまで全く裁かれていない。
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戦争体験者の中にも改憲派と護憲派がいます。問題は護憲派の意見ばかりがメディアで使われる事。ある方はこう話していました。「記者が『平和は大事ですよね』と言うので『はい』と答えたら、記事では私が『平和憲法を守れ』と話したように書かれていて驚いた」。憲法論を迷走させているのはメディア。
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ルーマニア人は中国に対してかなり批判的。チャウシェスク独裁に苦しめられたルーマニア人は、共産主義がいかに危険で残酷なものか、その実態を身に染みて知っているからです。一方、日本に対してはとても好意的。「アジアのリーダーには日本になってもらいたい」と多くのルーマニア人が語ります。
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緊急事態宣言でワイドショーも時短したら。5分くらいに。
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昭和20年5月18日、第五十三振武隊は鹿児島県の知覧飛行場から特攻作戦に参加するため出撃。沖縄周辺の海上で敵艦船に突入した。写真は出撃20分前の「最後の食事」を写した一枚。母の手料理を思い出しながらの食事だったかもしれない。合掌。
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ペリリュー戦の生き残りの一人である永井敬司さん(97歳)はこう語る。「日本を守るためですよ。内地で暮らす家族や女性、子供を守るため。私たちは太平洋の防波堤となるつもりでした。そのために自分の命を投げ出そうと。そんな思いで懸命に戦ったのです」
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神奈川県大磯町の妙大寺にある樋口季一郎陸軍中将の墓を参拝。杉原千畝より2年も前に満洲で多数のユダヤ人に「命のビザ」の発給に奔走し、占守島の戦いでソ連軍の南下を食い止めて「北海道の分断」を防いだ樋口の功績は、もっと多くの方々に知ってほしい史実です。
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知覧の特攻基地の近くで食堂を営んでいた鳥濱トメさんは、多くの特攻隊員から「お母さん」「おばちゃん」と親しまれた存在だった。遺族には出撃前の様子を綴った手紙を送り、戦後も隊員たちの供養を続けた。トメさんは平成4年に89歳で逝去。トメさんと特攻隊員たちの笑顔が心を揺さぶる。
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専門家でもない人がコメントするかたちの「ワイドショー」という番組スタイルは、もう限界なのでは。ちなみに、こういったスタイルの番組は海外にはほとんどありません。日本でも夜のBS放送などには面白い番組があるので、やればできるはずだと思います。虚報を繰り返す番組は要りません。
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日本軍を美化したいとは思いません。史実に基づいて是々非々でとらえることが重要です。軍人の中にも色々な人がいたわけです。そこを丁寧に見たい。その上で、日本軍が米軍やソ連軍などと比べて、特別に軍紀違反が多かったり、残虐だったり、非人道的だったとは全く思いません。歴史を公正に見よう。
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終戦後の昭和20年8月17日深夜、ソ連軍は千島列島の占守島に攻撃を開始。武装解除中だった現地日本軍は徹底抗戦し、ソ連軍の侵攻を食い止めました。ソ連軍はそのまま南下して北海道の北半分を占領する計画でした。占守島で戦った方々のおかげで、日本は「分断国家」にならずに済んだのです。
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安倍首相には療養の上、回復後にはぜひ手記を綴ってほしい。どういった人々に、どれだけ妨害され、どのように足を引っ張られたのか。特に与党内、野党、メディア。今後の日本のために重要な記録となる。何はともあれ、まずはしっかりと病いを克服していただければと思います。本当にお疲れ様でした。
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大東亜戦争を泥沼化させた最大の要因は、新聞などの各種メディアであった。それから約75年。コロナ禍においても、誤報を重ね、社会不安を煽り、人々の生活を最も破壊したのは、ワイドショーを始めとするメディアだった。歴史は繰り返されたのである。
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真珠湾攻撃と言えば大規模な航空部隊による戦闘が想起されるでしょうが、暗い海中を進んで魚雷を発射する特殊潜航艇で戦った方々もいました。戦死した9名は「軍神」とされましたが、敗戦後は「戦争協力者」等と評価が一変。まさかの「悪者扱い」に遺族たちは涙を流しました。合掌。