早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(いいね順)

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最初の神風特別攻撃隊「敷島隊」は、フィリピンのマバラカット飛行場で編成された。現在、同地はフィリピンの人々の手によって維持されている。「どうして日本の政治家は、命を賭けて祖国を守った人々の慰霊に来ないのですか?」
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「専門家ではない出演者がコメントする」という形式のテレビ番組はもうやめたらどうか。海外には日本のワイドショーのような番組はほとんどない。日本でも夜のBSには比較的まともな番組があるように思うが、昼間の地上波は本当にひどい。
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かつてヨーロッパで暮らしていた時、「日本は島国で、移民問題がないのが羨ましい」とよく言われた。テレビや新聞などでも、移民にまつわる諸問題が、毎日のように報じられていた。日本はせっかくのメリットを自ら手放すようなことは避けるべきである。
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「占守島の戦い」は終戦後の昭和20年8月17日から始まった戦闘。千島列島の占守島に不法侵攻してきたソ連軍を日本軍が食い止めた戦いです。ソ連軍はそのまま南下して北海道の北半分を占領する計画でした。占守島で戦った方々のおかげで、日本は「分断国家」にならずに済んだのです。
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「コロナ禍で鬱(うつ)が増えた」というが、その要因の一つはワイドショーでは? 戦時中の新聞メディアと同様、誤報を繰り返し、煽りに煽った責任は? 「コロナ鬱」じゃなく「ワイドショー鬱」だろう。
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最近では中核派を知らない若者も増えていると聞くが、「戦争の歴史」と同じく、しっかりと語り継ぐべきは「左翼の暴力史」。世界の近現代史を見れば、戦争よりも共産主義によって、より多くの人々が犠牲になっていることが分かる。これは義務教育で丁寧に教えるべき案件。
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「専門家ではない出演者がコメントする」という形式のテレビ番組はもう限界だろう。海外には日本のワイドショーのような番組はほとんどない。日本でも夜のBSなどには面白い番組があると思うが、昼間の地上波は本当にひどい。
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特攻隊員の宮川三郎は出撃前日、飛び交うホタルを眺めながら鳥濱トメに言った。「俺、死んだらホタルになって帰ってくるよ」。翌日の夜、一際大きな一匹のホタルが食堂内まで入ってきた。トメの娘が叫んだ。「お母さん、宮川さんが帰ってきたわよ!」。トメや居合わせた戦友らは皆でむせび泣いた。
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「多くのユダヤ難民を救出」し、「ソ連による北海道分断を阻止」した樋口季一郎陸軍中将の功績がこれまで充分に語り継がれてこなかったのは、外交官だった杉原千畝とは異なり、樋口が軍人だったことに大きく起因します。しかし、軍人の生涯も是々非々で冷静に評価すべきではないでしょうか。
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「美しい国」を目指した安倍晋三元首相。そのお別れの日、東京の街には長い長い列が生まれました。その列はとてもとても美しいものでした。
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ソ連の最高指導者であるスターリンは、50万人もの日本人将兵を捕虜とする命令(第9898号決定)を極秘に発令。結果、57万人以上もの日本人がシベリアなどの地に強制連行され、多くの方々が無念の思いを抱えたまま絶命されました。この明確な国際法違反は、今に到るまで全く裁かれていない。
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「多くのユダヤ難民を救出」し、「ソ連による北海道分断を阻止」した樋口季一郎陸軍中将の功績がこれまで充分に語り継がれてこなかったのは、外交官だった杉原千畝とは異なり、樋口が軍人だったことに起因すると思います。しかし、軍人の生涯も史実に沿って是々非々で評価すべきではないでしょうか。
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ロックダウン(都市封鎖)することなくコロナ禍を収束に向かわせている日本には、世界から大きな注目が集まっている。日本の高度な医療、先人たちから受け継がれてきた衛生観念、文化、民族性、民度、底力。改善すべき点も明確になったが、私は日本に生まれて良かったと思う。
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横田めぐみさんは拉致された当時13歳でしたが、私の娘が今13歳。めぐみさんはもちろん御両親の心痛を思うとやり切れません。それから若い人はあまり知らないそうなので書きますが、小泉訪朝以前は一部の政治家やメディアが「北朝鮮が拉致などする筈がない」と主張していました。嘘のような本当の話。
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私は2年ほどルーマニアに住んでいたことがありますが、選挙権などの参政権はもちろん有していなかったし、欲しいとも思いませんでした。ルーマニアの事はルーマニア人が決めるのが当然だと思っていたからです。
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靖国神社を参拝した議員をニュースにするのではなく、参拝しない議員をニュースにすべき。
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日本が防衛費を世界標準程度にまで整備しようとすることに対し、火が付いたように反対する人たちがいるが、彼らは中国の異常な軍拡には声を上げない。そういう人たちは以前よりも減ったが、まだ確かに存在する。日本の「国際標準化」を「右傾化」と評する人たちが、日本の抑止力を削いで戦争を招く。
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南京戦の体験者である島田親男さんは「戦闘はあったが、市民への30万人もの虐殺など一度も見ていない」と語り、涙ながらにこう言った。「なぜ戦後の日本人は中国人の言うことばかり信じて、私達の言葉には耳を傾けてくれないのでしょうか」。そんな島田さんも既にご逝去。思いを継いでいきたい。合掌。
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18歳の遺詠。
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特攻隊員の千田孝正伍長は「ほがらか隊」の一員だった。第72振武隊は自らを「ほがらか隊」と称した。子犬を抱いているのは荒木幸雄伍長、17歳。その写真右にいるのが千田伍長である。彼らは昭和20年5月27日、鹿児島県の万世飛行場から出撃。沖縄本島中部に広がる金武湾の東方において特攻、散華した。
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6月6日は特攻隊員・宮川三郎の命日。宮川は出撃前日、ホタルを眺めながら食堂の女主人・鳥濱トメに言った。「俺、死んだらホタルになって帰ってくるよ」。翌日の夜、一匹のホタルが食堂内まで入ってきた。トメの娘が叫んだ。「お母さん、宮川さんが帰ってきたわよ!」。トメらは皆でむせび泣いた。
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横田めぐみさんは拉致された当時13歳でしたが、私の娘が今、13歳。めぐみさんはもちろん御両親の心痛を思うとやり切れません。それから若い人はあまり知らないそうなので書きますが、小泉訪朝以前は一部の政治家やメディアが「北朝鮮が拉致などする筈がない」と主張していました。嘘のような本当の話。
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17歳の特攻兵である荒木幸雄伍長は、基地の周囲をチョロチョロと歩き回っていた子犬を可愛がっていた。小さな子犬に彼が付けた名前は「チロ」。荒木伍長は「チロ、大きくなれよ」と声をかけ、自身は特攻作戦を遂行するため出撃した。合掌。
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脱炭素社会や脱ハンコも重要だが、より大切なのは脱中国経済依存と脱ワイドショー。
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特攻隊員となる少年飛行兵の教官役だった藤井一陸軍中尉は「お前たちだけを死なせない。自分も後から必ず行く」が口癖だった。しかし、妻子のある藤井に特攻命令はなかなか出ない。その事実を知った妻・福子は、夫の願いを叶えるために入水自殺。藤井の特攻はこうして叶った。合掌。