早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(いいね順)

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かつてヨーロッパで暮らしていた時、「日本は島国で、移民問題がないのが羨ましい」とよく言われた。テレビや新聞などでも、移民にまつわる諸問題が、毎日のように報じられていた。日本はせっかくのメリットを自ら手放すようなことは避けるべきである。
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「コロナ禍で鬱(うつ)が増えた」というが、その要因の一つはテレビのワイドショーだろう。戦時中の新聞メディアと同様、誤報を繰り返し、煽りに煽った責任は? 「コロナ鬱」というより「ワイドショー鬱」である。
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特攻隊員の宮川三郎は出撃前日、飛び交うホタルを眺めながら食堂の女主人である鳥濱トメに言った。「俺、死んだらホタルになって帰ってくるよ」。翌日の夜、大きな一匹のホタルが食堂内まで入ってきた。トメの娘が叫んだ。「お母さん、宮川さんが帰ってきたわよ!」。トメや戦友らは皆でむせび泣いた。
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戦時中、多くの特攻隊員が、美しくも潔く散ってゆく桜の儚さに自身の命を重ね合わせました。そんな方々の存在があって、今年の春もあります。
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75年前の今日(23日)、ソ連の最高指導者であるスターリンは、50万人もの日本人将兵を捕虜とする命令を極秘に発令。結果、57万人以上もの日本人がシベリアなどに強制連行され、多くの方々が無念の思いを抱えたまま絶命されました。この明確な国際法違反は、今に到るまで全く裁かれていない。
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イスラエル在住のクララ・シュバルツベルグさんは、戦時中、満洲の大連に滞在。樋口季一郎のビザによって救出された多くのユダヤ難民を目撃した。「ヒグチは偉大な人物です。日本人はヒグチのことをあまり知らないのですか?それは本当ですか?日本人は学校で何を習っているのですか?」
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北方領土問題。ロシアは日本に「大戦の結果を受け入れろ」と言うが、終戦時に中立条約を破って侵攻したのはソ連軍。スターリンは北海道占領の野望まで持っていた。日本の第5方面軍の抵抗により北海道占領を断念したスターリンは択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島を次々と占領。国際法違反は明らか。
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本日は「勤労感謝の日」ですが、本来は「新嘗祭」。稲の収穫を祝い、翌年の豊作を祈願する日で、宮中恒例祭典の中でも最も重要なものとして位置付けられています。しかし、戦後、GHQの占領政策により「勤労感謝の日」という名に。私は「新嘗祭」に戻したほうが良いと思っています。
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4月22日は「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんの命日。知覧町の特攻基地の近くで食堂を営んでいたトメさんは、多くの特攻隊員から慕われた。勝又勝雄少尉は「俺の余した30年分の寿命はおばちゃんにあげるから」と言い残して出撃した。トメさんは戦後、慰霊や鎮魂に努めながら89歳まで生きた。合掌。
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東日本大震災の時、最も助けてくれたのが台湾だった。「一番苦しい時に助け合うのが本当の友人」と。その台湾が今、中国からの圧力により、いよいよ苦しんでいる。日本は「本当の友人」としていかに行動すべきか。「恩返し」という美しき日本語。忘れたら日本でなくなる。
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ソ連によるシベリア抑留では、実はウクライナも抑留先の一つ。現在、激戦地となっているハリコフにも収容所があり、今、破壊されている建物や道路の一部も日本人抑留者が建設したものです。ウクライナの民衆は抑留者に同情的で食糧の差し入れもあったとか。死亡率が最も低かったという記録もあります。
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パラオ・ペリリュー戦の帰還兵である永井敬司さんはこう語ってくれた。「日本を守るためですよ。内地で暮らす家族や女性、子供を守るため。私たちは太平洋の防波堤となるつもりでした。そのために自分の命を投げ出そうと。そんな思いで懸命に戦ったのです」。永井さんは2019年11月4日に御逝去。合掌。
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今回のコロナ禍において、日本が90カ国以上もの途上国に医療支援を実施している事実を知っていますか?日本の高度な医療技術が、多くの国の人びとを救っています。テレビのワイドショーも、感染者数だけでなく、こうした情報も伝えていただければと思います。
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戦争体験者への取材を20年近くしています。取材対象者が話しづらいことを聞く時には、時間をかけ、何度も会い、食事や酒を共にしながら信頼関係を築き、言葉を十分に選んで質問します。相手に敬意を払い、自然に話し始めるような雰囲気づくりに努めます。戦争体験とはそうやって聞くものだと思います。
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18歳の遺詠です。
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何でもかんでも差別だ差別だと騒ぐ過激な人たちは昔から存在したが、SNSの発達によってその発言の異様さが可視化された。彼らのような存在は「差別を減らしていきたい」とごく自然に考えている大多数の人たちからも共感を得られない。なぜなら彼らこそ排他的であり攻撃的であり差別的だからである。
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私は2年ほどルーマニアに住んでいたことがありますが、選挙権などの参政権はもちろん有していなかったし、欲しいとも思いませんでした。ルーマニアの事はルーマニア人が決めるのが当然だと思っていたからです。
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ルーマニアには日本のことを「ツァーラ・ソアレルイ」と呼ぶ言い方があります。これは「太陽の国」「日出ずる国」という意味。ルーマニア在住時、友人たちと朝まで飲んだ際、明るくなりつつある東の空を指して、一人がこう言って微笑んだことをよく覚えています。「君の国はあの下にあるんだね」。
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靖國神社を参拝する議員をニュースにするのではなく、参拝しない議員をニュースにせよ。
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「コロナ禍で鬱(うつ)が増えた」とテレビ番組が報じていたが、その要因の一つはワイドショーでは? 戦時中の新聞メディアと同様、誤報を繰り返し、煽りに煽った責任は? 「コロナ鬱」じゃなく「ワイドショー鬱」だろう。
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「占守島の戦い」は終戦後の昭和20年8月17日から始まった戦闘。千島列島の占守島に不法侵攻してきたソ連軍を日本軍が食い止めた戦いです。ソ連軍はそのまま南下して北海道の北半分を占領する計画でした。占守島で戦った方々のおかげで、日本は「分断国家」にならずに済んだのです。
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「ニューズウィーク」に「ワイドショーのコメンテーター」への批判を書きましたが「あれ誰のことですか?」といった問い合わせをいただいております。特定の個人名は控えさせていただきたいと思いますし、推察も無用であります。ご了承ください。
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取材でお世話になった多くの元日本軍兵士の方々が、ここ数年で亡くなられた。皆さん「平和の大切さ」を語ってくれたが、同時に「戦後の歴史教育の偏り」を嘆く声もとても多かった。ある方は「日本軍だけが悪者にされて悔しい」と下を向いた。ある方は「亡くなった戦友に申し訳ない」と号泣された。
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ワイドショーでコメンテーターが「ワクチン接種が進んだから内閣支持率が上がった」という話を沈んだ表情でしていた。この人にとっては「ワクチン接種が遅くて内閣支持率が下がった」ほうが良かったのだろうか。思想とは恐ろしいものである。
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今日は樋口季一郎の命日。満洲国で多くのユダヤ難民を救出し、終戦後には占守島の戦いによってソ連の北海道占領を防いだ樋口は、昭和45年10月11日、老衰のため亡くなりました。享年82。晩年の樋口は食事のたび、妻の静子に「ママ、ありがとう」と手を合わせていたそうです。