早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(いいね順)

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満洲で多くのユダヤ人を救出した「オトポール事件」を指揮した陸軍軍人・樋口季一郎の直筆の書。「真に徳のある者は孤独ではない」という意味。樋口は占守島の戦闘も指揮し、ソ連による北海道の分割を防いだが、自らの功績を語ることなく逝った。
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【スクープ】文春オンラインに下記の記事を寄稿。戦後に同志社大学の学長となる星名秦が、終戦直後、ソ連軍の侵攻で混乱する満洲で多くの邦人を救出した秘話について書きました。 「その日、ソ連軍がやってきた」邦人引き揚げを支えたラガーマンとは? #文春オンライン bunshun.jp/articles/-/561…
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イタリアで国会議員の定数をおよそ3分の1削減するための国民投票がスタート。イタリア紙の報道によれば、賛成多数で認められる見通し。このような投票は、日本でもぜひ実施してほしい。携帯料金を減らすのも良いが、国会議員を減らすほうがもっと良い。
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「中国とのパイプ」を誇る政治家がいるが、そのパイプの内側では、何がどちらに向かって流れているのだろう。日本の国益を吸い上げて、せっせと中国に送っているようなパイプラインはないか。ダダ漏れだったり、日本側にだけ蛇口が付いていなかったりすることはないか。点検とリフォームが必要である。
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パラオ・ペリリュー島には、かつて日本軍が使用した地下壕が今も多く残る。壕内には腐食した水筒や飯盒などが点々と転がる。同島で戦死した約1万人の日本兵の内、およそ2200柱が未収集。彼らは今日も祖国から迎えが来るのを待っている。
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文春オンラインにて、拙著『指揮官の決断 満州とアッツの将軍 樋口季一郎』の一部を抜粋した特別記事が公開されました。 “他人事”ではないロシア軍によるウクライナ侵攻…いまこそ知るべき、終戦後の日本軍を襲ったソ連軍の「傍若無人」な侵攻とは? #文春オンライン bunshun.jp/articles/-/525…
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抑留者を共産主義に洗脳するために収容所で配布されたのが「日本新聞」。スターリンや中国共産党を賛美し、「天皇制打倒」の主張を繰り返した。日本側編集責任者の宗像創は帰国後、日本共産党に入党。機関紙「赤旗」の編集に従事した。「日本新聞」のような主張を繰り返す「亡霊」は今も消えていない。
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コロナ禍で大変な時期が続いていますが、こちらもとても大事な情報です。宜しくお願いします。 シベリア抑留死、新たに20人特定 厚労省公表  sankei.com/politics/news/… @Sankei_newsより
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樋口季一郎がユダヤ難民を救出した「オトポール事件」については、新刊『大東亜戦争の事件簿』(扶桑社)で詳しく触れています。ソ連の北海道分割を阻止した占守島の戦いに関しても解説しています。是非とも宜しくお願いします。 大東亜戦争の事件簿―早坂隆 amazon.co.jp/dp/4594088236/… @AmazonJPより
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日本人捕虜が「時間つぶし」に制作した美術品 「驚くほど質高い」の声(47NEWS) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/227bd…
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「対馬丸事件」については、最新刊『大東亜戦争の事件簿』(扶桑社)で詳しく触れました。生存者の方の貴重な証言も取材することができました。是非とも宜しくお願い致します。 大東亜戦争の事件簿―早坂隆 amazon.co.jp/dp/4594088236/@AmazonJPより
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先の大戦におけるガダルカナルの戦いの際、日本軍は「戦力を小出しに投入する」という「逐次戦闘加入」の下策に陥った。戦力は時機を見て一挙に集中して投下しなければならない。今回のウイルス拡大を受けた経済対策も同じ。減税でも現金給付でも、ガダルカナル戦のようなことになっては困る。
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イスラエル取材時にお会いすることができたクララ・シュバルツベルグさん。戦時中、大連に滞在していたクララさんは、樋口季一郎のビザによって救出された多くのユダヤ難民を目撃した。「日本人はあまりヒグチのことを知らない?日本人は学校で何を習っているのですか?」(取材日2009.10)
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俺が死んだら何人泣くべ 特攻隊員(第23振武隊)前田敬の遺書。享年23。 合掌。
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多くの国難に直面する現在の日本ですが、目の前の諸問題に対して適切に対応するためにも、これまでに培われてきた日本の伝統や文化を改めて見直す作業が重要ではないでしょうか。「日本の良さ」の中には、過剰な悲観主義に陥ることなく前向きに生きていくための教訓が凝縮されていると思います。
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元抑留者の林英夫さん(93歳)。「私たちは日々『日本に絶対に帰ろう』と励まし合って過ごしていましたが、それを叶えることができずに亡くなっていった戦友たちが可哀想でなりません。ぜひ多くの皆様に抑留の事実を知っていただき、慰霊の気持ちを持っていただければと心からそう思っています」
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パラオ・ペリリュー島の守備隊長だった中川州男大佐は、米軍の上陸作戦が始まる前に島民たちに疎開を指示。結果、島民への被害を防ぐことができた。今もペリリューの人々はその恩義を忘れていない。中川大佐はその後、「サクラ、サクラ、サクラ」という玉砕を告げる電報の末、自決。享年46。合掌。
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カザフスタンはとても親日的な国。クルマの大半は日本車。店でも日本製品が目立つ。とあるカザフ人いわく「我々は日本が大好き。でも、日本人はカザフに興味がないでしょう?私たちの片思いですね」。「カザフに来るのは中国人ばかり。カザフ経済は中国に飲み込まれる」とも。日本への期待は大きい。
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暴力を伴う過激な活動によって国際的にも大きな問題となっているANTIFA。そのような勢力との関わりを隠さない政治家が日本に存在することに恐怖する。最も残忍な行為に及ぶ者が「悪人」ではなく「正義を叫ぶ者」であることは、今日までの左翼史が充分に証明している。返す返すも恐ろしや。
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神々しい夕焼け。JR平塚駅より。
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昭和20年8月13日、満洲国の小山克にて、日本の民間人が乗った列車が小銃等を持った武装勢力に襲われた。女性は輪姦され、抵抗者は次々に殺害された。さらに、100人以上もの女性が崖から飛び降りて自決した。ほとんど知られていないが、これを「小山克事件」という。合掌。
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75年前の6月5日、神戸の街が米軍の空襲によって一面の焦土と化しました。「火垂るの墓」で描かれた大空襲です。いまだコロナ禍は続いておりますが、思い出してほしい歴史の1ページです。合掌。
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「散る時には、立派な桜花となって散って行きます。その時は、家の子は『偉かった』とほめて下さいね」とは、沖縄戦の際に従軍看護婦として奔走した白梅学徒隊・大嶺美枝の言葉。その後の昭和20年6月9日、彼女は不帰の人となった。桜は美しい。合掌。
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「9.11」勃発時、私はルーマニアで暮らしていた。テレビでは評論家が「日本がヒロシマの復讐をした可能性がある」と真面目な顔をしてコメントし、周囲の出演者たちも頷いていた。ひどい番組だなと苦笑したものだが、最近の日本のワイドショーを観ていると、大して変わらないように思える。
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昭和20年3月10日、東京の下町一帯は猛烈な炎に包まれた。焼夷弾による無差別攻撃で、約10万人が犠牲になったとされる。指揮官だったカーチス・ルメイは戦後にこう語った。「もし我々が負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう」。歴史の本質とは何か。冷静かつ丁寧に見定めたい。