早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(いいね順)

701
「9.11」勃発時、私はルーマニアで暮らしていた。テレビでは評論家らしき人物が「日本が原爆の復讐をしたのではないか」と真面目な顔でコメント。周囲の出演者たちから反論は出なかった。ひどい番組だなと苦笑したものだが、最近の日本のワイドショーは同レベルか、それ以下だろう。
702
渋沢栄一の言葉。「たとえその事業が微々たるものであろうと、自分の利益は少額であろうと、国家必要の事業を合理的に経営すれば、心は常に楽しんで仕事にあたることができる」。
703
「正論」11月号に「『三船殉難事件』を告発する 埋もれたソ連の戦争犯罪」というルポを寄稿しました。三船殉難事件とは、終戦後に樺太から北海道へ引き揚げる人々を乗せた3隻の民間船が、ソ連の潜水艦に攻撃されて約1700名もの方々が犠牲になった事件です。鎮魂のためにも、史実の正しい継承を。 twitter.com/zasshiseiron/s…
704
産経新聞に樋口季一郎中将に関する記事が掲載されました。岡部伸氏による素晴らしい考察です。ぜひご一読ください。 【一筆多論】4万のユダヤ人救った日本 岡部伸 sankei.com/article/202203… @Sankei_newsより
705
占守島の戦いでの池田末男大佐の言葉。「もはや降魔の剣を振るう他はない。諸子は今、赤穂浪士となり恥を忍んでも将来に仇を報ぜんとするか、或いは白虎隊となり玉砕をもって民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか」。この玉砕覚悟の戦闘によって、ソ連の北海道占領の野望は挫かれた。
706
最新刊『大東亜戦争の事件簿 隠された昭和史の真実』(扶桑社)が刊行となりました。通州事件やオトポール事件、葛根廟事件、対馬丸事件、北海道占領未遂事件など、昭和史の隠された事件の真相に迫ります。是非とも宜しくお願い致します。 Amazonはこちら→ amazon.co.jp/dp/4594088236/@AmazonJPより
707
本日(5月29日)でアッツ島玉砕から80年。2600名以上の方々が亡くなられたこの戦いは、「玉砕」という名が冠された初めての戦闘でもあった。一度は決まった増援計画が反故にされた結果であったが、現地守備隊長の山崎保代大佐は愚痴一つなく、自身の責任と受け止め、祖国の将来を案じて逝った。合掌。
708
「三船殉難事件」とは、終戦後に樺太から北海道へ引き揚げる人々を乗せた3隻の民間船が、ソ連の潜水艦による魚雷攻撃に晒され、約1700名もの方々が犠牲となった「虐殺事件」。潜水艦は海面に浮上し、無抵抗の船に機銃掃射まで行った。この潜水艦の艦長は「ソ連の英雄」とされている。
709
先日の国会で麻生大臣が口にした「人間が生きていくうえで大事なことは、朝、希望を持って目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る。この気持ちだと思います」という言葉が穏やかに心に残る。「日本死ね」などと騒ぐよりも、こういう言葉を自然と紡げる人生を送りたいと思う。
710
「鬼滅の刃」の韓国版で「主人公の耳飾りが旭日旗に似ている」としてデザインが変えられた件ですが、拙著『世界の日本人ジョーク集』の韓国版ではイラストが下記のように無断で書き換えられました。左が日本版、右が韓国版。船の先頭にいる日本人の姿にご注目ください。悔しくて涙が出ます。
711
先の大戦に関し、未だに日本とドイツを同列に並べて語ったり、「日本は加害者として相手が納得するまで謝罪するべき」と述べる人物がメディアに出ている状況には、国民もさすがにウンザリしているのではないか。いくら史実をもって丁寧に検証しても、彼らの史観は揺るがない。史実より思想なのである。
712
ロシアによるウクライナ侵攻とその後の日露関係の悪化に伴い、シベリア抑留に関する資料がロシア側から提供されなくなっているとのこと。抑留被害者の中には未だ身元不明者も少なくなく、特定のためにはロシア側の資料が必要なのが現状。事態の改善を切に訴えたい。
713
どうでもいいことばかり報じて、大切なお言葉を伝えないメディアが多いので、憚りながらここに添えておきます。 天皇陛下のおことば全文 議会開設130年記念式典 sankei.com/life/news/2011… @Sankei_newsより
714
多くのユダヤ難民を救った陸軍中将・樋口季一郎。その名前はイスラエルの「ゴールデンブック」にも刻まれていますが、下記の写真は私がエルサレムで撮影した実物です。「GENERAL HIGUCHI」の文字が読めます。
715
独裁者というのは、中国や北朝鮮のように選挙のない国の指導者を指すのであって、「選挙をやる」と言った人のことを指す言葉ではない。
716
サラエボ取材時に映した一枚の写真。これはサラエボ五輪のメインスタジアム。1984年、サラエボの地で冬季五輪が行われましたが、その後に同地は紛争状態に突入。あまりに多数の犠牲者が出たために埋葬地が足りなくなり、スタジアムを墓地にしました。大事なのは「オリンピック後」です。
717
政権への的確な批判は今こそ必要だと思うが、今の野党には健全な「批判力」が絶望的に足りない。批判ありきの態度はあるべき説得力を失うし、何よりもひどく感情的なのが良くない。彼らを見ていると、私が普段から自戒を込めて大事にしている以下の言葉を思い出す。「小さな器ほどすぐ熱くなる」。
718
海軍飛行予備学生・古川正崇は、手記にこう綴った。「戦争を憎むが故に戦争に参加せんとする、我等若き者の純真なる気持を知る人の多きを祈る」。その後、特攻隊員となった彼は、 トランプの一人占ひなどしつつ出撃までの時を過ごしつ と詠み出撃。沖縄近海にて戦死した。享年24。合掌。
719
「占守島の戦い」は終戦後の昭和20年8月17日から始まった戦闘。千島列島の占守島に不法侵攻してきたソ連軍を日本軍が食い止めた戦いです。ソ連軍はそのまま南下して北海道の北半分を占領する計画でした。占守島で戦った方々のおかげで、日本は「分断国家」にならずに済んだのです。
720
特攻隊員・渋谷健一には、幼い子供と身重の妻がいた。彼は遺書にこう書き記した。「父恋しと思わば空を視よ。大空に浮ぶ白雲に乗りて父は常に微笑みて迎う」。昭和20年6月11日、渋谷は特攻死。奇しくも同日、妻・光は男児を出産。周囲の者たちは「生まれ変わり」と驚嘆して号泣した。合掌。
721
台湾南部の農業の発展のため、八田與一が作った烏山頭ダム。台湾では「最も尊敬すべき日本人」とも称され、その功績は教科書にも記載されている。そんな八田も1942年、乗っていた客船が米軍の攻撃に遭い死亡。その後、八田の妻は、かつて夫が作ったダムに身を投げて後を追った。合掌。
722
今日は「昭和の日」。未曾有の戦争とそこからの復興という激動期、多くの先人たちの知恵と努力があり、日本は今に至る。そこには無念の思いを抱えたまま、この世を去った者も多かった。感謝や鎮魂の気持ちを持って、国の歩みに思いを馳せたい。優しく、穏やかに。
723
本日は、拉致被害者救出の願いを込めて作られたブルーリボンバッジを付けて。戦後日本が平和だったという虚妄。ブルーリボンの青色は「日本と北朝鮮の間の海と空」を表す。それは、子と親を隔てる海の色であり、子と親を繋ぐ空の色でもある。
724
「寛容」などを訴える集団が過激で暴力的な行為を繰り返すことに関して、日本の対応は甘過ぎる。国民の穏やかな日常を守るために、しっかりと取り締まっていただきたいし、そういった集団と関係のある政治家にも納得のいく説明を求めたい。これ以上、「寛容」ではいられない。
725
日本海軍には多くの隠語があり、「結婚する」を「マリる」、「鼻の下を伸ばす」を「ロング」、「梅毒」を「プラム」などと称した。70年以上前の軍人さんといえども、今の若者とさして変わらない表情も持っていた。そんな彼らが身命を賭して戦い、斃れていったのが先の大戦の素顔。合掌。