早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(いいね順)

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ペリリュー戦を戦い抜いた元兵士・永井敬司さん。「桜が散る季節になると、どうにもたまらない気持ちになるんです。それは玉砕の時の『サクラ、サクラ、サクラ』という言葉と、戦友たちが散っていった場面がどうしても重なって思い出されるから。私にとって春というのはとても悲しい季節なんですよ」
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三船殉難事件とは、終戦後に樺太から北海道へ引き揚げる人々を乗せた3隻の民間船が、ソ連の潜水艦による魚雷攻撃に晒され、約1700名もの方々が犠牲となった「虐殺事件」。潜水艦は海面に浮上し、無抵抗の船に機銃掃射まで行った。この潜水艦の艦長は「ソ連の英雄」とされている。日本政府は抗議を。
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先の大戦に関し、未だに日本とドイツを同列に並べて語ったり、「日本は加害者として相手が納得するまで謝罪するべき」と述べる人物がメディアに出ている状況には、国民もさすがにウンザリしているのではないか。いくら史実をもって丁寧に検証しても、彼らの史観は揺るがない。史実より思想なのである。
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曽我ひとみさん「過酷な環境でも必死に生き抜く拉致被害者を、一日も早く救出してほしい」「あまりにも長い時間がたち、これ以上待てないところまできている」 拉致進展なく「いら立ち」 曽我ひとみさん、講演で sankei.com/world/news/200… @Sankei_newsより
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写真の追加です。
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ペリリューの激戦からの生還者、土田喜代一さん。「平和な世の中が、ありがたくて、ありがたくて。無念の思いのまま散っていった戦友たちの分まで懸命に生きようと、それだけを考えていました。それが私の戦後です」。そんな土田さんも、2018年10月に逝去。感謝と鎮魂の思いを改めて。
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幕末に来日したヒュースケンは、こう記している。「この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった(略)」。日本の良さを大切に。
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今回のコロナ禍において、ワイドショーは多くの誤報を流した。専門家でもない人たちの不確かな意見や情報を垂れ流すのはもうやめてほしい。玉石混交ではあるが、上手に使えばネットのほうがずっとまともな情報を集めることができる。「新しい生活様式」にワイドショーは要らない。
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韓国が不法占拠する竹島(島根県)について、日本の領有を説明するウェブサイトが、内閣官房により新たに開設されました。まずはとにかく事実を知ることから。皆んなで機運を高めていきましょう。 竹島問題について|領土・主権対策企画調整室 cas.go.jp/jp/ryodo/ryodo…
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海外のネット上では、中国共産党をナチスに喩えるコメントが増えている。中にはこんな書き込みも。「中国共産党はナチスではない。ナチスドイツの失敗から学んだナチスだ」。習近平の英語表記は「Xi Jinping」ですが「Xitler(シットラー)」という造語もすでに登場しています。
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ウクライナと国境を接するルーマニア北部の町に、避難民を助けるため多くのルーマニア人が食糧や医薬品を持って車で駆けつけているとのこと。物資の支援の他、車で都市部まで送ったり、自宅に泊めているという話。惨禍において発揮される人間の真価とぬくもり。
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最新刊『昭和史の声』(飛鳥新社)刊行。約20年に及ぶ取材生活の集大成となる渾身の一作です。南京戦、特攻、BC級裁判など、当事者からの貴重な「叫び」にぜひ耳を傾けていただければと思います。 【Amazon】amazon.co.jp/dp/4864107750/… @AmazonJPより 【特設サイト】hanada-plus.jp/articles/466
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上皇陛下の御誕生日。私は両陛下のパラオ・ペリリュー島ご訪問(当時は天皇皇后両陛下)に同行取材しましたが、その際、両陛下は慰霊行事の合間に水族館に立ち寄られました。カクレクマノミを見た陛下は皇后陛下に「ニモだね」と優しく声をかけられ、お二人は穏やかに微笑み合われました。(取材裏話)
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靖國神社の社報「靖國」に初めて寄稿させていただきました。誠に身に余る大役でしたが、戦争への思いを率直に綴らせていただきました。「靖國」という社号は「国を靖(安)んずる」という意味。「祖国を平安にする」という願いが込められています。
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コロナ禍の今、日本の伝統文化に海外からも注目が集まっている。玄関で履物を脱ぐ文化(衛生的)、日本茶(免疫力UP)、毎日の入浴(衛生的&免疫力UP)、会釈(握手やハグをしない)、納豆などの和食(免疫力UP)等々。先人たちの知恵の積み重ねが私たちを守ってくれている。感謝しかない。
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大東亜戦争で亡くなられた310万人以上もの方々の御霊が少しでも喜ばれるような国を目指すことが大事だと思っています。後に続く者たちのことを思って逝った御霊が「私たちが望んだ将来の日本はこんな姿ではなかった」と嘆かれるようでは、あまりに申し訳が立ちません。今の日本は大丈夫でしょうか?
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ワクチン開発やデジタル分野で遅れを露呈した令和日本に、戦艦大和の哨戒長・臼淵大尉の言葉が重なる。「進歩のない者は決して勝たない。負けて目ざめることが最上の道だ(略)私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか」
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自称「平和主義者」のいかに攻撃的なことか。
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あいちトリエンナーレは「国民の心情傷付けた」 日本国史学会が声明 sankei.com/life/news/2006… @Sankei_newsより
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昭和19年9月15日、米軍はパラオ・ペリリュー島への上陸戦を開始。中川州男大佐率いる守備隊は、米軍の進撃を止めるため決死の反攻。74日間に及ぶ激戦の末、日本側には1万人以上の犠牲者が出た。但し日本側が疎開指示を徹底したため、島民への被害の拡大は免れた。島には今も2200柱以上のご遺骨が眠る。
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古来、日本人は「個」よりも「公」や「和」を大切にしてきた。西欧では「個の自由」がとりわけ重要視されるが、日本人の心の中には「行き過ぎた自由は身勝手」という概念が伝統的に深く根付いている。コロナ禍において我々が改めて立ち返るべきは、日本人のそんな心の機微ではないだろうか。
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台湾にある「飛虎将軍廟」の祭神は、杉浦茂峰という日本兵。台南上空での航空戦の際、杉浦の乗った零戦は被弾。機体の降下先には集落があったが、彼は零戦を懸命に操作し、村への落下を回避した。結局、杉浦は米軍機の攻撃により絶命。この恩に報いようと集落の人々が建立したのが飛虎将軍廟。
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1919年、第一次世界大戦後に開かれたパリ講和会議において、日本は世界の先進国で初めて「人種差別の撤廃」を明確に主張。しかし、この提案はアメリカやイギリスの反対によって否決されました。日本は約100年越しの悲願として、改めてこのような提案をしてみたらどうでしょう。
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戦艦「大和」主砲製造した巨大旋盤、念願の展示へ…大和ミュージアムに兵庫の企業が寄付 : 社会 : ニュース : 読売新聞オンライン yomiuri.co.jp/national/20201…
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「占守島の戦い」は終戦後の昭和20年8月17日から始まった戦闘。千島列島の占守島に不法侵攻してきたソ連軍を日本軍が食い止めた戦いです。ソ連軍はそのまま南下して北海道の北半分を占領する計画でした。占守島で戦った方々のおかげで、日本は「分断国家」にならずに済んだのです。