早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(いいね順)

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特攻で散った方々は、現在の日本をどのような思いで見ているでしょうか。御霊の笑顔が曇るような国にはしたくないものです。 twitter.com/dig_nonfiction…
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満洲国・興安街の住民達は、ソ連軍の不法侵攻後、退避を開始。しかし、避難中の昭和20年8月14日、ソ連の戦車部隊に包囲され、多くの人々が虐殺された。戦車は遺体も重傷者も踏み付けながら走った。千数百人いた避難民の内、生きて帰国できたのはわずか百余名であった。これが「葛根廟事件」である。
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ナチスの迫害から多くのユダヤ人を救った樋口季一郎陸軍中将を顕彰する銅像の建立計画が、樋口の故郷である兵庫県南あわじ市で進んでいます。 ナチス迫害から逃れたユダヤ人救った樋口中将 顕彰する銅像 米戦略家らが建立委員会設立 sankei.com/world/news/210… @Sankei_newsより
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コロナ関連のグラフもいいですが、尖閣諸島に関する以下の異様なグラフも押さえておきたい。
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台湾南部の農業の発展のため、烏山頭ダムを建設した八田與一。台湾では「最も尊敬すべき日本人」とも称され、その功績は教科書にも記載されている。そんな八田も1942年、乗っていた客船が米軍の攻撃に遭い死亡。その後、八田の妻は、かつて夫がつくったダムに身を投げて後を追った。合掌。
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米軍の原爆投下や、ソ連のシベリア抑留などが東京裁判で裁かれなかった点はよく指摘される通りですが、同時に見逃してはいけないのは、日本を「侵略国」として裁いているその最中に、欧米各国が(日本を追い出した後の)アジアへ再侵略を果たしている点です。彼らに正義などあったはずがありません。
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以前、ニューヨーク訪問時に仲良くなった黒人男性が「アメリカには黒人への差別が歴然として残っている。お願いだから人種差別のない寛容で優しい社会になって欲しい。本当、白人だけはぶっ殺してやりたい」と言っているのを聞いて『これはアメリカ厳しいな』と思ったことがあります。
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何でもかんでも差別だ差別だと騒ぐ過激な人たちは昔から存在したが、SNSの発達によってその発言の異様さが可視化された。彼らのような存在は「差別を減らしていきたい」とごく自然に考えている大多数の人たちからも共感を得られない。なぜなら彼らこそ排他的であり攻撃的であり差別的だからである。
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天皇、皇后両陛下が沖縄をご訪問。国立沖縄戦没者墓苑にご拝礼されました。これは令和になって初めてのことでした。県平和祈念資料館を見学された際には「本当に痛ましい」と呟かれたそうです。慰霊と鎮魂のため、同地を訪れる人が増えることを望みます。
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中学生だった横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて今週で40年。うちにも中学生の息子がいるが、子の叫びも、親の叫びも、想像するとやりきれない。戦後日本が平和だったという虚妄。ブルーリボンは「日本と北朝鮮の間の海と空」を表す。子と親を隔てる海の色であり、子と親を繋ぐ空の色でもある。
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経済でも科学技術でも、日本には長所も沢山あるのに、短所ばかりを殊更に強調する層がいるせいで、国民のマインドが過剰に消極的で後ろ向きになっている。前向きな言論には「日本スゴイ論」というレッテルで批判が向けられる。そんな態度が「気」を冷やし、日本を鬱へといざなう。ウイルスより恐い。
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終戦直前、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、満洲国に侵攻。当時、150万人以上いた在留邦人は日本に退避することになったが、ソ連軍兵士や中国人の暴民らから数え切れないほどの虐殺や略奪、強姦等を受けた。現在、ウクライナ国民の退避が続いているが、避難支援と監視体制の強化を。
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以前、中国・旅順の博物館を訪れた際に見つけたのがこの展示品。「日本人が殺害した中国人を肉片に切り刻んで挽いた臼」とのこと。本当に悲惨で恐ろしいものですね。中国の教育というのは。
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いまだ油断は禁物だが、日本の新型コロナウイルス対策が世界の中でも特筆すべき成功を収めていることは感染者数や死者数を見れば明らか。海外でも「日本の奇跡」「日本に学ぼう」といった報道が増えている。にもかかわらず当の日本には不平不満しか口にしない人も。偏向メディアが人心を曇らせている。
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ペリリュー島など、海外に放置されたままになっている戦没者のご遺骨の数は、実に112万柱にも及ぶ。遺骨収集を「国の責務」と定めた推進法が成立して4年。しかし、「ご遺骨の取り違え」が起きるなど、課題はなお山積している。遺骨収集は、国と戦没者との大切な約束。戦没者を二度死なせてはならない。
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特攻隊員たちの達筆には心打たれる。翻って戦後社会に目を移すと、政党の党首を務めた政治家でさえこの有様。書は人なり。平和への覚悟の違いに天と地ほどの差があるようにも見える。
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昼食時にテレビをつけると、政治の専門家でもない芸能人が、憶測で勝手なことをベラベラと喋っている。スキャンダル報道もウンザリ。日本のお昼も不快な時間帯になったものだ。タモリさんがいた頃のまったりとしたお昼が懐かしい。
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ペリリュー島で戦った元兵士・永井敬司さん。「桜が散る季節になると、どうにもたまらない気持ちになるんです。それは玉砕の時の『サクラ、サクラ、サクラ』という言葉と、戦友たちが散っていった場面がどうしても重なって思い出されるから。私にとって春というのはとても悲しい季節なんですよ」
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まだ発売前のようですが、ありがたいことに版元さんからご献本いただきました。これからじっくり拝読したいと思います。
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産経新聞に『陸軍中将 樋口季一郎の遺訓 』という本の書評を寄稿。ユダヤ難民を救出し、ソ連による北海道占領を防いだ樋口ですが、彼は戦後に「改憲論」を丁寧に主張しました。人道派でありリアリストでもあった樋口の改憲論は、今こそ耳を傾けるべき内容だと思います。
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4月22日は「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんの命日。知覧町の特攻基地の近くで食堂を営んでいたトメさんは、多くの特攻隊員から慕われた。勝又勝雄少尉は「俺の余した30年分の寿命はおばちゃんにあげるから」と言い残して出撃した。トメさんは戦後、慰霊や鎮魂に努めながら89歳まで生きた。合掌。
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2013年に台湾を訪れた際、台北の地下鉄では東日本大地震への励ましの言葉が並んだラッピング車両が走っていた。震災から2年が経ち、日本の街並みからそのような光景が減っていた時期だった。ワクチン接種が進んでコロナが落ち着いたら、また台湾に行きたい。その時はどんな車両が走っているだろう。
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先の大戦を語る際、「軍部の独走」はよく指摘される点です。無論、そういった要素はあったのですが、合わせて考えなければならないのが、当時の政治家たちが足を引っ張り合って、政策や方針が遅々として定まらず、その内に事態がズルズルと泥沼化していったという一面です。
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三島由紀夫の檄文。「我々は戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、國の大本を忘れ、國民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た(略)日本人自ら日本の歴史と傳統を瀆してゆくのを歯嚙みをしながら見てゐなければならなかった」
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このたび歴史学者の久野潤氏が代表幹事を務める顕彰史研究会の顧問を引き受けることになりました。大東亜戦争にまつわる英霊の顕彰や慰霊はもちろん、国史上の偉人についても広く学術的研究を行うという同研究会の設立趣旨に賛同し、今後、微力ながら協力させていただきます。