山田邦和(@fzk06736)さんの人気ツイート(リツイート順)

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たとえば、京都府北部の舞鶴市にお越しになることは「上洛」とはいいません。「来京」ではなおおかしい。あえていうならば「来鶴」かもしれませんが、あんまり聞いたことはありませんね。このように、都道府県を一括のものとしてそこに「来る」言葉が、全ての都道府県に存在すると考えることがおかしい
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⇨「大学は存在目的が不明確」も不見識。大学は「学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与する」(教育基本法)という存在目的を持っています。 news.yahoo.co.jp/articles/005fa…
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『愚管抄』は国の始まりから鎌倉時代初期までを叙述した歴史書で、とくに平安末期〜鎌倉初期の基本史料のひとつ。「へん、どうせ二次史料でしょ」などと軽視するなかれ。著者慈円は藤原忠通の子で天台座主。つまり摂関家の御曹司で宗教界のトップ。彼のところに集まる情報は質量ともに圧倒的だったはず twitter.com/kodansha_g/sta…
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う〜ん・・・。戦国時代の京都の風景がまちがいだらけ・・・😭。赤囲みの部分は、戦国時代としてはありえないか、的外れ。青線部は多くの本に書いてあるのでまあしかたないが、ホントはそうじゃないんですよね。
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⇧上記はあくまで大局的なことだとご理解ください。土器がなくても、絶対にお湯が沸かせない、ということはありません。ただ、土器があればその何十倍もの効率でお湯を沸かせます。釣り針も、旧石器時代の沖縄にはありますので、日本本土で見つかる可能性もあります。ただ、普遍化はやはり縄文時代です
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#ウソのようなホントの話 縄文時代にも稲作があると言っている人もいますが、それは違います。縄文時代には稲作はありません。
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「昭和天皇は昭和64年(1989)1月7日に亡くなったが、その翌日の1月8日には『平成』に改元された。ホント、惜しかったよねぇ。昭和天皇があと1日生きていれば、明治・大正・昭和から平成までまたがった人生を送った天皇、ということになったのに」 というネタを聞いて大笑いしてしまった。
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#鎌倉殿の13人 阿野全成が源頼家を呪詛する人形代 <ひとかたしろ>が鷲掴みにされたシーンで身の毛がよだった人も多いでしょう。でもご安心を。あの手は埋蔵文化財研究所の研究員の手です。その証拠に、この人形代はちゃんと保存処理されて京都市考古資料館に陳列してあります(写真右)。(ウソ)
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歴史ドラマや小説について「史実と違う」と指摘すると、「ドラマや小説は史実通りでなくても面白ければいいん!学者はヤボだ!」と言ってくる人がいます。しかし、史実を知った上でフィクションを楽しむというのは矛盾していません。フィクションを史実そのものと信じ込む人がいるのが困るというだけで
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→その事例のひとつ。保元の乱の時の藤原頼長の言葉として「我君(崇徳上皇)は、天照大神四十七世の正胤、太上法皇(鳥羽法皇)第一の皇子也。恐は、文武ともにかけ、芸能一も御座ぬ四宮(後白河天皇)に位をこされて渡らせ給事、神慮の御謬か、人望の遺恨、只此事にあり」(『保元物語』)。
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「テレビ側だけではなく動物園側にも非がある」と主張する人が現れました。報道による限り、動物園側は「ペンギンがいない間は池に入ってもよい」と、しごくまっとうな条件のもとで許可しているとのことですので、非はそれを無視したテレビ側だけにあることになります。
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⇨コレ、航空写真でみるとどうみても前方後円墳。しかし実は、後円部のところに巨大な方墳が隠れており、前方部にみえるところにはほとんど盛土はない。明治時代に方墳の周りに前方後円墳形に柵をめぐらして陵墓にした。そのあと木が生い茂って今のような姿になりました。ケッタイな話です。
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一次史料・二次史料についていくつかつぶやいてきましたが、史料批判の根本は実は変わらないのですよね。史料を書いた人に対して「この人、なんでそのことを知ってるのだろう?この人自身が体験したの?それとも他人から聞いたの?情報源は何?」と問いかける、という姿勢。
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⇨「市民の研究なんて、権威主義的な学会が認めるはずはないし、学術雑誌に載せてくれることなんてあるはずない」と思っておられる方もいますが、そんなことありませんよ。専門研究者であろうとなかろうと、良い研究であれば掲載してくれます(その学術雑誌を出している学会の会費は必要ですが)。
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縄文時代には巨大な貝塚がありますが、あれも土器があってこそ。貝は焼いても食べられますが、土器で煮るのが効率的。そして貝塚とは、大量の貝を土器で煮て、身を出して(残りのスープはおそらくお吸い物みたいに飲んだでしょう)、そしてそれを干して干貝にして保存食料にした跡と考えるのが合理的。
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これ、大いなる皮肉と反語ですよね。「選択と集中(≒当選する宝くじだけ買えば大儲けができるに違いない!)」に主原因があるというのは、研究者であれば一般的な認識ですからね。 twitter.com/toxtoxtoxtk/st…
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ほんこれ。一次史料(当事者が、その場で、時間をおかずに書いたもの)はプリコジンやロシア政府のツイート、あとはワグネル隊の進路の住民の断片的な目撃譚しかない。他は同時代とはいえ、伝聞に基く二次史料。事件の全体像はなかなか見えない。 twitter.com/irutaroh/statu…
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世間には時々誤解があるので注意喚起しておきますと、書店に並んでいる本は(ごく少数の例外をのぞいて)書店の所有物ではありません。書店は、出版社から本を「お預かりして」売っている。したがって、売れなかった本は出版社に返品ができます。本が痛むと、その分は出版社の負担となります。 twitter.com/SIOJIEISOU/sta…
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秀吉の妻の北政所の本名、昔は「ねね」だったのですよ。それが桑田忠親氏が「ね」「おね」だと言い出し、田端泰子氏の評伝などでもそれが採用されて広まった。その頃は、「以前は『ねね』だとされてきたが、近年の研究でそれは否定され『おね』だということが判明した」と言われてきたんですよ。 twitter.com/shoyo777/statu…
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かつて北杜夫氏がマグロ漁船に乗ったことを思い出します(『どくとるマンボウ航海記』)。出航間近になっても船医がみつからない。もう何科の医者でもいい、インターンでもかまわない、船医なしで出航もやむなしというところまで切羽詰まったところに北氏が応募してきたので船側は大喜びだったとか。 twitter.com/flyshipopo/sta…
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測量図だとこうです⇩。ね、方墳でしょ?
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ある人が「私たち上流階級ががんばっているので、あなたがたも安心して生活できる」と言ったという話が新聞に載っていた。政治家の失言か金持ちの傲岸不遜か、と思ったがよく読むと、川の上流の山間部で川を綺麗にする活動をやっている人が、下流の都市の住民に語ったジョークだった。それなら納得。
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⇨また、館には施設管理権がありますので、合理的な理由があれば観客の行動を制限できます。展示作品のスケッチについては、万年筆を使っていたとか、ひとつの作品の前を長時間占有して他の客の鑑賞を妨げたなら制止できるでしょうね。しかしそれに該当しないならやはり館としての行き過ぎでしょうね。
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非常に重要な調査であることはまちがいないですが、かといってマスコミが「邪馬台国論争決着か」などという煽りをするべきでない。また、「吉野ヶ里遺跡は・・『邪馬台国九州説』の根拠とされてきました」などという誤った風説を広げるのも感心しない。 news.yahoo.co.jp/articles/5b1e3…
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#鎌倉殿の13人 しかし、やはり「寿永二年十月宣旨」ってのはすごいな。軍事行動では義仲に先を越されていた頼朝にとっては一発逆転起死回生の秘策。頼朝が京都の貴族社会の中で若き日々を過ごした成果が稔った。頼朝の政治的天才がはじめて大輪の花を咲かせた。