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#鎌倉殿の13人
研究者が「史実と違う」と言うと「ドラマなんだから史実通りでなくてもいい」と怒られる。しかし、実際は、史実通りやったほうが話がスムースにつながるんですよね。それを変えてしまうと、話の流れに無理がでて辻褄があわなくなり、最終的にストーリーが自己崩壊をおこす可能性がある
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⇨「経済学等を学ぶために大学に来ている学生よりも大学卒の資格を得るために来ている学生が圧倒的でしょうし、保護者もそうでしょう」。
この発言は大学教授として失格。確かにそういう学生はいるでしょうが、それを基準にして大学教育を語るのは、真摯な学生への侮辱です。
news.yahoo.co.jp/articles/005fa…
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ただ、もうひとつの下策があるのですよね。せっかく博物館を造ったのに、財政難なので資料収集事業はストップ、ということ。そんなアホなと思われるかもしれませんが、実はかなりの博物館で「資料購入予算ゼロ」という事態が起こっています。予算ゼロでは身動きがとれない。博物館が緩慢に死んでいく。
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#鎌倉殿の13人
承久の乱の際、後鳥羽上皇の出した「北条義時追討院宣」ばかりがクローズアップされますが、同時に仲恭天皇の「北条義時追討宣旨」が出されていることを忘れてはなりません。院宣はそれが届けられた特定の個人に対する命令書ですが、宣旨は(形式上では)全国に対する命令書だからです
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さらにアホな場合。
市民「私が持っている文化財を博物館に寄贈します」
博物館「収蔵庫が満杯で置く場所がないのでお断りします」
実は、博物館の質は収蔵庫の大きさで決まる。大きな収蔵庫を持つほど、また、収蔵庫の拡張の余地があるのが、良い博物館。なぜなら、資料収集は未来永劫続くものだから
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⇨他方、作品の所蔵者の意向は尊重されるべき。しかしその場合には、展示室のしかるべき場所にあらかじめ「この作品は所蔵者の意向により写真撮影、スケッチ、メモ禁止」が明示されなければならない。それがないのに制止されれば観客が不快になるのは当然。
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#鎌倉殿の13人
承久の乱。大江広元の息子の親広は伊賀光季との共同京都守護として京都に駐在、光季は後鳥羽上皇軍によって誅殺されたが、親広は上皇軍に加わる。さらに親広の妻は北条義時の娘。つまり、大江広元と義時は上皇に立ち向かうと決めた時に、息子と娘をも見捨てる覚悟を固めた。辛い話だ。
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⇨道長の死んだ万寿4年(1027)の翌年を「長元元年」と書きました。それは、万寿5年7月25日に「長元」に改元されたからです。明治以前の日本の元号は、改元が布告された年の元旦に遡って新年号が適用されます(「立年改元」)ですので、「万寿5年」はすべて「長元元年」と表記されることになります。
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⇨例示されたことでも、バブル期の銀行の融資状況を調査し、当時の銀行員多数に聞き取りを行い、社会の経済感覚を調べ、さらに先行研究を博捜したなら、ちゃんとした論文を書くことは可能。それを「自分の体験ではこうだったのにそれを認めない大学は非常識」と断ずるからおかしなことになる。
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⇨市民の人が研究をされるのは大変結構なことです。しかしそれを認めてもらおうとするなら、その研究成果を論文にまとめ、しかるべき学術媒体(査読付き学術雑誌など)に公表しなければなりません。そうした媒体に発表した成果ならば、同等の学術的価値を持つものとして扱われます。これがルール。
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#鎌倉殿の13人
よく考えてみたらいいのよ。奥州藤原氏を滅ぼした時点で、源頼朝に敵対できる軍事的勢力は皆無となった。頼朝がそのまま京都に進軍し、後白河法皇や後鳥羽天皇や貴族たちを皆殺しにして、自分が天皇に即位して新しい王朝を開くことも選択できた。しかし、やらなかったし、やれなかった
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⇨グレゴリオ暦制定は1582年。これは日本の天正10年(本能寺の変の年)。信長の後継者争いの中で、天正10年12月17日に羽柴秀吉が大垣城に入って美濃国平定の足がかりとする。この日はグレゴリオ暦では1583年1月10日。しかし欧州でもユリウス暦を使っていたところも多く、この暦だと1582年12月31日。
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⇨よく読むと、「平安時代の多くの女性の名前は判然としません。紫式部も然りです。そこで私たちは、心に燃えるものを秘めた個性的な主人公に『まひろ』という名をつけました」となっていて、名前はまったくの創作のようですね。しかし、かなり違和感がありますね。
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これも色んなところで言っているのですが、「皇位継承は神武天皇のY染色体を引き継ぐ男系男子」ということになると、源氏(例えば清和源氏)や平氏(例えば桓武平氏)や橘氏や「藤原氏の皇別摂家」の男系子孫も皇位請求権を持つことになります。皇位男系論者の方々はそれをわかっておられますか? twitter.com/Furuya_keiji/s…
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「教員免許更新制」が、やっと廃止。末代まで日本教育史に悪名を残すであろう天下の愚策であった。教員の資質向上は自らの不断の努力によってなされるものであり、10年ごとの講習で保証されるわけがなかった。この制度の導入を推進した政治家や官僚は恥を知れ。
news.yahoo.co.jp/articles/7f7e7…
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市史編纂の時に史料を収集する。本の刊行が終わった後、集めた史料をどうするか。せっかくこれだけ蓄積ができたのだから、これを基礎にして博物館を建てよう、というのは上策。博物館は将来としても史料収集は続けていこうというのが中策。最悪なのは、市史編纂室が解散すると史料が散逸するという場合
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こんなことをつぶやくと、「博物館なんて何の役にもたたないものに俺の払った税金を使うな! そんなにやりたいのなら、やりたい連中だけでカネをだしあってやれ!」という人々が湧いてくるんでしょうね😭。博物館などの文化施設は「公<おおやけ>」のもの、社会の共有財産であるべきなんですが・・
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失礼ですが、あまりに暴論です。比較対象として、第二次世界大戦で無条件降伏した国としてはドイツがありますが、かといってドイツが国として消滅し、ドイツ人が全部シベリアに強制移住させられ、ドイツにはロシア人と英米人が住むようになった、という事実はありません。 twitter.com/TetsuoArima/st…
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⇨「バブル期に銀行が無謀な不動産融資」の理由について、自分の銀行員としての体験を述べると「『証拠が無い』で片付けられてしまいます。・・まさに『大学の常識は、世間の非常識』・・(笑)」などと言っている。これも、学問ないし論文を甘く見ていますね。⇨
news.yahoo.co.jp/articles/005fa…
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→考えてみたらこれは当然で、天皇が日本の主であるという権威の根拠は、天照大神というすっごく偉い神様が自分の孫に地上世界の支配権を与えた、天皇はその子孫だ、というところにあるのよね。神武天皇が九州から大和へ「東征」する正当性も、やっぱり天照大神の権威に源泉がある。
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⇨記事の「アカデミックディスピュート(学術論争)を挑む市民をクレーマー(苦情を言う人)と混同するかのような対応」というのは悪意に満ちていますね。相手の組織に乗り込んで自分の主張を述べたてるのは、学界の通例としてアカデミックディスピュートとはいいませんね。
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⇨東アジアの私たちは拓本ができる、しかし欧米人はできない。これは技量ではなく、資材の問題。要するに、拓本に最適の紙(画仙紙)と墨があるかどうか。強く、しなやかで、水を含ませると繊維が伸びて資料に沿い、乾くとそっと剥がれる紙。これは洋紙では不可能なんですね。東アジアの紙はすばらしい
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⇨たとえば、貝を例にあげると、生の貝を石器でこじ開けるのは大変。焚き火で貝を焼くことは可能ですが、まあ非効率的ですね。しかし土器でお湯を沸かしてその中で炊くと、大量の貝がすぐに食糧になるし、あとのスープがまたまた美味しく栄養価満点。
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#鎌倉殿の13人
源(木曽)義仲が後白河法皇の信任を失った原因は、「平家物語」に戯画的に描かれた田舎者ぶりのせいではなく、以仁王の皇子・北陸宮を次期天皇に推戴しようとしたから、という説が有力です。次期天皇選出は治天の君(この時は後白河法皇)の専決事項。武士が口を出すなど越権の極み。