山田邦和(@fzk06736)さんの人気ツイート(新しい順)

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「博物館などの文化施設が赤字を垂れ流すのはけしからん。稼いで黒字を出すべきだ」と攻撃されるが、文化施設は単独の収支で評価してはダメ、地域に与える経済効果全体で評価すべきだ、という研究がこれ。梅棹忠夫監修、総合研究開発機構編『文化経済学事始め』(学陽書房、1983年)
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⇨ただ、どこの世界にもごく少数ながら、大学なんか関係ないスゴイ天才はいると思いますから、そういう人は別です。あくまで、フツーの人が学問をきちんとやるには大学が近道ですよ、という話をしております。
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⇨ということで、ココ↓に戻ってくるわけです。大学だと、ごく自然に学問をやる雰囲気の中に身をおける。私の経験でいうと、新入生でも『纒向』を読むのが普通だった。しかし、独学で『纒向』にたどりつくのは、不可能とはいわないが、多大の労力が必要となる。 twitter.com/fzk06736/statu…
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⇨『纒向』はその年の秋に出版されたばかりの報告書。4月になって大学に入学して、考古学研究室に出入りするようになると、そこでは先輩方が、当然のように『纒向』を話題にし、『纒向』を紐解き、『纒向』で議論していた。私は、高校生の「お勉強」と、大学の「研究」の違いを見せつけられた。
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⇨「ぼく、四月から大学生になります。考古学をやります!」と意気込んで自己紹介する私に、その先輩は「考古学をやるの?じゃあ、『纒向』(奈良県桜井市纒向遺跡の発掘調査報告書)は読みましたか?」と言った。「マキムク」のなんたるかも知らない高校生の私は目を白黒させるだけだった。
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「独学で学べるのにどうして大学に行かねばならないのか?」問題の私的な思い出。私は中学・高校の時から考古学に志し、いろんな本を読んで勉強して、かなりわかるようになっていた(つもり)だった。大学に入学する数ヶ月前の高校3年の終わり頃、1学年上(つまり、大学の1回生)の先輩に紹介された
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「独学で勉強できるのに大学に通う意味って・・あるのか?」という質問。答えは、「あります」。というか、大学をはじめとする学校というのは、非常に効率よく「学べる」装置。それに対して独学は大変な労力がいる。独学でできる人はやってもいいが、それは実は茨の道。普通の人にはお勧めできない。 twitter.com/monothin/statu…
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これはちょっと言っておかねばならないと思うのですが、邪馬台国の候補地のひとつとして有名な奈良県の遺跡を「纏向遺跡」だと思っている人がいるのですが、そんな名前の遺跡は存在しないのです。あれは「纒向遺跡」なのです。どうか考古学に関心のある人は間違えないようにしてください。
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「海外の富裕層向けに」か。はっきり言います。虫唾が走ります。こういうのを奴隷根性といいます。そこまでしてカネがほしいのですか? chunichi.co.jp/article/715636
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ほんこれ。一次史料(当事者が、その場で、時間をおかずに書いたもの)はプリコジンやロシア政府のツイート、あとはワグネル隊の進路の住民の断片的な目撃譚しかない。他は同時代とはいえ、伝聞に基く二次史料。事件の全体像はなかなか見えない。 twitter.com/irutaroh/statu…
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これすっごくマズくない? 地下資源開発とか地震研究とか火山噴火予知とか、日本にとって重要な研究課題のいろいろをやるには高校の地学は必須なのに、実は高校で地学を教えない。高校の理科が物理・化学・生物だけでよくて、地学は不要だなんて、正気の沙汰とは思えないのですが。 twitter.com/spEarthScience…
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デカデカとイイことが書いてあった。山科駅前。
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非常に重要な調査であることはまちがいないですが、かといってマスコミが「邪馬台国論争決着か」などという煽りをするべきでない。また、「吉野ヶ里遺跡は・・『邪馬台国九州説』の根拠とされてきました」などという誤った風説を広げるのも感心しない。 news.yahoo.co.jp/articles/5b1e3…
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自宅の可動式書架、ワタシの家では思い切って導入して良かったです。何よりも、四六時中いつでも、たとえ真夜中でも研究できることが大きい。人文系研究者で、可能な方は導入を検討されたらイイと思います。 togetter.com/kiji/2022/11/1…
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まことにその通り。紫式部の本名「香子」にせよ、とまではいわないが、「まひろ」はもうちょっとなんとかならなかったのか。あまりにも平安時代中期の貴族社会の成人女性名としては不自然さがありあり。ドラマの全編がこうした姿勢でないことを祈ります。 twitter.com/sakuchan_1962/…
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⇨誤解なきよう申し上げますが、「学術雑誌に掲載された論文は内容が正しい」ことを意味してはいません。「学術雑誌に掲載された論文は、内容が学術的手続きを踏んでおり、学界の論争に参加する資格がある」ということになります。
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⇨その後、古田先生の「邪馬壹国」には反論がたくさんでてきた。しかし、ちゃんとした研究者がきちんと反論したのは、『史学雑誌』という学界の土俵に乗ったことで、みんな、自分たちと対等に勝負をする存在として認識したということになります。学術論争とはそういうものなのです。
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⇨『史学雑誌』は東京大学に本部がある史学会という、わが国を代表する歴史学の学会の機関誌。そこに査読を経て掲載されたということは、古代史では無名の著者だったにもかかわらず、「学界の共通の土俵に乗る」ことが認められたということになります。
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関連して。かつて古田武彦先生が「邪馬台国(邪馬臺国)ではなく邪馬壹国(邪馬壱国、邪馬一国)が正しい」と論じた。古田先生は大学で日本中世思想史を専攻し、親鸞の研究では知られていましたが、古代史では無名で、職業は高校教諭だった。しかし「邪馬壹国」は査読を経て『史学雑誌』に掲載された。
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⇨この件自体については私は記事以上の情報を持たず、あくまで一般論しかいえないのですが、原直史先生によると↓だとのことです。 twitter.com/HARA_Naofumi/s…
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⇨「市民の研究なんて、権威主義的な学会が認めるはずはないし、学術雑誌に載せてくれることなんてあるはずない」と思っておられる方もいますが、そんなことありませんよ。専門研究者であろうとなかろうと、良い研究であれば掲載してくれます(その学術雑誌を出している学会の会費は必要ですが)。
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⇨市民の人が研究をされるのは大変結構なことです。しかしそれを認めてもらおうとするなら、その研究成果を論文にまとめ、しかるべき学術媒体(査読付き学術雑誌など)に公表しなければなりません。そうした媒体に発表した成果ならば、同等の学術的価値を持つものとして扱われます。これがルール。
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⇨記事の「アカデミックディスピュート(学術論争)を挑む市民をクレーマー(苦情を言う人)と混同するかのような対応」というのは悪意に満ちていますね。相手の組織に乗り込んで自分の主張を述べたてるのは、学界の通例としてアカデミックディスピュートとはいいませんね。
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記事は博物館を悪者扱いしてますが、学界のルールとしては、「博物館を11回も訪れ、館長や学芸員に自分の主張を展開し」「文書による回答を要求」し、その回答が自分の主張通りでないからといって「怒る」というのは、学術論争ではない。論争は学術雑誌の論文等でやるべき。 newstsukuba.jp/45049/29/05/
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こういう歪んだ須恵器が古墳や集落跡から出るということは、失敗品を遠くから運ぶことは考えにくいわけですから、近辺にこの窯跡があるという可能性が高いわけです。つまり、たとえ窯跡が未発見でも、こういう歪んだ製品を追いかけることによって、その地域での須恵器生産の展開を研究できるわけです。 twitter.com/kodaipress/sta…