山田邦和(@fzk06736)さんの人気ツイート(古い順)

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⇨そういうコンサルタントみたいな人の話では、過去に書いた論文を集めて一冊の本にすることも違反で、厳に慎むべきであり、やった人は厳罰に処す、というんです。私の学問分野の慣習なんかおかまいなしのようです。頼みますから、もう、放っておいてください。自由に論文や本を書かせてください。
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⇨もちろん、他人の書いた本や論文を「盗作」することは犯罪です。しかし、そういうコンサルタントみたいな人の話では、過去に自分の書いた論文の内容を繰り返すことも、「自己盗用」という犯罪だそうです。自分のものを自分で使うことが犯罪になるなんて、納得できません。もう、放っておいてください
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⇨そういうコンサルタントみたいな人にマジで言いたいのは、論文のカタチや発表のやりかたは学問分野によって違う。グローバルスタンダードか何か知りませんが、私たちの知らんところで作られた基準を押し付けにこないでください。盗作や捏造や剽窃はしませんと誓いますので、放っておいてください。
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ええっと、「武蔵国」って英語でどういうのかな、と思ってDeepl翻訳にかけてみたんですが、なんか、私が習ってきた歴史地理感覚と違っているような気がするんですが、どうなんでしょう・・・
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「今後どうすべきか考えます!」って、どうせ〜っちゅうんじゃ! 邪馬台国・卑弥呼の呼び方を教科書から追放する? 魏志倭人伝を書き変える? 邪馬台国について書かれた本を焚書する? そもそも国会議員たる者が邪馬台国・卑弥呼の字の意味を今日の今日になるまで知らなかったのか? twitter.com/ty_polepole/st…
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⇨まあ、山本議員が書く本では卑字は使わない、というのならばそれはそれでひとつの主張ですし、どうぞご勝手に、となります。ヤマタイ国、ヒミコ、ワ国、南バン、北テキ、東イ、西ジュウ、というふうにカタカタで書く手はあります。ただ、くれぐれも他者に強制しようなどとはしないでくださいね。
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⇨そうは言っても「邪馬台国(正確には邪馬臺国 。ただし魏志倭人伝の現存本では邪馬壹國 )」を「ヤマタイ」と読んでいいのかどうかは、わからない。「ヤマト」の音を表記したという説は根強いですが、それも百%正しいかどうかというと、わかりません。カタカナ表記はこういう別問題がでてくる。
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⇨それから、「邪馬臺国」の「臺」の字は皇帝の宮殿という意味もあり、卑字ではないとする説があります。こういうことも知っておかねばなりません。
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⇨古代中国が周辺の国や民族を卑字で呼んだことは事実です。「倭」もそのひとつ。しかし、私たちの祖先は七世紀頃に「倭」はイヤだ「日本」にしよう、と言い出した。中国の唐も「それはそれでいいんじゃない」ということでそれまでの「倭」を「日本」と呼び変えるようになった。卑字を強制しはしない。
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⇨ですので、「倭」から「日本」への改称を、わが国が中国の華夷秩序から離脱しようとした、自立意識の確立として評価するということならば、それはそれでかまいません。だからといって邪馬台国や卑弥呼の表記をいじろうとするとおかしなことになりますので、念のため申し上げています。
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@gijyou ⇨ホントです。こうして並べてみると変化がわかりますね。どんどん崩れてきて、最後はなんやワケわからんようになる。大学の考古学の授業で「型式学」を説明するのに使います。
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#鎌倉殿の13人 京都では源義経が後白河法皇に謁見、検非違使に任ぜられて有頂天。ではこれはどこだったんでしょう?後白河法皇御所なんだから法住寺殿、と思うとさにあらず。法住寺殿は源義仲に攻められて崩壊、まだ再建されていません。では平安京のどこかの院御所かというと、さにあらず。⇨
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かつて北杜夫氏がマグロ漁船に乗ったことを思い出します(『どくとるマンボウ航海記』)。出航間近になっても船医がみつからない。もう何科の医者でもいい、インターンでもかまわない、船医なしで出航もやむなしというところまで切羽詰まったところに北氏が応募してきたので船側は大喜びだったとか。 twitter.com/flyshipopo/sta…
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この結果では、憲法9条改訂派31%、非改訂派30%で、改訂派がわずかながら上回ったように見えますが、その改訂派31%の中の8%は「自衛隊も含めた軍事力を放棄することを明確にすべき」であって、軍事力増強派とは正反対の意見なんですよ。 www3.nhk.or.jp/news/html/2022…
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博物館における収蔵庫の重要性を知らない連中を、博物館の設計とか運営にたずさわらせてはならない。「展示室の面積を広く取る一方、収蔵庫などバックヤードの面積を抑える設計をしていたり、収集計画を明確にしないまま設立」など、言語道断。 asahi.com/articles/ASQ51…
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#鎌倉殿の13人 で東国武士がまったく稚拙な字しか書けないという描写になっていて話題ですが、あれは違ってますね。東国武士も行政官としての役割を果たしていましたから、読み書きは当然できたはずです。あまり「武士=野蛮」論に乗っからない方がよいと思います。
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⇨ただし、文化、文字、学問という点では、京都の貴族の力はまさに圧倒的でありました。文化の力を象徴するものは書物、文書、記録でしょうが、藤原頼長や信西入道藤原通憲、大江匡房をはじめとして、貴族はそれぞれ万巻の蔵書を持っていました。それが彼らの力の源泉でした。
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⇨東国武士が京都の貴族に匹敵する蔵書を持てるのは、鎌倉時代中期の北条(金沢)実時が創立し、同末期の北条(金沢)貞顕が充実させた「金沢文庫」を待たねばならないと思います。なお、平安時代末期の奥州藤原氏の平泉にもかなりの書物があったとは思いますが、詳細はわかりません。
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⇨なかでも恐るべきなのは、平安時代末期の少納言入道信西(藤原通憲)。保元の乱の立役者で平治の乱で死に追いやられた人物ですが、左大臣藤原頼長と並ぶ当代最高の大学者でした。彼の膨大な蔵書の目録の一部は『通憲入道蔵書目録』の名称でいまに遺されています。
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⇨平安時代前期の9世紀末には、藤原佐世が当時の日本にあった外国書の総目録を編纂しています。『日本国見在書目録』がこれ。これには1597部(16,790巻)という膨大な書物が掲載されています。要するにこのほとんどが京都(一部は奈良の寺院も含むかも)にあったのです。圧倒的な文化力です。
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⇨要するに、中世の地方豪族も、ひととおりの読み書きのための参考書(庭訓往来、字尽)や歴史の概説書(=年代記)は持っていたし、それで勉強しており、文書や記録を書いていた。ただ、その水準が京都の貴族に比肩できるかというと、とうていそこには及ばなかったはずです。
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「これについては何々です」とツイートすると、「それはお前の感想にすぎず、論証になっていない。けしからん」と絡んでくる人がいるのにはゲンナリします。140字で論証できるはずがない。Twitterはあくまでつぶやきであり、それ以上でもそれ以下でもない。論証を望むならば学術的媒体に行ってください
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歴史ドラマや小説について「史実と違う」と指摘すると、「ドラマや小説は史実通りでなくても面白ければいいん!学者はヤボだ!」と言ってくる人がいます。しかし、史実を知った上でフィクションを楽しむというのは矛盾していません。フィクションを史実そのものと信じ込む人がいるのが困るというだけで
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とはいうものの、紫式部の本名が「まひろ」って話、これまであったでしょうか・・・・🥶。別に、絶対に「香子」にせよとは言わないのですが、あまりにも王朝時代の貴族女性の名前とはかけ離れているように思うのですが・・・🥶 www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/ori…
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⇨よく読むと、「平安時代の多くの女性の名前は判然としません。紫式部も然りです。そこで私たちは、心に燃えるものを秘めた個性的な主人公に『まひろ』という名をつけました」となっていて、名前はまったくの創作のようですね。しかし、かなり違和感がありますね。