226
⇨それに対して「英連邦(コモンウェルス)」加盟国で「英連邦王国(コモンウェルス・レルム)」ではないという国がある。たとえばインドとかパキスタン。それらの国にとっては、エリザベス女王は最大の友好国のひとつの国家元首ではあるが、自国の元首ではない。席次に差があるのは当然。
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博物館(美術館含む)の展覧会で作品のスケッチをしていて館のスタッフから制止された問題。2つに切り分けなければグチャグチャになる。まず、館側が絶対的に非があるのは、数百年前の作品に「著作権が…」というのを持ち出したこと。これは明確に誤りで、館の水準が問われる。
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⇨他方、作品の所蔵者の意向は尊重されるべき。しかしその場合には、展示室のしかるべき場所にあらかじめ「この作品は所蔵者の意向により写真撮影、スケッチ、メモ禁止」が明示されなければならない。それがないのに制止されれば観客が不快になるのは当然。
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⇨また、館には施設管理権がありますので、合理的な理由があれば観客の行動を制限できます。展示作品のスケッチについては、万年筆を使っていたとか、ひとつの作品の前を長時間占有して他の客の鑑賞を妨げたなら制止できるでしょうね。しかしそれに該当しないならやはり館としての行き過ぎでしょうね。
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⇨もうひとつ興味深い問題があります。博物館で数百年前の文化財が展示されているとして、そのものの著作権は切れています。しかし、その文化財に添えられた解説の著作権は生きているし、権利は博物館にある。ということは、超厳密にいうと、展示解説を書き写すという行為には館の許諾が必要となる。
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⇨ある展覧会は「展示物の撮影はどうぞご自由に」というなかなか豪気なものでした。しかし「展示物の解説の撮影はご遠慮ください」となっていました。ご覧になった方は、えっ、これ、なんでだろう、と思われたかもしれませんが、上記のような事情によるのです。
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こういうことを言うと大変失礼だとは存じますが、独自の判断で奇妙な言葉を作らないでいただけますか。他は知らず、新聞社は社会的影響が大きいですから、新聞社がこういうことを言い出すとそれまでにはなかった言葉が一気に広まってしまう可能性があります。 twitter.com/nikkei_kotoba/…
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特に問題なのは、京都府にお越しになることを「来京」と表記されてますが、こんな言葉はありません。実は「京都府に来る」という意味の言葉は存在しないのです。「上洛」はありますが、これはあくまで京都府全体ではなく、京都市中心部だけに通用するものです。
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たとえば、京都府北部の舞鶴市にお越しになることは「上洛」とはいいません。「来京」ではなおおかしい。あえていうならば「来鶴」かもしれませんが、あんまり聞いたことはありませんね。このように、都道府県を一括のものとしてそこに「来る」言葉が、全ての都道府県に存在すると考えることがおかしい
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何人かの方から指摘を受けましたが、私の言葉足らずでした。あくまで京都の事例をお話しいたしました。他のところでどう言われているかは、私にはわかりません。私が全体を否定したと思われた方にはお詫び申し上げ、修正いたします。
twitter.com/fzk06736/statu…
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難癖をつけると思われると困るのですが、この平安宮(大内裏)復元図は江戸時代の裏松固禅の研究であり、近年の成果は反映されていないことは注意しておく必要はあります。特に、朝堂院と豊か楽院の北端ラインは誤りです。固禅の研究は当時としては最先端ですが、今となっては要修正です。 twitter.com/bushidoh_sb/st…
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丹後郷土資料館で「来館者」を評価の基準にするのはまちがっている。そもそも交通が不便(駅から遠いしバスも少ない)で、車がないと行きにくい。ではなぜそんなところに造ったのか?それは、丹後国分寺跡という史跡と一体化してその環境(天橋立の眺望はすばらしい)を感じ取るため。 twitter.com/kyoto_np/statu…
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ほんこれ。もうそろそろ「方言」という用語もやめて「日本語の地域語」に変更したほうがいいんじゃないかと思うんです。
なお、京都に来て、地元民の言語を「京ことば」というのはいいのですが、「京都なまり」と呼ぶのは自殺行為です。その後、どんな冷酷な扱いをうけるか知れたものではありません。 twitter.com/nakagawanatsuk…
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先日、西洋史の研究者と一献傾けながらじっくりお話をした時。曰く「研究者志望の若い人で、自分は研究者になるんだから高校教員免許なんか採らない、という人がいる。これは危ない。研究者は狭き門であるからこそ、セーフティネットは自分で作っておかねばならない」。これは真理ではないかと思う。
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【歴史学の史料について】
今、1000ピースからなる複雑なパズルが1000個あるとします。これをごちゃ混ぜにして、9割のピースを鷲掴みして捨ててしまいましょう。では、残ったピースを組み合わせて元のパズルの図柄を再現するよう頑張ってください。
このピースが史料、図柄を再現する試みが歴史学です
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#鎌倉殿の13人
善哉が出家して「公暁」と改名。この読み方、従来は「クギョウ」だったのですが、実は「コウギョウ」だという説が舘隆志氏によって提起され、大河ドラマ時代考証の坂井孝一さん(創価大学教授)もそれに賛同されてドラマでの採用にいたったのでしょうね。確かに「コウ」の方が自然です。
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#鎌倉殿の13人
⇨ただ、実は舘氏の「再発見」以前にも公暁=コウギョウにしていた人がいる。読んでいてビックリしたのですが、「皇国史観の親玉」と呼ばれた東京帝国大学教授平泉澄の戦後の本。もしかして、戦前からすでに平泉は「こうぎょう」と発音していたのかもしれない。平泉の面目躍如です。
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#鎌倉殿の13人
⇨念のため申しますと、日本人の名前の読み方はさまざまで、厳密に「これが正しい」といえないことも多いです。ふたつの読み方があってどちらを採るかという時も、「まあ、いろいろ勘案するとコッチのほうがちょっとはそれらしいな」くらいにお考えいただいたほうがいいと思います。
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わからないでもないんですが、学部の卒論で、研究者水準の論文が少ないから卒論の制度そのものをやめろ、というのは極論ではないかと思うのです。学部の卒論は、学生が「自分でテーマを設定し、自主的に調査し、考え、ささやかでもよいので自分なりの結論を出す」という過程こそが大事だと思っています twitter.com/hata_kpu/statu…
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⇨確かに、「研究者としてみたときに『論文』という基準に達していない」卒論は多い。しかし、文献引用の仕方も知らなかった学生が卒論を通じて、できるようになる。現地に出かけて汗を流してひとつのことを調査する。図書館でじっくり本を読むことを体験する。それが無意味だなんて、私には言えない。
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大学の教職員で、自分の大学のことを「我が社」という人がいますが、その言い方が許されるのはウチの大学と、ウチのお隣の大学(ウチの姉妹校)のみだと思っているのです。この両校に就職すると「入社式」もあります。
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#知らない人ならだまされるかもしれない
近畿地方の地図
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日本史の教科書では西暦表記されますが、あれはマズイのですよね。たとえば、藤原道長は万寿4年に亡くなっていますが、年表では「万寿4年=西暦1027年」なので「道長は1027年死去」という文章になる。しかし道長が死んだのは同年12月4日で、これは西暦(ユリウス暦)では1028年の1月3日になる。⇨
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⇨じゃあ「道長は1028年死去」と書いたらいいかというと、それでは「ええと、それは日本の元号ではいつかなぁ? 年表を引くと1028年は長元元年だ。なるほど、道長は長元元年に死んだんだな」というありもしないハナシになってしまうのです⇨