山田邦和(@fzk06736)さんの人気ツイート(新しい順)

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⇨議員の「選挙公報」とは、一般社会における「履歴書」と共通する。就職希望者は会社に履歴書を提出し、会社はそれを見て採用を決める。議員候補者は選挙公報を公表し、有権者はそれを判断材料として当選させる。履歴書に不正確なことを書く人は採用しない。選挙公報を「盛る」候補者は当選させない。
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謝罪の形はとっていますが、「非常勤講師についての法的な規定はな」い、「用語のあいまいさ」、「定義は大学によってまちまち」などと、やっぱり自分の非ではなく用語のほうが悪いと言いたいのですね。しかし、違います。「非常勤講師」の定義はきちんとしています。 news.yahoo.co.jp/articles/9d2bf…
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#鎌倉殿の13人 「今週の展開、ひどいんじゃない? 義経義経って言って頼朝追討命令まで出した後白河法皇、一瞬で義経を見限る手のひら返し、義経追討に切り替えるなんて。そんなヤツ現実にはいない。いくらフィクションとはいえひどすぎる」 「いや・・・、それ・・・史実通りなんですが・・・」
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#鎌倉殿の13人 義経の正妻河越(比企)重頼の女と、妾妻の静(静御前)がツノ突き合わせていましたが、もうひとりの妾妻の前権大納言平時忠の女が存在しないことになっているのは不憫ですね。というか、義経没落の原因として、軽率にも壇ノ浦から京都に送還されてきた時忠の女を娶ったことも大きい。
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「教員免許更新制」が、やっと廃止。末代まで日本教育史に悪名を残すであろう天下の愚策であった。教員の資質向上は自らの不断の努力によってなされるものであり、10年ごとの講習で保証されるわけがなかった。この制度の導入を推進した政治家や官僚は恥を知れ。 news.yahoo.co.jp/articles/7f7e7…
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『愚管抄』は国の始まりから鎌倉時代初期までを叙述した歴史書で、とくに平安末期〜鎌倉初期の基本史料のひとつ。「へん、どうせ二次史料でしょ」などと軽視するなかれ。著者慈円は藤原忠通の子で天台座主。つまり摂関家の御曹司で宗教界のトップ。彼のところに集まる情報は質量ともに圧倒的だったはず twitter.com/kodansha_g/sta…
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⇨大学教員が、自分の担当する授業で、そのうちの何回かをゲスト・スピーカーを招聘してしゃべってもらう、ということはあります。それはその教員が持っている「講義全体のコーディネイト」という権限にもとづくもので、それはかまいません。しかし、そのゲスト・スピーカーは非常勤講師ではない。
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⇨上で書きました、大学の「授業を担当する」とは、単に一回だけゲストとして呼ばれて喋る、ということではありません。単位にふさわしい時間数の講義をし、その講義全体のコーディネイトをし、さらに受講した学生に対して単位認定をする。そのすべて併せて「授業を担当する」ということ。
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⇨もし、上記の任命を経ていない者に勝手に「非常勤講師」を名乗らせて授業を担当させたら、その大学は文部科学省からキツいお仕置きを受けます。そうした任命を受けていない者は大学教員ではなく、大学教員ではない者が授業を担当することは違法だからです。
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⇨そして、学校教育法に規定された大学の教員には、専任と非常勤の区別がある。ただ、教授とか准教授はほぼみんな専任だが、講師は、専任講師もいるが圧倒的多数は非常勤講師。しかし、たとえ非常勤であっても大学の教員であることにはまちがいはない。ゲスト・スピーカーはその意味での教員ではない。
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⇨大学の「講師」は法律上の根拠があります。学校教育法第九十二条「大学には学長、教授、准教授、助教、助手・・を置かなければならない。・・② 大学には、前項のほか、・・講師、・・を置くことができる」。この規定にのっとって任命されるのが大学の講師。その任命を受けない者は講師ではない。
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松井代表、それは違う。大学における「非常勤講師」とは、大学教員としての職階のひとつ。1回のスポット講演をする人は大学教員としての講師ではなく、ゲスト・スピーカー。このふたつがどう違うかというと、講師は単位認定権を持つが、ゲスト・スピーカーは持たない。これは大きい。 twitter.com/Shoji_Kaoru/st…
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正確にいうと「宮内庁治定の安徳天皇陵は下関市の赤間神宮の側の『阿弥陀寺陵』。しかし各地に多数の伝説地があり、宮内庁もそれらのうち五ヶ所を『陵墓参考地』に指定している」ということになるのですが、まあそんなことはどうでもいいですね。「お墓乱立して宮内庁をテンパらせてやる」に吹きます。 twitter.com/4RewJJOmWiLzR7…
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⇨角田文衞先生の「紫式部の本名」(1963)はその後に複数の本に再録。ただ、それらには異同があります。『角田文衞の古代学1「後宮と女性」』(京都、古代学協会〔発売:吉川弘文館〕、2018年)に再録したものでは、その異同をも収録し、先生の思考の変遷がわかるようにしましたので、ご参照ください
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⇨紫式部=藤原香子、という角田文衞先生の説には確かに欠点があり、そこが批判されたために「広く承認されることなく現在に至っているが、成立の可能性も残されたままであって、本名問題に旋風を巻き起こした本編〔=角田論文〕の価値はなお減じていない」とする吉川真司京大教授の評価が穏当と思います
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それまで諦められていた紫式部の本名を考証し、「藤原香子<かおりこ、たかこ>」だったと推定したのは角田文衞先生です。すごく精緻な考証なのですが、やはり史料的に限界があり、学界では多くの批判を浴びました。ただ、だからといって「角田説は今日の学界では否定されている」と断じてはダメです。 twitter.com/fzk06736/statu…
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⇨よく読むと、「平安時代の多くの女性の名前は判然としません。紫式部も然りです。そこで私たちは、心に燃えるものを秘めた個性的な主人公に『まひろ』という名をつけました」となっていて、名前はまったくの創作のようですね。しかし、かなり違和感がありますね。
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とはいうものの、紫式部の本名が「まひろ」って話、これまであったでしょうか・・・・🥶。別に、絶対に「香子」にせよとは言わないのですが、あまりにも王朝時代の貴族女性の名前とはかけ離れているように思うのですが・・・🥶 www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/ori…
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歴史ドラマや小説について「史実と違う」と指摘すると、「ドラマや小説は史実通りでなくても面白ければいいん!学者はヤボだ!」と言ってくる人がいます。しかし、史実を知った上でフィクションを楽しむというのは矛盾していません。フィクションを史実そのものと信じ込む人がいるのが困るというだけで
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「これについては何々です」とツイートすると、「それはお前の感想にすぎず、論証になっていない。けしからん」と絡んでくる人がいるのにはゲンナリします。140字で論証できるはずがない。Twitterはあくまでつぶやきであり、それ以上でもそれ以下でもない。論証を望むならば学術的媒体に行ってください
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⇨要するに、中世の地方豪族も、ひととおりの読み書きのための参考書(庭訓往来、字尽)や歴史の概説書(=年代記)は持っていたし、それで勉強しており、文書や記録を書いていた。ただ、その水準が京都の貴族に比肩できるかというと、とうていそこには及ばなかったはずです。
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⇨平安時代前期の9世紀末には、藤原佐世が当時の日本にあった外国書の総目録を編纂しています。『日本国見在書目録』がこれ。これには1597部(16,790巻)という膨大な書物が掲載されています。要するにこのほとんどが京都(一部は奈良の寺院も含むかも)にあったのです。圧倒的な文化力です。
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⇨なかでも恐るべきなのは、平安時代末期の少納言入道信西(藤原通憲)。保元の乱の立役者で平治の乱で死に追いやられた人物ですが、左大臣藤原頼長と並ぶ当代最高の大学者でした。彼の膨大な蔵書の目録の一部は『通憲入道蔵書目録』の名称でいまに遺されています。
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⇨東国武士が京都の貴族に匹敵する蔵書を持てるのは、鎌倉時代中期の北条(金沢)実時が創立し、同末期の北条(金沢)貞顕が充実させた「金沢文庫」を待たねばならないと思います。なお、平安時代末期の奥州藤原氏の平泉にもかなりの書物があったとは思いますが、詳細はわかりません。
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⇨ただし、文化、文字、学問という点では、京都の貴族の力はまさに圧倒的でありました。文化の力を象徴するものは書物、文書、記録でしょうが、藤原頼長や信西入道藤原通憲、大江匡房をはじめとして、貴族はそれぞれ万巻の蔵書を持っていました。それが彼らの力の源泉でした。