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⇨なお、「高松塚古墳は終末期古墳だ」というのは正しいのですが、「高松塚古墳は古墳時代終末期に造られた」は誤りです。「終末期古墳」は、古墳時代が終わっているもかかわらずまだしつこく造っていた古墳のことです。だからその時代は古墳時代ではなく、「飛鳥時代〜奈良時代」と呼ぶのが通例です。
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文化施設の縮小・廃止が問題になると必ず「限られた予算であるから、文化・芸術のような儲からないものをカットしていくのはしかたない」という反論が出る。しかし、文化施設そのものは儲からなくても、地域への経済波及効果はその十倍〜数十倍あることは、文化経済学の研究が立証している。 twitter.com/asobiosentoya/…
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⇨たとえば、貝を例にあげると、生の貝を石器でこじ開けるのは大変。焚き火で貝を焼くことは可能ですが、まあ非効率的ですね。しかし土器でお湯を沸かしてその中で炊くと、大量の貝がすぐに食糧になるし、あとのスープがまたまた美味しく栄養価満点。
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⇨動物の肉についても、焚き火で焼く(もちろん焼肉プレートや焼肉用網はない時代の話)ことしかできなかった時代と、土器でお湯を沸かして煮ることができるようになった段階では、やっぱりぜんぜん違いますよね。と説明していたら、鍋料理が食べたくなってきた。明日の晩ご飯は鍋物にしよう!
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⇨他方、作品の所蔵者の意向は尊重されるべき。しかしその場合には、展示室のしかるべき場所にあらかじめ「この作品は所蔵者の意向により写真撮影、スケッチ、メモ禁止」が明示されなければならない。それがないのに制止されれば観客が不快になるのは当然。
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⇧上記はあくまで大局的なことだとご理解ください。土器がなくても、絶対にお湯が沸かせない、ということはありません。ただ、土器があればその何十倍もの効率でお湯を沸かせます。釣り針も、旧石器時代の沖縄にはありますので、日本本土で見つかる可能性もあります。ただ、普遍化はやはり縄文時代です
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→その事例のひとつ。保元の乱の時の藤原頼長の言葉として「我君(崇徳上皇)は、天照大神四十七世の正胤、太上法皇(鳥羽法皇)第一の皇子也。恐は、文武ともにかけ、芸能一も御座ぬ四宮(後白河天皇)に位をこされて渡らせ給事、神慮の御謬か、人望の遺恨、只此事にあり」(『保元物語』)。
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→まあ、天照大神を男とするのはかなり無理があると思うのですよね。『日本書紀』では素戔嗚尊が天照大神に「姉」と呼びかけていますから。
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『愚管抄』は国の始まりから鎌倉時代初期までを叙述した歴史書で、とくに平安末期〜鎌倉初期の基本史料のひとつ。「へん、どうせ二次史料でしょ」などと軽視するなかれ。著者慈円は藤原忠通の子で天台座主。つまり摂関家の御曹司で宗教界のトップ。彼のところに集まる情報は質量ともに圧倒的だったはず twitter.com/kodansha_g/sta…
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→なお、天照大神は男神であるという説も一部でささやかれてきたことは事実です。ただ、その説はほとんど広がらず、天照大神は女神であったとする認識が普遍的でありました。
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#鎌倉殿の13人
源(木曽)義仲が後白河法皇の信任を失った原因は、「平家物語」に戯画的に描かれた田舎者ぶりのせいではなく、以仁王の皇子・北陸宮を次期天皇に推戴しようとしたから、という説が有力です。次期天皇選出は治天の君(この時は後白河法皇)の専決事項。武士が口を出すなど越権の極み。
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⇨ということで、ココ↓に戻ってくるわけです。大学だと、ごく自然に学問をやる雰囲気の中に身をおける。私の経験でいうと、新入生でも『纒向』を読むのが普通だった。しかし、独学で『纒向』にたどりつくのは、不可能とはいわないが、多大の労力が必要となる。
twitter.com/fzk06736/statu…
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⇨道長の死んだ万寿4年(1027)の翌年を「長元元年」と書きました。それは、万寿5年7月25日に「長元」に改元されたからです。明治以前の日本の元号は、改元が布告された年の元旦に遡って新年号が適用されます(「立年改元」)ですので、「万寿5年」はすべて「長元元年」と表記されることになります。
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縄文時代には巨大な貝塚がありますが、あれも土器があってこそ。貝は焼いても食べられますが、土器で煮るのが効率的。そして貝塚とは、大量の貝を土器で煮て、身を出して(残りのスープはおそらくお吸い物みたいに飲んだでしょう)、そしてそれを干して干貝にして保存食料にした跡と考えるのが合理的。
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⇨解説しますと、高松塚古墳は「終末期古墳」であり、古墳の中でも最も新しい時代に造られた。築造年代は8世紀前半。その時代にはもうほとんど古墳はない。この記者さんは古墳の報道をするというのにそれも知らず、「時代が古いほどニュースバリューがある」と早合点していたわけです。
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後鳥羽上皇の院宣の使者「押松」は上皇の側近の藤原秀康の所従で院御厩の舎人なのですが、それを、かの「鼓判官」平知康のなれの果てだとする強引なチカラワザの脚本にビックリでした。平知康は後白河院の側近で、源(木曽)義仲の法住寺殿合戦で、院の軍の大将をつとめたほどの人物なんですよ。 twitter.com/tomobiki10/sta…
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とはいうものの、紫式部の本名が「まひろ」って話、これまであったでしょうか・・・・🥶。別に、絶対に「香子」にせよとは言わないのですが、あまりにも王朝時代の貴族女性の名前とはかけ離れているように思うのですが・・・🥶
www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/ori…
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「絶版本を紹介するのは害があるからやめろ❗️」という意見を堂々と主張する人がいることに絶句してしまった。これでは学問の研究史をたどることはできなくなる。戦前の本は今も復刊されている一部を除いて無視しなくてはいけなくなる。驚天動地だ。 twitter.com/kurubushi_rm/s…
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→このスレを読んでいただけることはありがたいですが、かといって「お前は男系天皇の輝かしき日本の伝統を否定して女系天皇に変えようとしているのか!けしからん!」と絡んでこないでください。このスレではそんな話はしておりません。その話はまた別のところでどうぞ。
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歴史ドラマや小説について「史実と違う」と指摘すると、「ドラマや小説は史実通りでなくても面白ければいいん!学者はヤボだ!」と言ってくる人がいます。しかし、史実を知った上でフィクションを楽しむというのは矛盾していません。フィクションを史実そのものと信じ込む人がいるのが困るというだけで
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⇨「経済学等を学ぶために大学に来ている学生よりも大学卒の資格を得るために来ている学生が圧倒的でしょうし、保護者もそうでしょう」。
この発言は大学教授として失格。確かにそういう学生はいるでしょうが、それを基準にして大学教育を語るのは、真摯な学生への侮辱です。
news.yahoo.co.jp/articles/005fa…
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#鎌倉殿の13人
「藤原秀衡は義経を擁して鎌倉との正面対決を計画したらしく、奇襲の天才である義経のこの動きは頼朝の背筋を凍らせるに充分であった。・・仮にこれが実行に移されて頼朝を屠ることに成功したとしても、奥州藤原氏と義経では鎌倉に替わる全国的な軍事体制を構築することは不可能⇨
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⇨例示されたことでも、バブル期の銀行の融資状況を調査し、当時の銀行員多数に聞き取りを行い、社会の経済感覚を調べ、さらに先行研究を博捜したなら、ちゃんとした論文を書くことは可能。それを「自分の体験ではこうだったのにそれを認めない大学は非常識」と断ずるからおかしなことになる。