戦史の探求(@noitarepootra)さんの人気ツイート(リツイート順)

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256年ドゥラ・エウロポス攻城戦について拙稿作成しました 3世紀頃のローマとササン朝の戦闘であり激しい坑道戦が行われた形跡が発掘されています。坑道崩落は2パターンの狙いが少なくともあり、傾斜路の存在も確認されている戦いです。毒ガス・化学兵器説を紹介してあります warhistory-quest.blog.jp/19-Aug-2
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スカートみたいな鎧ですと聞いたので検索したら想像以上にスカートみたいだったヘンリー8世の馬上鎧 よく見ると装飾が凄い細かい。 ロンドン塔博物館展示とのことだから行ったことあるはずだけど記憶がない…
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古代トラキア人の軍は4列の陣を敷いた 最前1列目には弱兵、2列目には強兵が、3列目に騎兵が並んだ。そして最後方4列目は女性部隊で構成されていた。 もし前の男達が戦いに狼狽えるようなら彼らを罵倒したり泣いたりして戦場からの逃亡を防いだ。 オドリュサイ騎兵の論文より academia.edu/744900/Odrysia…
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資料紹介 1970年にCIAが入手したワルシャワ条約機構の南欧・トルコ侵攻計画の演習図 CIA公式サイトで写真や機密解除の報告書を公開してくれています。多いので作戦図のみ。西欧侵攻だけでなくアルプスを越えトルコの海峡も越える攻勢は大規模なもので、実に興味深いです。 warhistory-quest.blog.jp/19-Mar-20
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「政治家達が非正規武装組織を運用する(という形態)から、非正規武装組織が政治家達を雇用したというパラダイムへと移り変わった。」 米国防大学戦略研究アフリカセンター 2020年5月18日レポートより リビアのLNAを評した凄い一文。
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1289年カンパルディーノの戦い この戦いは中世欧州の戦術発展史の中で再注目されつつあります。 なぜなら荷馬車防壁、下馬騎士、大盾および槍兵による歩兵戦列が用いられ、全体として完璧に近い誘引からの包囲戦術を成功させた騎士たちの戦例であるためです。
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強度市街戦においてブルドーザー運用を中心に工兵の最前線活動、、工兵+歩兵+機甲の一体化に関し拙稿作成しました。 米軍やシリア/ロシアの実戦及び演習資料を集めました。シリア式塁壁等のハイテンポで攻撃的性質を有する工兵の建設/撤去活動の戦闘部隊組み込みがテーマです warhistory-quest.blog.jp/21-Oct-11
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ワルシャワ蜂起をソ連が意図的に無視したかの政治的な話は存じませんが、軍事的状況判断でしたら一次史料現存してますね ①バグラチオン作戦での長距離突進直後の損耗 ②ワルシャワ前面は戦術的にも作戦的にも突出部で危険 ③ヴィスワ川東岸がまだ抑えきっていない ④南で渡河攻撃は実施したが失敗した
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浮きドックに軍用艦を載せている姿は一部で人気があると聞きました。私も好きです。始めて見た時正直なにか装甲でも付けた実験かと思いながら画像を拡大した思い出。 Auxiliary Floating Drydock で調べたら数多く出てきます。たぶん世にはドック専門趣味の人とかいる
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マルタ島の要塞図 マルタ騎士団が領有した地中海の島と要塞で1565年のオスマン帝国による大包囲を跳ね除けます。その後イギリスが領有しWW2では北アフリカ補給の要衝としてヘラクレス作戦など攻防戦が行われました。 ナポレオンがすぐ奪取してたので大要塞のイメージがありませんでしたが凄まじい…
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ドンバスでの戦闘でT-80BVとBTR-82で交互にカルーセル戦法(どちらかというと交互進退射撃Tank Trousers)を行っている。 戦車は前進してからほぼ停車せず低速で移動しながら側方射撃、撃ち終わったら即時後退。BTRが入れ替わりで前に出てきて同じ射撃位置で停車して攻撃、即後退。
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1930年代後半のWz. 35対戦車ライフルを背負ったポーランド軍騎馬 運搬に困るくらい大きい武器持つ騎乗兵が好きです。cavalryと書いている所あるけどもしそうなら対戦車ライフル騎兵と呼べるのでしょうか?
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カルーセル戦法(循環移動射撃)を組み込んだ戦術について調査記事作成しました。 特に ・リスク減少 ・偵察‐打撃コンプレックス ・機甲のノマド式運用 ・長時間制圧射撃 ・誘引からの逆襲(マニューバラブル防御の一部) を主体に現在のロシア軍の取り組みを書きました。 warhistory-quest.blog.jp/20-Apr-26
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2層型防御陣地をソ連が定めて以来現在のロシア陸軍に到るまで使い続けていますが、それに加えて教本中で何度も何度も作れと言われているのがダミー陣地。 これが三角形の2層型防御と相性が良い。 よく見かけるのが前列層の2つの部隊陣地の中間にある隙間を意図的に開ける方式。必須ではないが推奨
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アンカラの戦い:ティムールとバヤジットのオスマン朝という2つの軍事大国の対決について記事作成しました。 戦術ではなく、戦場に到るまでに積み上げられた諸作戦について特に広大な規模の行軍に重点を置いています。ティムールの戦役作戦計画は高い評価を受けています。 warhistory-quest.blog.jp/19-May-17
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1808年Battle of Siikajoki 珍しい撤退渡河中に逆襲に切り替えて勝利した戦例 ロシア軍に対し全体的に不利だったスウェーデン軍は会戦初期から時間を稼ぎながら撤退を行っていた。 露軍追撃部隊がシーカヨキ川で追いつき、瑞軍は一部が西岸で陣地展開し時間を稼ぐ戦闘を強いられ、砲撃戦を開始する。
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フランツ・ルボー(Franz Roubaud)作:セヴァストポリ包囲戦のパノラマ画 拡大したら凄すぎて言葉がありませんでした。近代ロシアの戦争画を多数残したルボーですがこれは彼の最大規模の作品とのことです。 所蔵:DEFENSE OF SEVASTOPOL PANORAMA MUSEUM
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ナポレオンのロシア遠征全容図 上:1812年6月~10月 下:10月~1813年1月 60万人以上の大軍が先細る様子が… モスクワを放棄し南西へ位置取るクトゥーゾフの作戦と始まる追撃戦は凄まじく 過酷な環境でロシア軍もまた損害を出しますが4月にポーランドに達し、役目を終えたクトゥーゾフは没します
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トルコ・TFSA軍によるシリア北東部侵攻、SDF(YPG)への攻撃 作戦名「平和の春(または泉)」 2日目時点 ・主要砲爆撃は5か所(+2)ほぼ国境沿い ・現時点での地上侵攻は2方面(Tel Abyad及びRas al Ain) ・両方面共に街へ侵入はできていないが街外縁の両側を進撃中 …どう進展するんでしょうか?
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これは死者を減らし且つ勝敗をはっきりつける良い方策に思えたが実際は凄惨な結果に終わった。 両国の『チャンピオン』達は代表という責務から戦いを死ぬまで止めず徹底的な殺し合いとなった。代表者の300人の内アルゴス側は298人が死亡、スパルタは299人が死んだ。
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機甲科編制の大部隊をいきなり先頭で突っ込ませると、目立つ車両が敵迎撃火力の集中を受けその力を充分に発揮できないまま損害が増大する。 まず歩兵部隊→次に機甲集団の拡張の流れはWW2の戦訓と全く同じです。 ただし歩兵科編制が部隊内に有する機甲を、戦術的状況に合わせて先頭にするのはあり得る
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失礼、6射目10秒が混ざっていました。5秒と10秒間隔で気持ち悪い位きっかり着弾させてます。 この近距離に着弾できる技術なら、突入時にも同様に弾幕のすぐ後ろを続いて歩兵と車両が来るソ連のやり方できそうですが…見かけませんね。 歩兵を随伴していないのは敵を釣るためと破片被弾を避けるため?
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1917年アルベリッヒ作戦(Operation Alberich)でドイツ軍がヒンデンブルク線へ後退する際に実施された焦土作戦 街路樹は手軽かつ大量に作れる軍事的障害物に変わりました。
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776高地の戦い 2000年に起きたロシア軍の空挺部隊とチェチェン武装勢力との山岳戦について拙稿作成しました 山岳ゲリラ戦を得意とする将ハッターブに対し第二次チェチェン紛争でロシア軍は大規模な山岳包囲作戦を展開し激闘となります 作戦と戦術の相関に着目しています warhistory-quest.blog.jp/18-Jun-18
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ソ連軍が迫る中でフォーリン・レギオンは脱出行を開始する。 途中で抵抗を続けるSSなどと2度の戦闘があり米兵数名が戦死しながらも戦線を切り抜け帰還した。 戦後このうちの多くの馬がオーストリアに戻され、現在でもウィーンのスペイン乗馬学校ではハプスブルクの伝統ある白い名馬は象徴となっている