戦史の探求(@noitarepootra)さんの人気ツイート(リツイート順)

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1944年頃 爆撃に備えて仮設補強したフランス・アミアンの大聖堂
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まずベテラン兵の遊撃戦やパトロールによって小競り合いで戦果を挙げる度に野営地に戻ってきたら彼らの武勇伝を広める。信憑性が低くても彼らの戦闘の話はゴシップの如く急激に広まり、戦勝気分を戦う前に上げる。 捕虜を得ることは重要で彼らを兵士の前で屈しさせたり証言させると更に士気は上がる。
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最近距離で戦車の約100mに友軍砲兵が攻撃している。遠くても300m以内。 全砲撃箇所が事前に狙いを定められており、戦車は最速連射ができるラインを割り当てられてる。 且つドローンでリアルタイム観測。 恐らく戦車を囮にして、敵が遮蔽陣地から対戦車攻撃に出ようとするタイミングで砲弾を降らす戦術
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ソ連のパジシール攻勢の内最も大規模な1980年4月、1982年5月、1984年の各作戦はいずれも渓谷を完全に貫きマスードの防衛網を破綻させている。ソ連の文献は単一作戦ではこの3つは全て「成功」と記している。実際かなり多くの戦果を挙げ、渓谷は一時的にソ連のコントロール下になっている。
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アテネの傍にあった港湾都市ピレウス 海軍大国と呼ばれた古代ギリシャの一時期にはアテネと繋がる街道が長大な壁で保護されるほど重要だった港街。 ピレウスの持つ3つの良質な湾の1つゼア湾について、ふと現代はどうなっているのだろうと調べたらなんかスゴいことになってた
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【市街戦における機甲の重要性と、機略戦終了議論の簡易説明】に関する記事を作成しました。 warhistory-quest.blog.jp/21-Sep-18 意外と戦車が市街戦では使えないと思われてるようなのですが、市街戦専門家たちと戦史事例は明確に否定しておりむしろ必須と考えています。 後はmaneuver warfare is deadの話です
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こちらは戦車が市街内部に入り込んで行われた戦闘(前半動画)、交戦距離10m程度のものもある超近接戦. 2輌ペアで互いにカバーをしながら深く進撃,ドローンで周辺監視し指揮官から指示を直接受けているが工兵車も歩兵も傍に随伴していない。対戦車攻撃を複数回受けている。装甲が効果を発揮しているが… twitter.com/noitarepootra/…
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戦車停車後、20秒で道沿いの戦車を攻撃できそうな防御位置に砲兵の1射目着弾。 2発目が10秒後、そこからきっかり5秒ずつ砲撃が道沿いにふりそそぐ。計9発。 戦車は砲兵2発目と同じタイミングで砲撃開始、以後斜線を殆ど変えず9~14秒以内に連射を5発。 停車から105秒で戦車は離脱。全14発。
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左:Plerschの描いたホトキェヴィチ 右:Kaplińskiの描いたホトキェヴィチ …顔はほぼ同じなのに怖さが違いすぎる。 ホトキェヴィチは17世紀前半のポーランドの軍司令官。卓越した指揮でスウェーデンやロシア、オスマン朝と戦った将軍です。戦場ではたぶん右の顔。
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1965年アサル・ウッターの戦いについて拙稿作成しました 印パ両国の歩兵師団が見事な陣地防御を見せ、センチュリオンとパットンの戦車戦を筆頭に機甲部隊同士も激しい衝突をした戦です 機甲戦と逆包囲が主眼ですが歩兵の拠点防御陣地との連携にも重きを置いて記述しました。 warhistory-quest.blog.jp/19-Nov-22
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戦争画を多数残したヴォイチェフ・コサック氏の画集が見られるポーランド絵画サイトあるんですね…驚きです pinakoteka.zascianek.pl/Kossak_W/Kossa… 彼のフサリア画はかなり有名で見たことあるかと。たまに同じ箇所の戦闘絵を2枚描いて1枚目の後どうなったかも描くという面白い人です。
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狙撃手のモットー ワンショット・ワンキルの前後に他の言葉があったことを今更ながら知りました… リズム感ありすぎる
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日ごとの戦闘能率推移を示した曲線 到着直後の兵士の戦闘能率は低いが、戦場従事開始後の約10日で劇的に向上し、10~30日の間ピークを保つ。 30日前後から一定の傾きで低下しだし50~60日で最初より低くなる。 現場駐屯者に2か月前後のスパンで長めの休暇を取らせる方針を補強する研究の1つです。
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また追撃戦の心的な重要性を説いている。「一度打ち負かした敵兵には、休息が自軍兵にとって良いものでも、休息を与えてはならない。恐怖が新鮮なうちに再攻撃をするべきである。敵指揮官が規律を緩めない限り敵兵は立て直してまた闘いに戻ってくるからだ。」 死の恐怖は伝播しパニックを引き起こす。
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シリアアラブ軍の戦車乗りの青年、凄い振動の中タバコ片手に操縦してて何というか昔のイメージそのまま。 タバコ吸いながら活動してる戦車内の映像はいくつもあるんですけど、このレバー操作のせいなのかやたら印象に残ってる。 2018年ダマスカス郊外での戦闘報告の一部。
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過去の栄光は実際にこの戦争の強弱に関係なくても、それどころか真実でなくても兵士の士気を上げるのに役立った。 いざ戦闘となると通常は静かな事を好み統制をとった。 また、自軍の死体は夜間に埋葬することで、恐怖が広がるのを防止し、陽の下に敵兵の死体ばかりを晒すことで戦況情報を偏向させた。
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かなり驚いた。ニコライ1世の命で1841年から発行された『ロシア軍の服装及び武器史:最高司令部編纂』(862~1835年)の絵を表題付きで見やすくしてくれているサイトがありました。 多くのロシア戦史絵図が基にしている帝国公式資料です。特に1700~1835年は非常に細かいです memorandum.ru/viskowatov/img…
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現在進行中のリビア内戦トリポリ南部の戦闘 4/9までの戦況推移 情報追記修正の叩き台にすべく判っている範囲で戦況記載しました。 LNAは充分な準備をしたから攻勢宣言したはずですが、1週間しかたっていないのに混迷した戦況になっています…GNA反攻をすぐ潰せておらずLNA右翼の補給が気がかりです
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ロシア軍が実施する可能性が高い防御方式を、ロマンチュク大将の2023年4月の論文に基づき記す。 マニューバ防御(Маневренная оборона)の大隊までの汎用化と旅団以上での実用化である。 露軍事学において防御は2つに大別されてきた。ポジショナル防御とマニューバ防御である。
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7月、アウディーイウカ戦線、DPR軍の戦車2輌が突出しウクライナ軍陣地への偵察を行う動画。 戦法はUAV観測しながら戦車を囮にして露出させた敵位置へ砲撃するやり方。戦車は短時間攻撃後即後退。 戦車がその機械性能をいかんなく発揮して生存しているのだが、それはともかく色々と運用面がまずい。
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ベテラン兵の戦闘の話を見聞きすることで新兵は少しずつ戦場の雰囲気に慣れ知識を得ていく。 会戦前になると将軍は演説を行う。戦闘陣形をとってからその前で話すのではなく、キャンプ場で皆がしっかり聞けて敵急襲の危険が無い時に行うのが多いようだ。内容は激励、王の伝言、報酬、過去の戦勝例。
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ローマ内戦におけるポンペイウスの対カエサル軍事戦略について拙稿作成しました。 warhistory-quest.blog.jp/20-Dec-07 地中海全周域のリソースとシーパワーを計算に入れたポンペイウスの戦略-作戦は非常に素晴らしいものでした。元老院側の視点で、彼とカエサルが如何に驚異的でどう戦ったかを記述しました。
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前546年頃:チャンピオン達の戦い 古代ギリシャのアルゴスとスパルタは争っていたが、戦争の犠牲者を減らそうと両ポリスは協議しある手法で合意に至った。 それは軍による衝突をやめ、両国の代表者300人同士で決闘をして戦争の決着を付けそれに従おうというものだった。
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『作戦レベルのロジスティクス』 砂漠の嵐作戦を基にしたロジスティクスMETT-TC分析の論文の一部試訳を作成しました 作戦レベルに絞った米軍の解説と実戦分析です 加えて、停戦命令が無かった場合に米陸軍は作戦的な縦深で追撃が可能だったかの興味深い考察が書かれています warhistory-quest.blog.jp/20-Feb-10
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1800年代に急激な武力拡大をしたシャカ・ズールーの軍制改革は高名で、現在ズールーの使った包囲戦術は『牛の角』戦術 bull hornと呼称されている。 ズールー王国軍の特筆すべき点は、そのノウハウと訓練を浸透させ、包囲戦術を特定の将の技量に頼らない汎用化して使えるものとしたことにある。