戦史の探求(@noitarepootra)さんの人気ツイート(いいね順)

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戦争画を多数残したヴォイチェフ・コサック氏の画集が見られるポーランド絵画サイトあるんですね…驚きです pinakoteka.zascianek.pl/Kossak_W/Kossa… 彼のフサリア画はかなり有名で見たことあるかと。たまに同じ箇所の戦闘絵を2枚描いて1枚目の後どうなったかも描くという面白い人です。
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1944年頃 爆撃に備えて仮設補強したフランス・アミアンの大聖堂
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米海軍による艦船のダズル迷彩に関する研究の風景 各艦種一つ一つに複数の迷彩パターンを実際に模型にして目視実験 趣味が合う人には天国みたいな職場ですね 国立公文書記録管理局がこの手の画像を公開してくれていでサイト放浪してると休日がいつの間にか過ぎてる catalog.archives.gov/id/45510508
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7月、アウディーイウカ戦線、DPR軍の戦車2輌が突出しウクライナ軍陣地への偵察を行う動画。 戦法はUAV観測しながら戦車を囮にして露出させた敵位置へ砲撃するやり方。戦車は短時間攻撃後即後退。 戦車がその機械性能をいかんなく発揮して生存しているのだが、それはともかく色々と運用面がまずい。
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まぁ普通科出身者は上官にヘイト貯めまくった土掘りだと思いますが本当にこれは大切で。 ソ連も止まったらしっかり掘れと言ってたのにさぼっていてドイツ軍の逆襲を浴びて脆弱性を晒した教訓があり、これを反映したのが1943末ジトミルの戦い。マンシュタイン最後の逆襲を途中で止めれた理由の1つです
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1965年アサル・ウッターの戦いについて拙稿作成しました 印パ両国の歩兵師団が見事な陣地防御を見せ、センチュリオンとパットンの戦車戦を筆頭に機甲部隊同士も激しい衝突をした戦です 機甲戦と逆包囲が主眼ですが歩兵の拠点防御陣地との連携にも重きを置いて記述しました。 warhistory-quest.blog.jp/19-Nov-22
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ソ連が戦後作成した「枢軸国が勝利した場合の世界各国への侵攻主要ルート」MAP 関東軍はドイツ中央軍集団と西シベリアのオムスクで邂逅、という無茶ぶりが旧軍を襲う 放し飼いにしておけば南端までアフリカ大陸縦断するだろって思われてるロンメル将軍も相当アレな扱いですが
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最近距離で戦車の約100mに友軍砲兵が攻撃している。遠くても300m以内。 全砲撃箇所が事前に狙いを定められており、戦車は最速連射ができるラインを割り当てられてる。 且つドローンでリアルタイム観測。 恐らく戦車を囮にして、敵が遮蔽陣地から対戦車攻撃に出ようとするタイミングで砲弾を降らす戦術
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ローマ内戦におけるポンペイウスの対カエサル軍事戦略について拙稿作成しました。 warhistory-quest.blog.jp/20-Dec-07 地中海全周域のリソースとシーパワーを計算に入れたポンペイウスの戦略-作戦は非常に素晴らしいものでした。元老院側の視点で、彼とカエサルが如何に驚異的でどう戦ったかを記述しました。
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1800年代に急激な武力拡大をしたシャカ・ズールーの軍制改革は高名で、現在ズールーの使った包囲戦術は『牛の角』戦術 bull hornと呼称されている。 ズールー王国軍の特筆すべき点は、そのノウハウと訓練を浸透させ、包囲戦術を特定の将の技量に頼らない汎用化して使えるものとしたことにある。
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ウ軍は兵数70万、ロ軍の前線展開数は14万というウ側の発表で明示したのは数的優位を彼らが得ており、しかし兵器が不足していること。 ウ軍は4月末~5月に前線の旅団から兵器不足で攻撃命令は遂行不可能という訴えが複数出ている。第79空中強襲旅団もあるが、その訴えは主に郷土防衛隊から出ている
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アメリカの予備役となった艦船が港に集められた画像、所謂モスボール たぶんこの3枚が特に有名なもので、どこかで見られたことあるかもしれませんが大戦後のフィラデルフィアとサンディエゴのモスボールです。 mothball ships / planes は好きな人結構いる気がします
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1950年 ソ連の作成した朝鮮戦争の戦況推移図 最初の進撃成功や国連軍の反撃など、行ったり来たりを繰り返した戦線を見事に表現されており、いつもながらソ連作図担当に感心します 後方上陸のクロマイト作戦も目立たないけどしっかり描かれてます。
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『作戦レベルのロジスティクス』 砂漠の嵐作戦を基にしたロジスティクスMETT-TC分析の論文の一部試訳を作成しました 作戦レベルに絞った米軍の解説と実戦分析です 加えて、停戦命令が無かった場合に米陸軍は作戦的な縦深で追撃が可能だったかの興味深い考察が書かれています warhistory-quest.blog.jp/20-Feb-10
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1808年Battle of Siikajoki 珍しい撤退渡河中に逆襲に切り替えて勝利した戦例 ロシア軍に対し全体的に不利だったスウェーデン軍は会戦初期から時間を稼ぎながら撤退を行っていた。 露軍追撃部隊がシーカヨキ川で追いつき、瑞軍は一部が西岸で陣地展開し時間を稼ぐ戦闘を強いられ、砲撃戦を開始する。
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チャールズ2世の治世に病院は創設され、最初期の退役ホーム入居者はマールバラ公らと共に戦い89歳(生年記録未確認)まで従軍したという老兵William Hiseland軍曹です。 この老人ホームでは退役軍人と話すツアーや戦史を語る会などが開かれており財政負担を減らすためのモデルケースとされています。
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冷戦期ワルシャワ条約機構による北西欧州侵攻計画の作戦図 核攻撃の中でライン河まで7日間で到達を試みる図上演習の一部 スパイだったRyszard KuklińskiがNATOへ渡した作戦図が機密解除で公開されています。元はポーランド国家記銘院の記事 pamiec.pl/pa/tylko-u-nas… 拡大版 pamiec.pl/ftp/ilustracje…
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アテネの傍にあった港湾都市ピレウス 海軍大国と呼ばれた古代ギリシャの一時期にはアテネと繋がる街道が長大な壁で保護されるほど重要だった港街。 ピレウスの持つ3つの良質な湾の1つゼア湾について、ふと現代はどうなっているのだろうと調べたらなんかスゴいことになってた
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試訳『空岸コントロールによる陸上戦闘での優位性確立』 米空軍大佐の論文を一部訳し紹介記事作りました 大半はドローンの3次元的運用面の発展性に割かれていますが、何よりも『空の岸辺』と呼ばれる軍事コンセプトが興味深いです。空岸作戦についてご意見頂けないでしょうか warhistory-quest.blog.jp/19-Oct-05
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1920年頃、西部方面軍司令官の時のトゥハチェフスキーの写真 凄まじいほど若い。26~27歳でしょうか。こんな幼さすら残る面影の青年が、近代軍の方面軍司令官として膨大な兵力を操りポーランド攻勢を実施している最中とは…
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ソ連の場合他に2つの予備戦力即席生産手法があった。 1つが進軍先の住民を即前線兵員に組み込む手法。1944年3月攻勢で第4親衛戦車軍が実施した記録がある。 もう1つが後方業務つまり兵站事務その他軍属の非戦闘員を配属変えして前線投入するもの。 だがいずれも訓練問題があり負傷兵復帰の方が望ましい
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戦車停車後、20秒で道沿いの戦車を攻撃できそうな防御位置に砲兵の1射目着弾。 2発目が10秒後、そこからきっかり5秒ずつ砲撃が道沿いにふりそそぐ。計9発。 戦車は砲兵2発目と同じタイミングで砲撃開始、以後斜線を殆ど変えず9~14秒以内に連射を5発。 停車から105秒で戦車は離脱。全14発。
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1980年代アフガン山岳ゲリラ戦例集_掃討戦の3つの基本事項 ソ連のフルンゼ軍学校で編纂された書籍を基に戦例を4つ記載した拙稿を作成しました。 山岳ゲリラ掃討戦の基本事項の説明を具体的な戦例紹介の中でしました。実際に起きたミスの教訓集でもあります。 マスードは次回 warhistory-quest.blog.jp/20-Jan-24
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日ごとの戦闘能率推移を示した曲線 到着直後の兵士の戦闘能率は低いが、戦場従事開始後の約10日で劇的に向上し、10~30日の間ピークを保つ。 30日前後から一定の傾きで低下しだし50~60日で最初より低くなる。 現場駐屯者に2か月前後のスパンで長めの休暇を取らせる方針を補強する研究の1つです。
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1982年初頭までにパンジシール問題はソ連にとって最大の悩みとなっていた。そこで「最終的解決」を狙う、それまでで最大の攻勢が5月に実施されることとなった。 この作戦は様々な改善が施され、後の1984年攻勢と比べても一部は上回っているほどのものだった。 twitter.com/noitarepootra/…