高知東生(@noborutakachi)さんの人気ツイート(リツイート順)

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困難を乗り越えると言うと、がむしゃらに頑張るイメージがあるけど、嵐が吹き荒れている時にやみくもに歩き回っても仕方ない。黙って過ぎ去るのを待ったり、時には撤収という決断もある。がむしゃらな努力はやってる感があるけど、実は勇気や忍耐、決断がいるのって待つことや休むことの方じゃないかな
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俺は他人との関係が「分かってくれる」か「分かってくれない」の白黒しかなくて「分かりあう」という行動ができなかった。話しあってお互いがわかりあえるのに、俺にはプロセスを学ぶ機会が全くなかった。人間関係って敵と味方に分かれるのかと思ってたけど、本当はどっちでもなくフラットなんだよなぁ
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俺は過去に間違った選択を沢山やってきた。それは「絶対成り上がって世間を見返してやる」という恨み節をエネルギーにしていたから。だけどそうやって生き抜いてきた時代もあったんだと、それもまた受け入れられるようになった。過去の選択はその時の自分のBESTなんだよな。自分が変わると選択が変わる
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誰でも自分は優しさを持っていると思っていると思う。事件を起こした俺だって自分を優しい人間だと思っていた。でも優しさが独りよがりの方向だと逆に人を傷つけることもある。優しさには多様性の受容が必要なんだよな。自分の価値観が凝り固まっていると優しくなれないし、人の優しさにも気づけない。
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孤独や孤立は様々な弊害を生む。心の病にもなるし、自死や時には犯罪にも繋がる。でも孤立し孤独な人自身がそれに気づけないことも多いんじゃないかな。人は周りに沢山いる。でも心が繋がれない感じ、誰にもわかって貰えないと自分を閉ざす感じ。あれが孤独や孤立なんだと俺も後から分かったんだよな。
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自分をいじめることで安心感を得てしまう人、自分に辛く当たる人から離れられない人って理解できないかもしれないけど、ずっとそういう環境で生まれ育ち生活してきたら、その過酷な環境に居場所感ができてしまう。逆に安全が居心地悪く感じる。そこから脱出できた人が寄り添うことが脱出できるコツかも
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「石の上にも3年」というが、あれは3年座っていれば石も暖かくなるという例え話で、我慢してれば状況は良くなるという意味らしい。3年も石の上に座っていたら、冷え性にもなるし、坐骨神経痛とか、痔になりそう。石は暖まるかもしれないが体を壊したら元も子もない。無理な状況に3年も耐える必要ないな
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ツイッターを眺めていると、自分とは全く違う考えの人がいて驚く時が多々ある。しかもその全く違う考えに同調する人も多数いて益々驚く。つくづく自分の常識なんてものはただの偏見に過ぎないんだなと痛感。俺は違いって反射的に怖く感じてしまう時があるんで他人とは違うのが当たり前だと言い聞かせる
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クスリのこと、生い立ちのこと、恥だと思うことの対処法は2つだった。墓場まで隠し通すか、全部オープンにするか。俺は、オープンにする道を選んだので、もちろんそれによって断絶された人もいるけど、居場所もできた。どっちを選ぶのもありだけど、オープンは心が楽なのでオススメしたい。恐怖が減る
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今日は依存症予防教育アドバイザーとしての活動をしている。振り返ってみると、俺自身にセルフスティグマがあって「依存症者なんかじゃない」「ヤクチューと一緒にするな」と思っていたのでなかなか支援の手に繋がれなかったと思う。回復者の声を届ける事は厳しい道だが、やりがいがあると改めて思う。
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俺がTwitterドラマに復帰することで「芸能界は甘い・どうせまたやる」という批判を見ると勿論辛い。でもその批判で再起が困難になり追いつめられるのは一般の依存症当事者・家族だって知ったんだ。だから批判が出る原因となった自分の責任として、批判を受け入れ自分のこれからを見て貰おうと思ってる
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つくづく思うのは、人に気持ちを伝えたり、説明するのって難しいよな。その上気持ちに寄り添うってもっと難しい。必要以上にネガティブにならず、できるだけ人を傷つけないよう伝えるためには、直接的で強い言葉を上手く言い換えられるボキャブラリーが豊富でないとな。中々言葉が見つからない。練習だ
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俺って実は変化に弱いんだよな。でも逮捕されて否応なく大変化に直面してみたら、実は人生ってずっと変化の連続だったんだ!ってことに気付いた。そして変わり目が来たらなるべく早く古い価値観を手放すに限る。俺の経験上、一番手放せないのが間違ったプライド。別名「見栄」。これ捨てるとあとは楽!
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傘を借りるのって、ちょっと遠慮がちになる。我慢して濡れて帰ればいいやと思いがち。そのびしょ濡れの心が「孤独の正体」。少しだけ図々しくなる勇気を持つ。借りるか、一緒に入れて貰う。そうすると温かい感謝に包まれる。そして傘を貸した人の気分まで良くなるんですよ!ってまさに目から鱗
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「こうなるかも」「ああなるかも」とあれこれ心配するのは考えているのとは違うんだよな。 それは妄想にすぎないから、なんの対策にもならないゾ。そんな妄想で脳を疲れさせていると、イザという時に良い考えも浮かばないし、最善の行動もとれない。心配事の大半は現実には起きない。脳疲労を防ごう!
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災害や虐待や喪失などのトラウマを抱えた人が心の病を発症したり、人格が変ってしまった時に「みんな乗り越えている」とか「同じ状況でも頑張っている人はいる」と言われても、それは慰めでも励ましでもなく、叱責や辱めであり悪影響しかない。脳細胞が傷つき影響がでることは自分でもどうにもできない
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どん底を経験すると、数少ない応援団の有り難味が身に沁みる。調子に乗りやすい俺が次に気をつけなくちゃならないのは、それを当たり前のように思うこと。「当たり前」の反対語は「有難し」なんだって。ヤフコメでもツイッターでも応援コメント入れてくれるだけでも助けられている。感謝を忘れない。
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中学生の刺殺事件胸が痛む。担任の先生が「大丈夫か?」と声をかけていらしたらしいが、大丈夫か?と聞いて大丈夫と答える子供は大丈夫じゃないと思う。心の内側は簡単に打ち明けられない。そっと見守り続ける、対話を続け信頼を勝ちとるなど大人の陰の努力が必要じゃないかな。先生も大変だとは思うが
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自分の言うことを全部聞いてくれる人などいるわけないが、また傷つくのが恐くて、相手がどこまで言うことを聞いてくれるか試し行動をする。そして大切な人を失う。意見の不一致は愛情の深さとは関係ない。意見が違ったからといっていちいち嫌わない。逆境体験があるとこの辺の感覚がわからないんだよな
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俺はこうして重荷を降ろせる環境を与えて貰ったけど、どんなに真面目に暮らしていても親のことで、いまだに辛い思いをする人は多いだろう。隠し続ける暮らしは不安で自尊心や自己肯定感を失う。子供は親を選べない。親と子など、家族であっても別物の人生があると理解して貰えたら有難い
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過去の過ちに対する謝罪は難しい。正直広く社会に謝罪した時に「一体誰に向けて俺は謝っているのだろう」という気持ちがあった。もちろん必要なことではあるが、問題は自分のプライドとの戦いという気がして、その時は消えてなくなりたいという漠然としたプレッシャーだった。本当の重圧は個々の謝罪。
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新型コロナの件最初の頃は、自分は感染しないだろうって考えてたけど「知らない間に感染していればうつす側になる」って啓発されるようになったら、不要不急の外出自粛がすんなり入ってきた。正しい知識の啓発ってホント大事。啓発する時って、他人事をいかに自分事として伝えられるかってのが鍵だよな
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その道に詳しい人ほど「わからない」と言えるし、功績を残した人ほど「周りの人のお陰」と言い、力あるリーダーほど「人に任せる」ことができるんだよな。知ったかぶって、俺が俺がと言って全てを仕切り、手柄は自分だけのお陰、こういう態度は小心者の現れだな。あっ、考えてみたらかつての俺だったw
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自業自得とは言え、日本国中から誹謗中傷にさらされていた俺は「もう死ぬしかない」と思っていた。ところが当時は見ず知らずの他人だった、今の仲間が誹謗中傷に反論してくれていて、ものすごく嬉しかった。だから俺は、もし大事な仲間が誹謗中傷にさらされたら、絶対見て見ぬふりはしないと決めてる
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大きな困難が目の前にあるとどこから手を付けたらよいか分からなくなる。すると恐怖という感情が頭の中を駆け巡り、物事を冷静に見る目が曇ってしまう。俺の経験上、大きな困難にはやみくもに手を付けずに、まずは頼りになる仲間を探し、問題を分割したほうが良い。そしてできることから解決していく。