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いい友だちって、互いに憧れ合っているのだと思う。とくに大人になってからできる友だちは、憧れや尊敬がベースにあるからこそ、用がなくても時間を割いて会って話したくなる。いい仕事ができるといい関係も広がっていくのは、そういう憧れのエンジンがいろんなことをうまく回しはじめるからだと思う。
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きれいなことばと運びで文章を書くと、読む人はその文章に安心して監視の姿勢をゆるめることができる。相手にくつろいでもらったなら、書き手はその余地とまっとうな流れの中にするっと少し変な感じを組みこむことができる。それが文体というもので、つまり自由に表現するにもまず礼儀が大切だと思う。
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試合を思い返してぞっとしたんだけど、中村悠平捕手は、今日いったい何球種のサインを出したんだろう? 同じスライダーでもスプリットでも投手によって速さも変化量も役割も違うわけで、それを全部頭に入れてその場その場で対応して、ってとんでもない難度の仕事だと思う。
#mitazo
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この文章はここが日本語としておかしい、という「正しさ」で修正するのではなく、この文章だと人はこう感じてしまうよ、という「伝わらなさ」を軸にしたほうが、教える方にとっても教わる方にとっても理解がしやすい。たぶん、それは文章に限らず、いろんなものを互いによくしていきたいと思うときに。
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このままじゃダメだよなぁ、というのがいつもスタートライン。時間がなくても、どう直していいかわからなくても、そのままでも誰も文句を言わなくても、OKが出ても、このままじゃダメだよなぁと自分が思えるかどうか。ダメなものを全部自分でダメだと判断できたら、出すものはすべていいものになる。
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家の中の、ある部屋だけWi-Fiが極端に弱いというあなた。ルータの位置を変えたり中継機を買ったりしたけど一向に改善されないという俺、いや、あなた。あることをしたら電波状況が劇的に改善したので教えずにいられません。それは‥‥「コードレス電話の子機を遠ざける」! もっと早くやればよかった。
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「いっしょに、いたっけなぁ」と、思うこと。
「いっしょに、いたっけなぁ」と、泣きじゃくること。
そういうやつがいただけで、わたしたちはしあわせだ。
別れることは、いっしょにいたということ。
── 糸井重里『思えば、孤独は美しい。』より twitter.com/nekonoboris/st…
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ながしまひろみさんの『やさしく、つよく、おもしろく。』というマンガをいちばん表している回がこの「こころを引き受けろ」なんじゃないかな。たった8コマのマンガですが、こころが動きます。単行本の装丁は名久井直子さん。Amazonでも買えます。 1101.com/yasashiku/2017…
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まだつかえるしと言いながら古いフライパンを長く使い続けていた妻がとうとう限界と判断しついに買い替えたピカピカの新しいフライパンで朝のオムレツをひっくり返しながら「うわ、つるつる」「つるつる!」「うふふふふ」と台所で独り言のように笑っている。いい匂い。
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ぐだぐだ言いながらもちゃんとやってる人がいて、弱音を吐きながらもいい結果を出す人がいて、伝わらないことに落ち込みながらも大きな拍手をもらっている人がいると、ぐだぐだ弱音を吐いて落ち込みながらでもやるしかないしやれるのだし誰もがそうやってやってるんだという勇気をもらうことができる。
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不得意だったことがうまくなるときはいつも、そこを鍛えて克服するという方法ではなく、得意なところを気分よく頑張った後に全体の質がうっすら上がって底上げされた全体に不得意だった部分も含まれている、ということがほとんど。不得意なところだけを努力でよくするのは難しいよ、不得意なんだから。
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書くにしても教えるにしてもつくるにしても「自分ごときが…」を起点にしてしまうと誰も何もできない。溢れる情熱がその枷を吹っ飛ばす、みたいなことはまず起こらない。だから、本能よりはむしろ理性で、冷静に「自分ごときが」のスイッチを切って始めるしかない。さあ、こんな自分ごときがやるんだ。
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考えてもしょうがないようなことが気になって、何となく心が重くなる時は、空を見上げたり、音楽を聴いたりするといい。くだらないアドバイスのように思えるかもしれないけど、つくづく、本気で、そうなんだよ。ちゃんと空を見上げたり、真剣に好きな曲を聴いたりするといい。昔、友だちにそう言った。
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公園のなかの歩道を通っていると曇天に雷鳴が轟き大きな雨粒がぼたぼたと落ちてきてのんびり歩いてた人たちが散り散りに走り出す。ちいさな男の子が「ぼく、雨がふりだしたの見たのはじめて! 雨がふりだしたの見たのはじめて!」とうれしそうに叫びながらまだらに濡れたお父さんの背中を追いかける。
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なにかを教えるときは、教える側も間違うし、その都度揺らぐ。それを前提にしないと自分のアリバイを守るような窮屈なやり取りになってしまう。たまたま教える側と教わる側になってるだけで、ほんとは一緒に「そうか!」ということをつかみに行きたいんだよ。いつか実現するおもしろいことを目指して。
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再現性のある「できた!」と、二度とできないような「できた!」があって、前者はやり方を教えたり学んだりしやすいけど、後者を覚えたつもりになると「こうなるはず」に縛られてむしろ効率が悪くなる。たまたまできたすごいことは、学ぶのではなく「できた」という物語から勇気をもらったほうがいい。
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ある出来事に対して9の楽しみな気持ちと1の不安があるとき、どうしても人は不安の方に引っ張られるものだから、友だちが1の不安を気にしているときは、当たり前の9のバランスで「そりゃあ楽しみだね!」とはっきり声に出して言う。だって、そうじゃないと希望にとって不公平じゃないか。
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夜、鬼滅の最終巻をまず娘に渡し、娘が部屋で読んでる間に前巻を読み返し、やがて娘が来て無言で最終巻を差し出すので受け取り、読んで胸いっぱいになって部屋を出ると気配に気づいた娘が部屋から出てきて、深夜の食卓で二人で最終巻のあちこちを開きながらあふれる思いを語り合う。忘れられない夜だ。
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あらゆる新しいことは、やらないほうがラクだ。たのしいこともおもしろいこともひょっとしたら儲かることも、まずは「ラクな方を選ばない」という壁を越えなければならない。少しでもしんどいことはしたくないという人には、やっぱり新しいことはできないと思う。だって、やんない方がラクなんだもん。