にいがたさくら@小話する人(@monkey_across)さんの人気ツイート(リツイート順)

江戸中期、銀山からの銀の産出量が減ると銀の含有量を減らして使っていた。 だが海外はそんな事情知らない。 当時朝鮮人参は朝鮮からの輸入しかなく、足元を見られていた。 「含有率を戻さねば受け取れぬ」 結局、幕府に泣きつき人参代を支払う為だけの銀を作って貰った。 それが人参代往古銀だ。
江戸時代までの蚊対策は蚊遣火を熾して追い払う物だったが、夏の昼間にキャンプファイヤーするのは熱すぎた。 そこで出てくるのが除虫菊。殺虫効果の高いコイツを入れて拡散させると蚊が寄ってこない。大掛かりに火を熾さなくても、線香に練り込めば……。 こうしてできたのが、世界初の蚊取り線香だ
新潟県長岡市山古志地区。 急峻な山々の間で棚田を作っている、雪深い静かな村だ。 だがこの村には、国内だけでなく世界中のバイヤーが集う一大産地がある。 それが、錦鯉だ。(芸人の方ではない) なぜこんな交通の便が悪い所で錦鯉の養殖?と思うかもしれないが、雪国ならではの深い事情がある。
江戸時代の『下り酒』にルーツを持つ老舗酒造である大関にとって、カップ酒はまさにチャレンジだった。 だが同時に危機感もあった。 若者が日本酒を飲まなければこの業界全体が滅ぶ。 当時の若者はビールなどの洋酒に目が向いており、なんとかして日本酒を呑ませたい。 その思いで開発が始まる。
この小麦は半矮性遺伝子を持っていた。 背が低くなるため、倒れにくくなるが穂の長さは変わらないという特性だ。 この品種によって大量の肥料を与えても倒れず成長し、たわわに実る。 農林10号から作られた品種により、収穫量は急増。 メキシコでは輸入に頼らず、逆に小麦の輸出国になることができた。
本州最北端青森県大間町。海流の関係上マグロが取れやすく日本有数のマグロの産地だ。 だが海流はマグロだけを運ぶものではない。 幕末の1864年には英国船が大間沖にある小島(弁天島)付近で座礁する事件が発生。 大時化の中英国人を救助し保護するが、英国人は故郷の味を求めた。 「牛肉が食べたい」
現在、地球温暖化の『悪玉』となっている石炭火力。 だが、前述の火力発電所では現在、CO2排出削減のための最新設備を導入し、将来的には地中に埋める計画が推進中だ。 40数年前に受けた逆風と同じ。 彼らは黙々と技術を示していくのだろう。 #にいがたさくらの小話 その141改
金属加工の一大集積地、新潟県燕三条エリア。 ここには極太麺に背脂がのった独特のラーメン、燕三条背脂ラーメンがある。 発祥のラーメン店は昭和8年の創業と古いが、創業当時に出していたラーメンは一般的な中華そばだった。 だが、金属加工職人たちにあわせて変化した結果、こうなったのだという。
北海道産の農産物は美味しいものばかりだが、昭和時代、米だけは不味かった。 北海道は寒冷地。そんな土地でも育つように品種改良した結果、味が犠牲になり、米屋から『やっかいどう米』と呼ばれていた。 稲作を諦める農家も出る中、大幅に風味を改善した北海道米が登場した。 それが、きらら397だ。
江戸幕府成立後、対馬藩は板挟みにあった。 朝鮮の役で途絶えた交易を再開したいが、朝鮮も家康もその話は相手からしろという立場で平行線だったからだ。 更に朝鮮側からは王墓を荒した犯人を捕まえてこいという追加要求。 どうしても国交回復したい対馬藩は、偽者と書類偽造で乗り切ることにした。
その後、日本ガイシとして分離独立し、がいしだけでなくエンジン用スパークプラグ等セラミック分野へ裾野を広げる。 現在では様々な特殊材料を扱う企業として、業界をリードする存在となっている。 熱い思いがなければ、新しい技術を手に入れることは出来ないのだ。 #にいがたさくらの小話 その394
雪国の人なら必ず知ってるママさんダンプ(スノーダンプ) 非力な女性でも使えるように軽いプラ製で雪上を滑らせて除雪できるシロモノだ。 ちなみにパパさんは出稼ぎに出ていないのでママさんが除雪する想定で開発していたが、発売開始は昭和60年代なので、出稼ぎに行くパパは少数派になっていた。
売り出した当初は全く売れないどころか、フタから液漏れがあり、商品回収などでマイナスだった。 それでも彼らは若者を諦めなかった。 フタは改善され、新たな販路を自販機や駅のキヨスクなどへ広げる。 電車で移動中に呑める酒が手軽に買える。 キヨスクへの導入はまさにイノベーションだった。
山形県の内陸は昔からフェーン現象の影響で暑い。昭和初期に記録した40度超えの気温は長らく日本記録だったレベル。 特に山形市は盆地なので熱がこもりやすく、温かいラーメンなんて食っている場合ではない。 冷たいラーメンはないのか?そんな地元民の声に応えて作られたのが、冷やしラーメンだ。
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コスプレイベントとして日本に定着したハロウィンだが、元々はケルトの祭りが源流。 欧米的にはジャック・オー・ランタンというカボチャのお化けを飾るのが一般的だが、カボチャは新大陸原産。コロンブス以前の西欧には存在しない。 では、何でジャック・オー・ランタンを作っていたか。 答えは、蕪だ
こうして東京が首都になったが、首都を定める法律は現在もない。京都に配慮した結果、東西両都という形にしたからだ。 文化は京都、経済は大阪、政治は東京という形で明治政府はスタートした。 ちなみに現在の法律では東京が首都であることを前提とした法律はある。 #にいがたさくらの小話 その310
ゴンザは1739年に21歳で亡くなる。 彼の没後は日本語教育が下火になるが、新たな日本人漂流民が発見され、モスクワへ送られて講師となり、存続していたという。 ちなみに彼らの出身は、現在の青森岩手。 薩摩訛りの次は南部訛りだ。 #にいがたさくらの小話 その115改
鍵を握るのはアメリカから導入された重機。 重機を使った工事の経験が少ない当時の日本では前代未聞の数だったという。 コンクリートの打設量も当時の世界一。 そして当時まだ財務が貧弱だった国内重電メーカーによる発電機。 また、安全意識も多くの犠牲の上に作業中のヘルメット着用も定着し高まる。
日本有数の穀倉地帯である越後平野。 しかし100年前までの越後平野は、3年に1回洪水が起きる超災害地域だった。 洪水の水は平野に留まり沼地となる。 農業生産性は著しく悪くなり、僅かに取れた米も不味かった。 そんな状況を一変させたのが、大河津分水路 信濃川をコントロールする一大土木事業だ
そんなこんなで戦地に投入された興亜一心刀が、戦車や砲弾が支配する近代戦においてどれほど活躍したのかはわからない。 だが、日本刀は魂。精神的な拠り所にはなった。 戦後は美術品でもない上に日本刀のカテゴリからも外されたので、その殆どが消えてしまった。 #にいがたさくらの小話 その21改
後に「からくり儀右衛門」と呼ばれる天才からくり士、田中久重は1799年(寛政11年)の生まれ。 しかし彼の業績はからくりだけに留まらない。 明治14年82歳の生涯を終えるまで、移りゆく時代やニーズにあわせ、発明をし続けた。 73歳で明治政府から近代化のための人材として直オファーがくるほどに。
大分県別府市 今でこそ日本有数の温泉地だが、江戸時代までの別府は湯治場と地獄があるだけの寂れた寒村だった 明治時代になると交通網が発達し、人の往来が増えたが、それだけでは従来の温泉地には勝てない 彼らは新技術を柔軟に取り入れ、アイディアを実践することで、現在の地位を築いたのだ
等間隔に人を配置し、当時の最新技術である望遠鏡を持たせ、通信プロトコルに従って通信する。 江戸大坂間は箱根の山越えがあるため、そこだけ米飛脚に頼ることになる。 瀬戸内沿岸ならほぼノータイムで交信できた。 ちなみに神戸市に旗振山という山があるが、名前は旗振り通信に由来する。
シアトルには、こんな言葉がある。 「グレートノーザン鉄道を父に、日本郵船を母に発展してきた」 1896年にグレートノーザン鉄道の誘致により横浜〜シアトルの定期航路を開設した日本郵船。これが当時ニューヨークへの最短経路で、サンフランシスコ経由より1日早かった。 ヨーロッパへも最短経路だ。